地上波から衝撃の一言「“K-1”という名前は報道できない」 K-1女社長・大木知葉さんが語る“どん底”からの再生

打撃格闘技で一時代を築いた『K-1』。1993年に創設されると、アンディ・フグやピーター・アーツらスター選手を輩出、地上波テレビのゴールデンタイムでも放送され一時代を築いた。2000年代に入ってからは低迷したが、最近になり、勢いが復活している。現在、『K-1』を主催するM-1スポーツメディアの代表取締役社長を務める大木知葉さんが“どん底”からの再生を明かす。

インタビューに応じた大木知葉さん【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じた大木知葉さん【写真:ENCOUNT編集部】

大木知葉さんインタビュー 第1章は「那須川天心VS武尊」 第2章は世界へ

 打撃格闘技で一時代を築いた『K-1』。1993年に創設されると、アンディ・フグやピーター・アーツらスター選手を輩出、地上波テレビのゴールデンタイムでも放送され一時代を築いた。2000年代に入ってからは低迷したが、最近になり、勢いが復活している。現在、『K-1』を主催するM-1スポーツメディアの代表取締役社長を務める大木知葉さんが“どん底”からの再生を明かす。(取材・文=中村智弘)

 昨年、“世紀の一戦”と言われた「那須川天心VS武尊」。立ち技格闘技団体の『K-1』と『RISE』による対抗戦『THE MATCH 2022』が行われた東京ドームは5万6000人の超満員となった。かつて、武尊のマネジャーを務めた大木さんは、万感の思いで試合を見つめていた。

「満員の東京ドームで選手たちが入場してくるっていうのは、ちょっとぐっとくるものがありました。出てくる選手たち、一人一人を見ていると、やっぱり熱くなってきたんです。新生『K-1』がスタートしたのは、10年前の代々木第二体育館から。その時、お客さんは4000人ほどでした」

 元々はスポーツ新聞の記者として、格闘技の現場を取材していた大木さん。3年ほど記者を務めた後、総合格闘技『PRIDE』の運営会社・ドリームステージに転職し、約2年間、広報などを担当。その後、再び、スポーツ新聞のウェブサイトで働いた。

 プライベートで結婚、出産のタイミングもあって、一時、仕事を離れた。子育ても一段落したころで、立ち技格闘技イベント『Krush』の関係者から「もし、時間があるなら、手伝わないか」と言われたという。

「当時の『Krush』は、とにかく勢いがあって、興行も多かった。記者会見をやって選手に生で話させる機会を多く作っていて、受付や広報など幅広い業務をやっていました」

 その『Krush』が2014年から新生『K-1』の母体となった。運営・制作を行っていたのがM-1スポーツメディアで、今年から大木さんが社長を務めている。

 K-1は1993年に空手団体・正道会館の石井和義氏が打撃系格闘技イベントとして創設。アンディ・フグ、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ミルコ・クロコップらスター選手を生み出した。試合は地上波テレビのゴールデンタイムでも放送されるなど、一時代を築く。

 しかし、2000年代に入り、トラブルやスキャンダルが相次ぎ、勢いが失速。主催会社が財政難に陥るなどして、一時は海外の投資家の手に渡った。それを買い戻したのが、現在の運営会社だ。

“どん底”からの再生を語る大木さん【写真:ENCOUNT編集部】
“どん底”からの再生を語る大木さん【写真:ENCOUNT編集部】

「武尊はあきらめずに『自分が有名になったら道は開ける』」

 新生の『K-1』を旗揚げしたのは2014年。その1年前に記者会見を行ったのだが、大木さんにとって忘れられない出来事があった。

「元々、応援してくださっていた(タレントの)関根勤さんらもお呼びしたんですが、地上波メディアのある局から『“K-1”という名前を使って、報道はできないよ』と言われたんです。『えっ』となって…前途多難だなと思ったのを覚えています」

 当時、勢いのあった立ち技格闘技イベント『Krush』と“連携”しながら、地道な活動を続けた。そこから生まれたのが、スター選手となる武尊だった。

「武尊は元々、K-1という目標があって上京してきたんですが、上京した途端にK-1を取り巻く状況が悪くなってしまった。それでも、武尊はあきらめずに『自分が有名になったら道は開ける』と考えて、自分で(TBS系スポーツエンターテインメント番組)『SASUKE』にエントリーして、芸能活動を始めたんです」

 2013年に『Krush』の-58kg級初代王座決定戦があった。対決したのは、当時、新鋭だった武尊とベテランの寺戸伸近。その記者会見で、武尊はネクタイや時計、ハンカチ、財布などありとあらゆるものを金にして登場した。

「ギラギラした感じを覚えています。『自分は絶対にチャンピオンになって金メダルをとるから、身に着けるものは全部、金にしているんです』というようなことを、何のためらいや恥ずかしさもなく言ったんです」

 その後、『K-1』は武尊中心に動いていき、昨年の那須川天心戦につながっていく。

「あの世紀の一戦で、新生『K-1』の“第1章”が終わったような気がしています。第2章は『K-1』をアメリカやヨーロッパ、アジアなど世界に広げていきたいです。『K-1』の競技自体は本当に素晴らしくて、老若男女に関係なく、子どもにも面白いスポーツ。ゆくゆくはオリンピック競技にまでもっていきたいと思っています」

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