【VIVANT】ワニズ演じた河内大和 18歳から演劇→27歳で挫折→40歳までアルバイト「奇跡が続いて出演に」

TBS系連続ドラマ『VIVANT』は、放送終了から約2週間でも話題が尽きない。この稀有な作品の最終話、ドラマ初出演の俳優が強烈なインパクトを残した。河内大和(こうち・やまと)。バルカ共和国の外務大臣・ワニズを演じ、主演の堺雅人、役所広司、阿部寛ら日本トップ俳優陣とも渡り合った。風貌から多くの視聴者に「モンゴル人」と勘違いされていた44歳。舞台でキャリアを重ねてきた河内の素顔、知られざる歩みに迫った。

インタビューに応じた河内大和【写真:山口比佐夫】
インタビューに応じた河内大和【写真:山口比佐夫】

所属事務所なしの「フリー俳優」に届いたドラマ初出演オファー

 TBS系連続ドラマ『VIVANT』は、放送終了から約2週間でも話題が尽きない。この稀有な作品の最終話、ドラマ初出演の俳優が強烈なインパクトを残した。河内大和(こうち・やまと)。バルカ共和国の外務大臣・ワニズを演じ、主演の堺雅人、役所広司、阿部寛ら日本トップ俳優陣とも渡り合った。風貌から多くの視聴者に「モンゴル人」と勘違いされていた44歳。舞台でキャリアを重ねてきた河内の素顔、知られざる歩みに迫った。(取材・文=柳田通斉)

 河内は取材場所に自転車で現れた。「ちょっと、着替えていいですか」。ジャージを脱ぎ、黒のサマーコートを着ると、瞬く間にワニズの雰囲気になった。ドラマは大反響でインパクト大の風貌。「街で声を掛けられるのでは」と聞くと、「それはないですね。見た目が怖いから声を掛けにくいんじゃないでしょうか」と言い、目を細めた。

 河内は最終話の放送後、自身のブログで『VIVANT』がドラマ初出演作だったこと、福澤克雄監督とのやり取り、居並ぶトップ俳優陣を前に芝居をした思いなどをつづった。その内容はたちまち話題になり、ENCOUNTは河内が主宰するシェイクスピア劇ユニット『G.Garage///ジーガレージ』の公式サイトから取材を申請。すぐに河内から連絡が入った。

「僕は1度も事務所に所属したことがないフリーなので、事務作業も含めて全部、自分でやっています。それでも、この偉大なドラマに出演できました。夢のような話です」

 河内は山口・岩国市で生まれ、高3で演技に関心を持つようになった。

「洋画好きの友人の影響を受けて、ブラッド・ピッドにはまりました。ただ、将来は測量士の父のような仕事をしたいと思い、大学は建設学科を目指しました。温暖な山口で育ったので、『雪国にも住んでみたい』と思って受験した北海道大学は不合格。後期日程で受けた新潟大学工学部建設学科に合格して入学しました。当時、東京は怖い所のイメージしかなかったです」

 大学のキャンパスに入り、演劇研究部のパフォーマンスに心を動かされて入部。舞台上で別の誰かになれることにのめり込み、演劇一筋の大学生活になった。

「最初から演劇に傾倒して授業へ行かなくなってしまい、結局、4年目に入って1年休学し、その後に中退しました。親は残念がっていましたが、『自分で生活してみて、情熱が覚めないなら演劇を続ければいい』と言ってくれました」

 休学のタイミングで、新潟市に大型のホール・りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)が建立。俳優養成の劇団も立ち上がり、河内はそこでシェイクスピアの作品『夏の夜の夢』に出会った。稽古は夜。空いた時間は、ガソリンスタンド、警備員、サッカークラブのコーチなどのアルバイトに費やした。そして、2000年、『リチャード三世』で俳優デビューを果たした。

「東京公演でしたが、この作品で初めて出演料をいただきました。ただ、その後も新潟に住み続けました。周りから『今、東京に出ても大量の砂の一粒にしかならない。新潟で芝居の基礎を学んで輝いた方がいい』と言われたことが理由でした。あの時に急いで東京に出なかったことは、本当に大きかったと思っています」

 だが、生活は苦しく、先の見えない日々が続いた。

「『もう、無理だ』と思い、27歳の時に演劇から離れて実家に帰りました。絵を描いたり、アルバイトしながら過ごす中、1年半が経って新潟からルーマニア公演の声が掛かりました。そこで、『もう1度やってみよう』と思い、復帰しました。その後、新潟に戻ってからもお客さまから『河内、待ってました!』と声を掛けていただき、『やり続けよう』と固く誓いました」

 その後、『りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピア・シリーズ』(栗田芳宏氏演出)で、シェイクスピアを基本に芝居の修行を重ねた。そして、32歳で上京するに至ったが、いきなり壁に当たった。

「引っ越して2日目に東日本大震災が発生しました。アルバイトもなかなか見つからず、非常に難しい状況が続きました。時間はあるので、身体表現やダンスについて小野寺修二さんから学んだり、 2009年の作品で僕を起用してくださった(俳優、演出家の)白井晃さんのところにあいさつに行ったり、野田秀樹さんの舞台のオーディションを受けたりしていました。とにかく、いろいろなところに顔を出す中で少しずつ舞台出演が決まっていきました。そして、吉田鋼太郎さんが蜷川幸雄さんに『彼は何でもできますから』と紹介してくださったことで、彩の国シェイクスピア・シリーズの出演が決定と、ありがたいことに人とのご縁がつながっていきました」

 そして、2019年に吉田の演出で上演された『ヘンリー五世』で主要キャストに抜てき。40歳を前に仕事が回り始め、アルバイトをしなくても生活はできるようになった。結婚、子どももできて、飛躍を目指した20年。再び壁に当たった。

「新型コロナウイルスの影響で仕事が全部飛んでしまいました。何とか活動は続けたいとの思いで、家の押入れでハムレットを朗読して配信をしたりする日々でした」

撮影を振り返った河内大和【写真:山口比佐夫】
撮影を振り返った河内大和【写真:山口比佐夫】

“舞台のような雰囲気”を作ってくれた福澤克雄監督に感謝「映像作品も多くやっていきたい」

 同年、河内はミュージカル作品への初挑戦を決意。気合を入れて準備をし、紹介された大きなオーディションを受けた。

「落ちました。気持ちも落ちましたが、その時、演劇を始めた大学時代から憧れてきた野田秀樹さんに声をかけていただき、2021年『THE BEE』のメインキャストの一人に抜てきされました。そこでの芝居を『VIVANT』のプロデューサーがご覧になっていたようで、昨秋、『G.Garage///ジーガレージ』の公式サイトに出演オファーが届きました。奇跡的な巡り合わせの連続で、ただただ驚きでした」

 早速、自転車でTBSへ向かった。原作、脚本を手掛ける福澤監督と初めて面会した。

「まずはその迫力に圧倒され、僕は『事務所にも入っていないドラマ出演経験のない自分がこんな大きな作品に出ていいのだろうか』という思いになりました。ただ、今年の3~7月は舞台のスケジュールが空いていましたし、この幸運を生かす覚悟はできていました」

 河内は5月、モンゴルでの撮影から参加した。現地に3週間滞在。初めて触れたモンゴル語の発音、言い回しを必死に学び、ドライ(カメラなしのリハーサル)に備えた。

「第2話の大使館でのシーンでしたが、監督は僕の演技をご覧になっていなかったので『気に入ってもらえるだろうか』と、とてつもなく不安でした。でも、ドライの直後、監督が大笑いをして『いいですよ』と親指を立ててくださり、ホッとしました」

 最終話の名シーンは国内で撮影。トップ俳優たちを前に渡り合う前も、緊張で押しつぶされそうだったという。

「7月下旬。そうそうたる方々を前にして、『どんな芝居をしたらいいのか迷っていてもしょうがない、やってきたことを信じて自分ができることをやろう』と思いました。ただ、阿部寛さん、檀れいさん、松坂桃李さんとは舞台で共演していましたし、福澤監督はドライの時から『河内さん、ここ、もっと(大声で)いっていいですよ』『ここは抑えたところから、沸々と怒りが出てくる感じで』と舞台のような雰囲気を作ってくださいました。それは本当に大きかったです。そして、憧れの役所広司さんが温かく声を掛けてくださり、終わった後も『お疲れさま』とおっしゃりながら、笑顔で握手をしてくださった。心の底からうれしくて、思わず涙が出ました」

 最終話の放送は、自宅で見ていた。妻からは「頑張って来て良かったね」と言われ、両親、2歳上の兄から「すごく良かった」とメールが届いたという。

「監督からは『最後のシーンで、あの俳優陣に対抗できる強烈なインパクトのある俳優を探していました』と言われていたので、『作品に貢献できて本当に良かった』と心から思いました。そして、迷惑を掛けてきた両親に『やっと恩返しができた』という感情になりました」

 吉田からは「あらゆる感情表現が必要なシェイクスピアの作品をやれたら、大概の役はやれる」と言われてきた。事務所入りの相談をした際も「お前はこのままフリーでやって、映像作品でバーンって売れた方がいい」とアドバイスされていたという。

「これを切っ掛けに多くの映像作品に出られたらうれしいです。ただ、舞台も続けていきたいので、スケジュール調整の方法は同じ経験をされてきた先輩方に教わろうと思います」

 既にドラマ出演の打診は来ているといい、新展開が視野に入りつつある。40歳を過ぎて映像作品に多く出演するようになった俳優は、河内にとって大恩人の吉田、『VIVANT』で共演した小日向文世の例もある。河内は自分の可能性を広げることも踏まえて言った。

「僕が経験した今回のようなことが、小劇場で頑張っている人たちの励みになったらうれしいです」

 見ている人は見ている。アルバイトをしながら、地道に表現を続ける舞台人のためにも、河内はさらなる前進を目指す。

□河内大和(こうち・やまと) 1978年12月3日、山口・岩国市生まれ。岩国高卒、新潟大工学部建築学科中退。中退後はりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)の能楽堂シェイクスピア・シリーズに参加。2000年、『リチャード三世』のケイツビー役で俳優デビュー。10年に退団後は東京進出し、舞台を中心に活動。13年には、「シェイクスピアの道の極みを追い求めたい」との思いから、シェイクスピアユニット『G.Garage///ジーガレージ』を立ち上げ、企画・演出も手掛けている。15年、俳優・吉田鋼太郎の推薦もあり、彩の国シェイクスピア・シリーズ第31弾『ヴェローナの二紳士』(蜷川幸雄氏演出)にメインキャストで出演。21年には、NODA・MAP番外公演『THE BEE』のメインキャスト4人の中の1人に抜てき。これまでに通算80作を超えるシェイクスピア作品に出演し、 シェイクスピア全37作出演制覇まで残り9作。映像作品では、21年の短編映画『幕末陰陽師・花』に岩倉具視の役で出演している。特技はサッカー(高校時代に中国大会4強)。家族は妻、長男。178センチ。血液型O。

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