「いつかはクラウン」ではない老後、64歳で振り切ったスポーツカー 「人生が一変」運命の出会い
64歳で、若かりし頃の情熱を思い出し、手に入れたのは、マツダ・ロードスターだった。「いつかはクラウン」ではなく、ライトウエイト・オープンスポーツカーで老後を謳歌(おうか)する、川合明さん(75)の幸せあふれる愛車物語とは。
75歳オーナー「俺は若い頃、これに乗りたかったんだよな」 納車日は初孫の誕生日の奇跡
64歳で、若かりし頃の情熱を思い出し、手に入れたのは、マツダ・ロードスターだった。「いつかはクラウン」ではなく、ライトウエイト・オープンスポーツカーで老後を謳歌(おうか)する、川合明さん(75)の幸せあふれる愛車物語とは。(取材・文=吉原知也)
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真っ白な2009年式のロードスターNC2 RHTで「人生が一変しました」。川合さんが手に入れた経緯は運命的だった。
まずは、納車日。12年5月11日は、初孫の誕生日でもある。「出産のため入院している娘のところに向かう途中に、『産まれた』と連絡があったんです。ロードスターの納車日に初孫もできて。本当に運命を感じました」。
川合さんは18歳で免許を取ると、父の初代コロナを皮切りに、ブルーバード910など10台ほどに乗ってきた。マツダ車は、1972~73年の約1年間、サバンナGSIIだけだった。「当時、維持できずに短い期間しか乗れなかったんです」。ロードスターに乗り換える直前は、4ドアの三菱ディアマンテ。どうして、スポーツタイプに振り切ったのか。
そこもドラマチックだ。
「実は、三菱ディアマンテを手放した後に、勤務先も徒歩圏内だったので、1年ぐらい車なし生活を送っていたんです。妻と2人、このままでいいかなと思っていました。それで、娘の妊娠を機に、『やっぱり車があると便利かな』と考え始めて……」。
静かでゆったりと乗れるセダンーー。老後に乗る乗用車のイメージはあった。だが、川合さんの実際は違った。
「たまたま勤め先の同僚が、初代NAに乗っていて、それを見ていたら、突然思い立ったんです。『俺は若い頃、これに乗りたかったんだよな』って」。ネットで探してみると、近所のディーラーに、現在の愛車が置いてあった。歩いて見に行った。「ひと目ぼれ」だった。
1つだけ、大きな心配があった。自分の急な決心。妻は納得してくれるのか。
「それこそ、私たちの世代は『いつかはクラウン』を夢見てきました。老後はベンツやレクサスの方も多いでしょう。妻には『この車じゃダメ』と言われる、そう思っていたんです」。(電動開閉の)リトラクタブル・ハードトップの映像を妻に見せて、あふれる思いを伝えた。
「ロードスターに乗っていなかったら、ウチでゴロゴロしているカビの生えたクソジジイになっていた」
結果は意外な返事だった。
「『この車、欲しいんだけど』と言ったら、妻の返事は『いいんじゃないの』でした。こちらが驚いて、『本当にいいの?』と聞き返したぐらいです(笑)」。勇気を振り絞ってよかった――。今でも心からそう思っているという。
今年で11歳になる初孫は、おじいちゃんの自慢の愛車がお気に入りだといい、「初孫がこの車を描いてくれたスケッチを、うちに飾っているんですよ。それに、どうも小学校の友達に、『じいじはスポーツカーに乗ってるんだ』と自慢しているみたいなんですよ」。満面の笑みを浮かべた。
相棒は、人生に新たな生きがいを与えてくれた。11年間で17万6000キロを走破。最初は1人で乗っていたが、愛好家の全国組織「ロードスタークラブオブジャパン(RCOJ)」に加入。愛車購入から2年後に、初めてツーリングに参加した。「この軽井沢ミーティングに感動しました。すごく楽しくて」。人生がまた大きく広がった。
そこからなんと、SNSを始めた。今では「ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、ミクシィ、他にもやっています。SNSでお友達がたくさんできて、ツーリングに出かけておいしいものを食べて。人生がより楽しくなりました」。JAF公認競技のオートテストにも取り組み、ちょっとしたレーサー気分も味わっている。「本当にロードスターに乗っていてよかったです。ロードスターに乗っていなかったら、ウチでゴロゴロしているカビの生えたクソジジイになっていたと思います」。
一昨年にはオーディオをチューンアップ。そして、川合さんのロードスターの最大の特徴は、エンブレムのおしゃれカスタムだ。背景を季節に合わせたデザイン柄に変えている。現在は、卯年に合わせた和柄にしている。「一昨年のクリスマスから始めて、正月やバレンタインなど。もうネタ切れになっています(笑)」。ユニークな個性を発揮している。
人の輪も広がり、青春時代をもう一度、目いっぱい楽しんでいる。「このまま元気に楽しく、お友達の皆さんとお付き合いをさせてもらえれば」と声を弾ませた。