「きのこの山」「たけのこの里」88歳開発者が明かすヒットの極意「お菓子は子どもの夢」
「きのこの山」「たけのこの里」をグローバルに拡大していくために、世界中から関係者を集めた「KINOTAKE GLOBAL SUMMIT」が17日、都内で開催。イベントには、同商品の開発者である本多了氏が登壇し、開発に至った経緯や、商品開発に取り組む上での心構えなどを語った。
本多了氏がイベント登壇「大切な息子として、人生に役立ってくれた」
「きのこの山」「たけのこの里」をグローバルに拡大していくために、世界中から関係者を集めた「KINOTAKE GLOBAL SUMMIT」が17日、都内で開催。イベントには、同商品の開発者である本多了氏が登壇し、開発に至った経緯や、商品開発に取り組む上での心構えなどを語った。
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明治の大阪工場にて、第14代工場長を務めた本多氏は、工場にあるチョコレート成型機を稼働させるべく、チョコレートと焼菓子を合体させた小粒状の商品の開発に着手。きのこの軸部分のような形状の焼き菓子を小粒のチョコレートに差し込んだところ「誰がどう見てもきのこ型だと。きのこ以外に考えられないと。名前も付けないで『きのこチョコ』として本社に提案した。本社は『これはいける』と沸いた」と開発当初を振り返った。
パッケージ開発については「野山や里山などで食べているイメージ。自然のほのぼのした感じを味わうのに、ところどころから開けてはいけない。パカッと開けて『うわー!』っと楽しくなる。これでだいたい方向性が決まった」と口にした。1974年にテスト販売を行ったところ「猛烈に売れた」とのことで、同年の終わりには、関連商品として「たけのこの里」の開発が始まっていたそう。
研究開発をする上で、会議以外に必要なことを「物の本質を見極めること」と言い、「お菓子や原料の本質、何がどうなって作られているかということ。お菓子というものは子どもの夢です。夢を持った子どもが大人になり、ファンになっていく。筋書きがあるんです。夢を持たないと商品はできません」と持論を展開した。
さらに「日曜日になったら東京中を食べ歩いた。ときには千葉まで行った。食べ歩いて、家では試作をするのが生活の基盤になった。研究だけでは商品はできない。生活全体から考えていかないといけない。一生懸命考える。それを突き詰めれば、ある日突然ハッと気づき、ほっとやすらぐ。人生はすべてそうです」と続けた。
88歳になった今も「足腰は丈夫で、元気なものです」と笑みを浮かべ、「これはきのこ(の山)たけのこ(の里)のおかげです。(『きのこの山』『たけのこの里』は)私の大切な息子として、人生に役立ってくれました」と感慨深い表情を見せた。