平成元年“伝説の初代モデル”、なぜか初心者マーク 還暦オーナーが悩んだ継承者、決心の理由
初心者マークながら、風格を感じさせる真っ赤なロードスター。気になってカーイベント会場で声をかけてみたら、持ち主は還暦だった。ユーノスの文字が入ったジャンバーを羽織った男性オーナーに、ロードスターへのアツ過ぎる思いを聞いた。
「マツダとは言わないんです」 故・田中俊治さんの心意気に感動
初心者マークながら、風格を感じさせる真っ赤なロードスター。気になってカーイベント会場で声をかけてみたら、持ち主は還暦だった。ユーノスの文字が入ったジャンバーを羽織った男性オーナーに、ロードスターへのアツ過ぎる思いを聞いた。
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「車検証に『ユーノス』と書いてあるでしょう。重量は950キロ、『幌型』ってのもいいよね。初代NAは、マツダとは言わないんです」。
愛車を手に入れたのは、1989年9月。「平成元年、初代の最初の市販モデルです。9月末に納車しました。妻と知り合う前に買ったので、家族より付き合いが長いんですよ」と目を細める。
どこに行くのもこのロードスター。純正トランクキャリアを付けて海に行ったり、山に行ったり。2シーターながら引っ越しで活躍したことも。妻の仮免練習で使ったのもこの車……。「どこでも使える。乗った瞬間から楽しいのが、この車なんですよ」。まさに人生と共に歩んできた。
もともと「赤のスパイダーが欲しかった」と、2シーターのオープンカーを所望していた。RX-7のカブリオレを買おうと思い、工場で抑えてもらっていたが、ロードスターの発売を知りキャンセル。こうして手に入れた1台だ。
初代ロードスターのデザインを手がけた故・田中俊治さんの心意気にほれ込んでいる。「プロダクトデザインを和のテイストでまとめた、そのセンスが素晴らしいんですよ。顔は能面、テールランプは分銅のモチーフ。シートは畳のデザインを生かして、座席全体が茶室のイメージ。ドアノブを含めて、こだわり抜いていますよね」。実は、運転席の後ろに、能面のお面を飾っている。一見ちょっと怖いが、「これがいいんだよ。あおり運転の車が見たらびっくりするでしょう。うっすらと顔が浮かんでくるように見えて、不気味で寄って来ないよね」と笑う。
還暦を迎える中で、ある悩みがあったという。「他のみんなもそうなのですが、長年乗ってきた自分のロードスターをどうするか、悩んでいるんです。転売になってもいいんだけど、できるだけ分かっている人に乗ってもらいたい。そう思っていたんです」。
やきもきしていた男性オーナーに、朗報が舞い込んだ。
「いやあ、息子が免許を取って、乗ってくれるみたいで。こっちは『いつでもどうぞ、ありますよ!』と。そんな状況なんですよ」
乗り続けて34年「あって当たり前の存在」
大学3年の息子に愛車を譲る決心を固めている。「息子が小さい時にミニカーで遊ばせて洗脳教育をしたのですが、結局、車に興味を持たなかったんです(笑)。アニメとゲームが大好きな今時の子です。息子は普段は妻の日産ティーダに乗っているのですが、ロードスターに乗ったら『これ、楽しいね』って言ったんです。『分かるじゃん、そういうこと』と、自分はうれしかったですよ」。ロードスター乗りとして、最上の喜び。クールな表情をほころばせた。
そう、初心者マークは息子のものだったのだ。
乗り続けて34年。ロードスターは「あって当たり前の存在」だ。数年前にブレーキや電気系統を取り換え、近いうちにクラッチの交換を予定。大事に大事に整備してきた。テレビ番組で車特集がやっていると、「フェラーリのエンジン音なんか聞いちゃうと、『ウチのエンジンもいいんだよ』と、スイッチが入って乗りたくなっちゃう。それで、ちょっと走りに行くんですよ。すぐ興奮しちゃって(笑)」。どこまでもお気に入りだ。
それでも、息子に譲ることで寂しさはないのか。
「寂しくはないですね。次乗るとしたらですか? 軽自動車でいいかな。いやでも、今の軽は性能がいいんですよ、全然問題ない。もうゴリゴリ遠くを攻めることはないし、十分です。それに、原付もいい。都内を走るなら原付が最強ですよ、本当にスムーズで」。この上ない継承者がいるのだから、もう未練はない。
取材の最後に写真を撮っていて、恥ずかしながら気付いた。エンブレムのデザインがあのマツダのマークではない。どこかで見覚えが。「これは、ユーノスの十二単。マツダさんにライセンスをもらっていて、自分で作っているんですよ。オリジナルで付けています」。どこまでも筋金入りだった。