再々婚で7児の母、堀ちえみの子育て論「親のお金でラクさせない」「好きなように生きなさい」

昨年デビュー40周年を迎えた歌手で女優の堀ちえみが、『堀ちえみ 40周年アニバーサリー CD/DVD-BOX』を発売し、東京と大阪でデビュー40周年記念ライブを開催するにあたりインタビューに応じた。舌がんの大手術を乗り越えた堀を支えたのが家族だ。89年に結婚し90年に長男、92年に次男、93年に3男を授かったが、99年に離婚。2000年に再婚し同年に4男、02年に長女をもうけた。10年に2度目の離婚をしたものの、翌11年に電撃結婚。相手の連れ子が2人いたため再々婚で7人の母となった。アイドルとして一世を風靡(ふうび)した母は子どもたちにどう接してきたのか? 自身の“教育論”を聞いた。3回連載で今回は第2回。

子への教育論を語った堀ちえみ【写真:荒川祐史】
子への教育論を語った堀ちえみ【写真:荒川祐史】

子への教えは「グリーン車禁止」、心の中では「厳しくてごめんね」

 昨年デビュー40周年を迎えた歌手で女優の堀ちえみが、『堀ちえみ 40周年アニバーサリー CD/DVD-BOX』を発売し、東京と大阪でデビュー40周年記念ライブを開催するにあたりインタビューに応じた。舌がんの大手術を乗り越えた堀を支えたのが家族だ。89年に結婚し90年に長男、92年に次男、93年に3男を授かったが、99年に離婚。2000年に再婚し同年に4男、02年に長女をもうけた。10年に2度目の離婚をしたものの、翌11年に電撃結婚。相手の連れ子が2人いたため再々婚で7人の母となった。アイドルとして一世を風靡(ふうび)した母は子どもたちにどう接してきたのか? 自身の“教育論”を聞いた。3回連載で今回は第2回。(取材・文=鄭孝俊)

――アイドルとして過ごした日々の苦労は子どもたちへの教育に活かされていますか。教育方針を教えてください。

「子どもに好きなように生きていきなさい、と言ってきました。だから生きていく力はみな持っていると思います。7人全員が大学に進みました。上の5人は就職まで面倒を見てきて、今年3月に6番目が大学を卒業して就職します。これで大学生はいちばん下の子だけになりました。みんなそれぞれ好きな道に進んでほしいし、やりたいことには協力してきました。あれしなさい、これしなさい、とは一切言わなかったですね。『本を読みなさい』という代わりに私が本を読む。そうすると、子どもも本を読むようになる。人に会うときも『あいさつしなさい』と言うのではなく、私がきちんとあいさつすれば、子どももきちんとあいさつできるようになるのでは、と考えるわけです。私は一生懸命生きてきたので、一生懸命生きる、一生懸命仕事する、一生懸命子育てするっていう部分を見せて行けば、何事に対しても一生懸命で誇りを持って生きていける人になるだろうと思いました。勉強しなさい、とも言いませんでしたが、けっこうみんな勉強が好きでそれぞれ大学に進学しました」

――母の姿を見て芸能界の仕事を目指したお子さんはいますか。

「それが誰もいなくて(笑)。私が芸能人だからと言って特別なことは何もしていません。普通に育てました。例えば誰かアイドルや歌手のコンサートのチケットが欲しい、と言っても私の伝手(つて)は一切使わず正規のルートで購入させました。『親が芸能人だからといって特別なことは何もない』とずっと言って育ててきたので。甘やかしてはいけない、というのがありました。お小遣いも決まった金額以上は渡さない。娘は学校の友達から『お母さんが芸能人だからお年玉多いよな』とよく言われたそうですが、実際の金額を明かしたら『うちの半分じゃん』と驚かれたそうです。

 芸能人の家だからと言って特別なことはありません。こんなことも言われたそうです。『いつも新幹線はグリーン車に乗っているんだろう?』と。実家がある大阪と東京を移動する際、私はグリーン車に乗ることもありますが、子どもは自由席です。正月やお盆など混んでいる時だけは指定席を取りますが、そんな時は私も指定席に乗ります。友達は信じてくれなかったそうですよ(笑)。グリーン車に乗るのが当たり前だと思ってしまうのは普通ではない。親のお金でラクしていては独立した人の道を歩めないと思っています」

――6番目のお子さんとは離れて暮らすのですか。

「主人は『家には子どもがあと2人しか残ってない。就職先の会社は家から通えるところだから家から通わせたら』と言いますが、私は家から出した方がいいと言っています。すごく寂しいですよ。コロナで大学の授業がオンラインになっていたのでいつも一緒にお昼食べて夜ご飯も一緒に食べていました。私が病気してからはずっと家事をやってくれてインターフォンにも彼が出てくれて。舌の手術で言葉が出ない時もすごく助かりました。子どもに寂しいとか悲しいとかっていう顔を親が見せちゃうと良くないっていうか。彼の独立の妨げになっちゃう。陰で泣いても子どもには『一人暮らし、頑張れ』と声をかけています」

――お子さんのたくましさは母親譲り。

「自分のことは自分でやれるような大人になってほしい。私はいつまでも元気でいられるわけではないから自分の生活は自分でして、それで自分の家庭を自分で持ってほしい。あれこれやってあげた方が簡単です。手を差し伸べないつらさは親としていちばんしんどい ですけど、心の中では『厳しくてごめんね』と思っています。いつか分かってくれる日が来るだろうなと思っています」

――母親としては芸能界の仕事にはあえて進んでもらいたくない、といった気持ちがありましたか。

「芸能界自体、簡単な世界ではありません。子どもにはどの道へ進んでも絶対一流になれって言い聞かせて来ました。自分の進んだ道の中で一生懸命頑張って、絶対1番になれって。私も1番じゃないと嫌な性格だったので。だからどんな職業も否定しないし、結婚についても誰と一緒になっても否定しません。本人同士が幸せだったらそれでいいです。親として自分の進むべき道を選んでいける子どもに育てていくまでの責任はあっても、その先は子どもの人生。やっと保育から解放されて私も自分の人生を満喫していきたいと思っています」

□堀ちえみ (ほり・ちえみ) 1967年2月15日、大阪府堺市出身。81年に開催された『第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に優勝して芸能界入りし、82年3月『潮風の少女』でデビュー。83年に出演したTBS系連続ドラマ『スチュワーデス物語』が日本中で大ヒットし、アイドルとして歌やドラマで活躍。17年にデビュー35周年を迎え東京・品川ステラボールで35周年アニバーサリーライブを開催した。19年2月に口腔がん、4月に食道がんの手術を受けリハビリを続けていた。20年に芸能活動を再開。現在、7児の母となり舌がん手術の影響は残るものの、テレビ出演の他、教育や食育にまつわるトークショー、音楽活動と幅広く活動中。血液型B。趣味・特技は子育て、料理、読書、旅行。

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