160キロ剛球を日本刀一閃 剣術の達人は“顔面あり”空手の最高師範 驚くべき指導法とは

バッティングセンターで時速160キロのボールを日本刀で真っ二つした動画で脚光を浴びた日本拳法空手道勇和会の鈴木勇悦最高師範は実戦空手の達人でもある。寸止めの伝統派空手や直接打撃制の極真空手とも異なり、顔面への打撃を認めるという危険なもの。格闘技のルール整備、競技化が進む中、「武術とは何か」をひたすら追求する異色の指導を行う理由とは――。

日本拳法空手道勇和会の鈴木勇悦最高師範【写真:ENCOUNT編集部】
日本拳法空手道勇和会の鈴木勇悦最高師範【写真:ENCOUNT編集部】

衝撃を受けた実戦空手 「あ、ここは本当の空手の道場だな」

 バッティングセンターで時速160キロのボールを日本刀で真っ二つした動画で脚光を浴びた日本拳法空手道勇和会の鈴木勇悦最高師範は実戦空手の達人でもある。寸止めの伝統派空手や直接打撃制の極真空手とも異なり、顔面への打撃を認めるという危険なもの。格闘技のルール整備、競技化が進む中、「武術とは何か」をひたすら追求する異色の指導を行う理由とは――。

 剣術のすご腕で話題になった鈴木さんはもう一つの顔を持つ。日本拳法空手道勇和会の最高師範。顔面ありの実戦空手を極め、弟子たちに教えている。

 鈴木さんが最初に出会ったのは伝統派空手だった。

「19歳のとき、沖縄で泊まった旅館のおじさんが元警察官で柔道の2段だったんですね。私が毎日柔道の打ち込みをしていたんですよ。10日ぐらいたっていたと思うんです。そしたら『お土産はお金を出せば買える。だけど、沖縄独自の武道・空手というのがあって、友達が道場を経営している。あなたは武道が好きなようだから、そこへ行ってみたらどうだ』と言われて、そこで空手と出会ったんですね」

 鈴木さんの仕事は鉄塔の設計や製図、施工だった。地方への出張が多く、その土地で空手道場を調べながら稽古を積んだ。

 そして20歳のとき、鈴木さんは東京・高円寺で山田侃(ひろし)師範の道場に行き、衝撃を受ける。そこでは伝統空手ではなく、実際に打ち合い、顔面への攻撃も認める実戦空手の稽古が繰り広げられていた。

「ほかの道場に行って稽古をしていてもなんとなくピンとこなかったんです。山田先生の道場に来て『あ、ここは本当の空手の道場だな』と思ったんですね。それで2月に入門して、その年いっぱいで会社を辞めて空手に専念することになりました」

 山田侃師範は、日本拳法空手道を創始した山田辰雄さんの次男。「大山倍逹先生の師匠筋にあたるのが、うちの先代の師匠なんです」という直接打撃制の源流だった。鈴木さんは尊敬する師匠のもとで、厳しい練習にのめり込んだ。21歳のときには日の丸を背負ってドイツに遠征するほどメキメキと実力をつけた。

「試合中に上段受けなんかやります? よける暇があったら殴れというのが私どもの考え方。今まで教わっていた空手とは全く違う。君子の武道と言われているものが実際には役に立たないんですね」

 常に実戦のやるかやられるかの状況を意識。

「侍であれば、敵が遠ければ弓・鉄砲ですよね。近ければ、槍・刀です。刀が折れてしまえば組み打ちですよね。素手で相手を制するということです。実際にやる場合は、流派も関係なければ段位も関係ない。いわゆる胆力なんですよ。それを練るのが一番肝心なこと」

 日本拳法空手道の段位は3つあった。練士(初段・二段)、教士(三段・四段)、範士(五段・六段)で、「利き腕と反対の手足で一発で相手を倒せるのであれば練士。左右で倒せるようになったら教士。そして範士となれば一目見て相手の力量を読める眼力がなければいけない。つまり、相手がやる気があるのかないのか、パッと見たときに相手を見抜くということですね」。

 鈴木さんは40歳のとき、範士になって独立した。

剣術の腕前は五段【写真:ENCOUNT編集部】
剣術の腕前は五段【写真:ENCOUNT編集部】

「見学者? ほとんど来ないです」 孤高の空手を守るワケ

 長いキャリアの中では、極真空手の指導者にも教えている。

 極真空手は顔面への攻撃を禁止しているが、「極真はそうですけど、実際にやる場合はそうじゃないでしょと言います。武術として考えたら殺し合いですよね。顔を殴っちゃいけないなんてことはないです。人間の本能として、一番最初に顔を殴ってきますよ。それを知らずに空手家なんて言ってたらダメだよ、武術は相手を倒す技術なんだから顔を殴っちゃいけませんなんてルールはないんだよと。私はそういうことを教えていました。古武術みたいなものですよね」と心構えを説いてきた。

 とはいえ、ケガのリスクも伴う実戦空手。武道がますます競技化するなか、弟子は集まるのだろうか。

「みなさん痛いから続かないですよ。一般の人からすると非常に分かりづらい。ボクシングでもなければ、キックボクシングでもない。寸止め空手でもない。見学者? ほとんど来ないです。でも、いいんです。師匠から教わっているのは、『メシのたねは自分で稼げ。空手を食い物にするな。気に入った人間でなければ教えるな』ということです。つまり人間性なんですよ。人間として成長しない人間は破門します」

 日本で初めてスポーツジムでの空手教室を依頼され、顔面への打撃なしで教えたこともある。それでも、鈴木さんの武術の真髄がぶれることはない。有名でなくても、弟子が集まらなくても、己の信じる道を進んでいく。武術の本来の姿にこだわる。まさに名もなき孤高の達人だ。

「隠れた名人、達人と言われる方たちは日本中には山ほどいると思う。ただ出てこないだけで。その方たちはみんな一風変わっていまして、自分の稽古だけにとにかく一生懸命やっているだけなんですね。自分との葛藤なんですよ。修行僧みたいなもんですよ」

 鈴木さんは熱いまなざしで結んだ。

□鈴木勇悦(すずき・ゆうえつ)1956年10月14日、秋田県湯沢市出身。中学卒業後、上京。19歳のとき、沖縄で空手に出会う。日本拳法空手道勇和会最高師範。現在は都内2か所で指導している。

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