10歳で「いつかはこれ欲しい」→30年後にかなえた夢 日本で数台の貴重車「これ運命やと」
憧れの愛車を手に入れるまで、道のりはなんと長いことだろう。東京都の平岡正史さんは、小学校のとき、母に連れられて鑑賞したハリウッド映画に衝撃を覚え、その中に登場する車をいつか欲しいと思った。大人になっても所有の夢を諦めず、かかった年月は約30年。それほどまでに追い続けた車の魅力と思い出を聞いた。
雑誌に憧れの車が… 京都から新幹線で上京「すぐ買います」
憧れの愛車を手に入れるまで、道のりはなんと長いことだろう。東京都の平岡正史さんは、小学校のとき、母に連れられて鑑賞したハリウッド映画に衝撃を覚え、その中に登場する車をいつか欲しいと思った。大人になっても所有の夢を諦めず、かかった年月は約30年。それほどまでに追い続けた車の魅力と思い出を聞いた。
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「この車を買ったのは映画の影響ですね。小5のとき、『ブルース・ブラザース』が公開されて、おかんに映画館に連れていってもらった。子ども心にカルチャーショックを受けました。大きくなったらこういう車に乗りたいなと思ったのがきっかけです」
『ブルース・ブラザース』は1980年のアメリカ映画。その中で主演のジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが乗ったのが、愛車の1974年式ダッジ・モナコだった。“払い下げのパトカー”をイメージしていた。
「2人は黒装束のスーツ姿で車に乗って、カーアクションをしていました。アメリカってなんちゅう国やと思いましたね。おやじがそのとき、クジラのクラウンとかブタケツローレルに乗っていたんですけど、こんな大きい車があるのかと。日本じゃ考えられない。西部警察とかでセドグロがひっくり返っても、(アメリカは)こんなおっきいのが飛んだり跳ねたり、ひっくり返る。ちょっとびっくりして、アメ車ってすごいな、乗りたいなって思いました」
当時はまだ10歳だ。にもかかわらず、映画館で見た最初の作品は、のちの人生を変えるほどまで強い衝撃を放った。
ただ、入手までは紆余曲折があった。
「18になって、すぐ免許を取って、すぐアメ車を買いたいと思ったんですけど、金がないんですよ。今はすごい高騰してますけど、当時は安かったんですね。何十万とかで買えたんですけど、それでも維持費を聞いたら、排気量も大きいから維持できひんなと」
いったん購入を断念して、430型のセドリックに乗ったが、車への思いは募った。
「映画はこするほど見ました。それこそ当時VHSじゃないですか。もう伸びきるぐらいまで、何百回って見ましたよ。やっぱり車を買えないから。ひたすら映画を見て、いつかはこれ欲しいな、縁があったらいいなって、その思いは消えなかったです」
再び欲が強く湧いてきたのは、結婚し、子どもが生まれた後だ。
「とりあえずアメ車が欲しいっていうことで、グランドマーキュリーという、これもフルサイズのセダンを買いました。当時モナコも探してもらったんですけど、なかなかなくて」
そして13年ほど乗ったある日のこと、雑誌を見ていると、平岡さんは驚がくした。探していたモナコが目に飛び込んできた。
「雑誌を見ていたら、たまたまこれが載っていたのでエッ! と思って。これ運命やと思って、すぐ電話して週末見に行きますからと伝えました。当時はまだ京都に住んでいたので、新幹線に乗ってすぐ買いますと言いました」
東京へ転勤も「自分の間取りはどうでもいい」 駐車場優先のワケ
マーキュリーを50万円で下取りに出し、200万円で購入した。
「本当はセダンが欲しかったんですけど、もうないんですってこれが。当時(モナコはアメリカで)パトカーとかタクシーに使われてて、ほとんどスクラップ、ジャンクヤードいってて、残ってないんですよね。映画は74年式で、アメリカだったら75年のモナコをベースに74仕様にしていると思うんですけど、これ純粋に74年式なので買うしかない」
セダンかハードトップかの違いはあったものの、足かけ30年近く待望し、ついに自宅に迎え入れた。
乗ってみた感想は、「やっぱ、ええわ」と感無量。
「BGMも映画に出た音楽とか鳴らしたりすると、その当時にタイムスリップできますね」と満足している。
以来、15年にわたって乗り続けている。2年前には、転勤で京都から上京。カーイベントにも顔を出すようになった。
それにしても、全長5.7メートルの大型車だ。困ったことはないのだろうか?
「京都は道が狭いですから選びますよ。細いところが多いので。東京は全然。住んでいるのが足立区なので、そんな細い道路もないですし、困ったことはないですね」
ちなみに足立区に住んだのは、駐車場代が月1万円と安かったから。
「自分の間取りはどうでもいい。まず置ける場所。都内の駐車場は高いので(笑)」と、自身の部屋は後回しだった。
排気量は7200cc。ハイオクでリッター4、5キロだ。改造はせず、オリジナルのまま維持している。日本における現存台数は、「4台くらい。岐阜に1台、都内でも1台あると思う」という貴重な車だ。
そのユニークな外見から、声をかけられることもしばしば。「若い姉さんはいない。おじさんかおじいさんです。珍しいですからね」。偶然、警察の取り締まりに遭遇したときは、警察官からも「すごいね」と驚かれたという。
年間の維持費は、自動車税や保険、2年に1回の車検込みで、15~20万円ほど。「お金のことは気にしないですよ」と、無理なく車に寄り添っている。「これと言ってトラブルがないのが奇跡的ですね。ただ、細かい故障はちょこちょこあるので、都度都度直してもらったりしていますよ」。名古屋で行われたイベントでアワードを獲得、雑誌に掲載されたこともある。
憧れの車を所有し、小学生の記憶は今も生き続けている。
「おかんにせびって、おもちゃ売り場でトミカのミニカーをせびった記憶も蘇りました。アメ車のパトカーみたいなのもあったような気がするんです。それを買って、映画のまねしてみたりしていましたね。それぐらい鮮明にこの映画は自分の中で影響を与えましたね」
両親は音楽好き いつか行ってみたいニューヨークとシカゴ
悩みは愛車の今後だ。まだ50代中盤だが、将来のことを考えると不安がよぎっている。
「果たして息子が乗ってくれるのかな。息子はどっちかというと、バイクに走っちゃった。なんでやねんと思っています(笑)。車もスポーツタイプに走ってしまったんです。息子が生まれてずっと、すり込ませてたんですよ。これだけじゃなくてね、いろいろアメ車が出てくる映画とか見せたんですけど、全然洗脳できなかったです」。車の趣味、趣向というのは親子であってもなかなか継承が難しいものだと実感している。
いつか、アメリカに行ってみたいというのが、平岡さんの新たな夢だ。母は音楽が好きで、若い頃は喫茶店や夜の飲食店でジャズピアノを弾いていた。父もジャスを聞いていた。客として出会って結婚し、その息子として車や音楽を含めたアメリカ文化全体に傾倒している。
「これだけゴリゴリのアメリカ好きのおっさんなんですけど、海外に行ったことないんですよ。飛行機がダメで……。でも、ワンチャンあれば行ってもいいかなと思っています。行きたいのはニューヨークとシカゴ。シカゴはこの映画の舞台になったところで、ニューヨークはジャズの本場。定年なってから時間ができたときに、ちょっと行けたら」と結んだ。