ABEMAが海外修行を支援するワケ 日本人の負けで焦燥感「近い将来に僕らの仕事はなくなってしまう」

ABEMAが総合格闘技の日本人若手選手を中心に短期間の米国での練習環境を提供する海外武者修行プロジェクトが始動して約1年がたつ。これまでに10人の選手と2人のコーチを現地に送り出してきた。成果としていつ返ってくるかも分からない。なぜ“今”行うのか。那須川天心―武尊の“世紀の一戦”が行われた「THE MATCH 2022」や元プロボクシング世界5階級制覇王者のフロイド・メイウェザーと朝倉未来のエキシビションマッチが行われた「超RIZIN」のPPV(ペイパービュー)を生中継したABEMA格闘チャンネルエグゼクティブプロデューサー・北野雄司氏に話を聞いた。

格闘技界を動かすABEMA格闘チャンネルエグゼクティブプロデューサー・北野雄司氏【写真:山口比佐夫】
格闘技界を動かすABEMA格闘チャンネルエグゼクティブプロデューサー・北野雄司氏【写真:山口比佐夫】

これまでに10人の選手と2人のコーチを現地に派遣

 ABEMAが総合格闘技の日本人若手選手を中心に短期間の米国での練習環境を提供する海外武者修行プロジェクトが始動して約1年がたつ。これまでに10人の選手と2人のコーチを現地に送り出してきた。成果としていつ返ってくるかも分からない。なぜ“今”行うのか。那須川天心―武尊の“世紀の一戦”が行われた「THE MATCH 2022」や元プロボクシング世界5階級制覇王者のフロイド・メイウェザーと朝倉未来のエキシビションマッチが行われた「超RIZIN」のPPV(ペイパービュー)を生中継したABEMA格闘チャンネルエグゼクティブプロデューサー・北野雄司氏に話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

 ◇ ◇ ◇

――海外武者修行プロジェクトを始めたきっかけは何だったのでしょうか。

「これまで5シーズンにわたり放送していた『格闘代理戦争』(ABEMA)に出場していた選手たちの海外での練習をお手伝いしたことが始まりです。それを何度かやっているうちに新型コロナが流行したんですよね。今では信じられないですけど、渋谷の街に誰もいない。緊急事態宣言の前日にはガラガラでした。でも、海外の格闘家の友人や昔取材していた海外選手に話を聞くと『プロフェッショナルは(練習を)やらなきゃいけないから体を動かすよ』という返答がありました。そういう話を聞いたときに日本人みんながこのまま練習や試合をする機会を失い続けたら日本の格闘技が弱くなってしまうのではないかと思ったんです。

 海外で先んじてコロナの規制が緩和されるようになったころに『日本対海外』をコンセプトとしたPPVを中継する機会がありました。そこで日本人がことごとく負けてしまったんですよね。私たちがPPVを売るときに頼みにしている大物格闘家たちが次々と負けたことがとてもショックでした。なぜかと言うと『日本人が海外で活躍する姿をたくさん出していきたい』と思っているのに、負けたら今後の試合機会の減少につながるかもしれないじゃないですか。その選手のストーリーはそこで切れてしまうし、ましてやPPVでは売れなくなってしまう。日本人が負けるのは僕たちの仕事にこんな直接的な関係があるのかと思い知りました。

 コロナ前とコロナ後でいうとコロナ後のほうが『日本対海外』の結果が悪くなったように思います。2022年は『THE MATCH 2022』の機運があって、PPVの部分では一定の成功を収めました。でもそのときに思ったのが武尊選手も朝倉未来選手も堀口恭司選手も30代。格闘技寿命が長くなってるし、青木真也選手みたいに年齢を重ねてもなお仙人のようにやる達人もいますが、年齢的にはみんないつ引退してもおかしくないのでは……と。そう考えたらいずれ近い将来に僕らの仕事はなくなってしまう。MLBだって、大谷翔平選手がいて、鈴木誠也選手がいて、ダルビッシュ有選手がいるから日本で人気もあると思う。格闘技もどんどん若い選手が外に出て評価を受けないと日本の国内産業にダメージがあるなと。このプロジェクトを始動させました」

――海外団体との交渉の場で日本人はどんな評価を受けていたのでしょうか。

「ある団体のCEOと中東で会ったときには『Japanese fighter is so weak』って。そのままでしょ? 中学生でも分かる英語で言ったなこの野郎って(笑)。でも実際に試合で使ってもらいにくくなっているような感じがしますよね。僕にその権限は一切ないんですけど、日本人の選手でなかなかマッチメイクが来ないと思う人もいると思うし、実際に負けることが多くなったリアリティーがある。先日、中村倫也くんは勝ったけれど、UFCは相変わらず難しい舞台。PFLやONEに出ている日本人選手もどこかしら分が悪いように感じる。それが世界の格闘技の世論になってしまいますよね」

――送り出す立場として海外との差を感じることはありますか。

「日本で工夫して練習して勝っている選手もいます。ただ僕は、海外を知ること自体は無駄にならないと確信を持って言えます。プロジェクトに参加した選手の話を聞いていると練習強度は海外の方が強い、という選手が多いです。ある選手はレスリングの練習後に『交通事故みたいでした』って。慣れない海外での生活も含めて、みんな何かしらのショックを受けて帰ってくるから、人間的にも成長して帰ってきているんじゃないかなと思います」

――逆に日本の環境の良さはどんな部分でしょうか。

「均質的であることじゃないでしょうか。日本はどこに行っても同じようなサービスが受けられる国。それは格闘技に対しても言えるんじゃないかなって。みんな真面目だから知的財産をすぐに共有するし。でも海外に行った選手に聞くと、地域・ジムごとにコーチの教え方が全然違うし、特徴を競い合っているかのようだ、と。最終的に1番を生み出すのはそっちなんじゃないかという怖さを素人ながら感じることがあります。平均点を取るなら日本人なんだけど、トップを取るのは向こうなんじゃないか……とか」

「ただのプロ練」では終わらせないと強調する北野雄司氏【写真:山口比佐夫】
「ただのプロ練」では終わらせないと強調する北野雄司氏【写真:山口比佐夫】

「選手がどうなりたいのか」を事前にカウンセリング

――ABEMAでは実際にどこまでサポートしているのでしょうか。

「飛行機代と宿舎。そして僕たちが売りにしているのはジム選びと、そこで選手自身の課題感にあったパーソナルを組んでいただくことですね。海外のジムに行ってただ練習するだけだとお客さんになってしまうので、細かいところまで費用負担して行き届いた環境になるといいなと願っています」

――どのように選手が練習するジムを決めるのでしょうか。

「選手がどうなりたいのか、面談しカウンセリングさせていただくんです。打撃の練習をしたい選手を10th Planet(伝統的な柔術ジム)に行かせても効果が出にくいかもしれない。例えば、今度武者修行プロジェクトに行く選手は分かりやすいストライカーなんです。打撃では大抵の選手には勝てるけど、MMAで組まれてケージに押し込まれてマウントを取られて終わってしまうことがあるそうです。だとすれば必要なのはレスリングやテイクダウンディフェンスだから、このジムはいかがでしょうか……というふうに進めています。

 そこで米国のスタッフと相談していくつか選ぶ。武者修行プロジェクトでは、プロジェクトに参加する選手を現地で撮影もするのですが、撮影する側からしたらできればメジャー団体の有名選手がいて、有名コーチがいて画になったらいい。さらに実際に海外ジムに着いた際にコーチと派遣選手を交えて、改善ポイントを伝え、『こういう練習を付け加えてください』とお願いしています。ただのプロ練ではなくて、パーソナルを受けられるようにしています。そこは先方に念押ししています」

――現地のジム選びはどのように行っているのですか。

「米国には一緒にやっているシュウ・ヒラタ氏もいます。ジムのリストを作って僕らに対してプレゼンをしてくれます。それにこちらも注文をつけて3回くらいは案を戻しています。言い争うこともあります。それくらい真面目にやっています。例えば、1期生の平田樹さんがニューヨークのジムに行った際は、英語を話せないし最初は兄弟で行くのがいいのか、郊外だけど大丈夫か、と話して、結局2か所に行くことになりましたね」

――たくさんの応募が来ていると思いますが、どんな基準で選手を選んでいますか。

「ゆくゆくはABEMAで試合を中継して動向を追っていきたいという思いがあるので、ある程度有名であったり華があったり……というのも見ていますが、まずは年齢です。それから最近ケガをしていない選手の方がいいですよね。日本とは勝手が違うところに行くので、健康であることが一番ですね。

 語学留学の条件と似ていますね。あとはアウトゴーイングというか海外志向の選手。それは将来どこかの団体に、とかそういうことではなくて。海外の生活は本当にしんどいので、ホームシックもありますから、それに耐えられる選手にお願いしています」

――現地で試合に出場するサポートもしています。どんな経緯でそうなったのでしょうか。

「ジムに行ってもらっていると、選手たちが現地で『このままここで(=海外で)試合していく?』とフランクにお誘いを受けるようになって。最初は僕らも分かっていなかったのですが、向こうにはフィーダーリーグがたくさんあるんですね。UFCとかPFLとかBellatorとかメジャー団体があって、その下にいっぱい大会があるんです。聞いてみるとファイトマネーもいいらしい……と。

 海外で試合をするのはやっぱり日本と違うらしいんですよね。“バンテージ巻いて”も英語で言われる世界観ですし、いろいろなことを乗り越えて、精神的にも削られながら試合にたどり着く。ケージに上がってみるとお客さんは外国人で、相手も外国人。ジムでの練習にとどまらず、試合も経験できたらよりいい企画になるかなと思いました」

「いつか留学にいった選手たちが大きくなれば」と北野雄司氏は願っている【写真:山口比佐夫】
「いつか留学にいった選手たちが大きくなれば」と北野雄司氏は願っている【写真:山口比佐夫】

今後はコーチ留学プロジェクトも視野に

――現在の格闘技界には生活するのも苦労している選手もいます。このようなプロジェクトを行っている北野氏はどう見ていますか。

「うーん。でもそれは彼ら自身のセルフプロデュース次第だとも思っていて、苦労している選手もいる一方で強くて稼げている選手たちもいます。いまは変わり目のなかにいると思います。この波をキャッチできるかどうか、選手のみなさんはもっと強欲になってもいいのでは。それは別にファイトマネーを上げてくれということではなく、キャリアの選択肢を全世界に広めてみることもできる。団体を運営しているの皆さまもPPVが売れる選手、男性、女性に人気の出る選手だったり選手のバリューをいままでになく鋭い目で見てらっしゃるように感じます。

 選手たちはいま、自身のバリューを売り込むチャンスの時期じゃないかなって。一方でBreakingDownみたいな今までと全く違うかたちで有名になるアプローチ方法もあるわけだし。自らの力で人生を変える時期が徐々に来ているのかなと思います」

――プロジェクトが始まって1年ほどですが、手応えを感じる瞬間はありますか。

「行った子たちの成績も鑑みると、概ねはいいんじゃないかなと思います。彼らが修行から帰ってきてから、報告会もかねて1回くらいはご飯に行くんです。そこで話を聞くたびに、みんな自信をつけて帰ってきたなと思います。“面談で会ったときより、なんだか大きくなったな”と思うことが多いので、その時点でやって良かったなって思っています。

 日本は働きながら練習している選手も多いですよね。この留学期間は働かなくて練習だけに集中できる。それが1番幸せだっていう声もいただきます。そういうのを当たり前にしていきたいですよね。ABEMAの格闘チャンネルが業界に無尽蔵に投資できるわけではないですが、その代わり希望する選手ひとりひとりに変化するきっかけを与えることはできます」

――今後考えている展開はありますか。

「最近は、最後の2週間だけコーチの方も一緒にも留学に行ってもらっているんです。選手1人だけが行くよりもコーチも一緒に行く方が業界のためになるかなと。例えば、コーチに1年留学していただいいて米国の練習方法も把握したうえで、日本のジムで人を育てる方が1度にたくさんの選手を育てられるんじゃないかなって思いもあるので、いつかはコーチ留学も実施してみたいです」

――朝倉兄弟の所属するトライフォース赤坂が海外ジムのようになりました。

「ABEMAがジムをつくって展開するようなことはありませんが、できればコーチをUFCPIとかEVOLVE MMAとか、あるいはATTとかに留学させたいという思いが強いです。志半ばで選手を引退してしまったり、選手時代は無名でも、英語が話せて理論派で人格者である程度体で教えられる……という人にいつか絶対出会えると思う。そういう人たちをコーチ留学してすそ野を広げる活動もしたいと考えています」

――選手のセカンドキャリアのような観点につながってくる気がします。

「実際は米国のビザの問題があるので、1年留学させるのは結構なハードルがあります。ですが、これまでの経験で培った我々のコネクションをうまく使いたいなと思います。全く収益にはならないですが(笑)」

――米国との物価の差も最近では話題になっています。このプロジェクトはいつ結果が出るか分かりませんがどう考えていますか。

「本当に分からないですよね(笑)。でも、いつか留学にいった選手たちが大きくなってPPVでものすごく売れる選手になったら僕たちに戻ってくるものがあるかもしれない(笑)。だから今は選手たちを信じています。世間やお互いが忘れたころに、仕事でご一緒して大きなチャンスをモノにしたいです」

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