西島洋介、「客がゼロになった」コロナで味わったどん底 月の売り上げ2万7000円からの再出発

新型コロナウイルスの流行で多くの飲食店が影響を受けている。長期にわたって客が減り、経営不振に陥って“コロナ倒産”する飲食店も増える中、著名人の店も例外ではない。ボクシングの元WBF世界クルーザー級王者で格闘家の西島洋介(49)は、2019年に千葉・柏市にオープンしたスポーツバーをコロナ禍が直撃。一時は月の売り上げが2万7000円のどん底を味わった。それでも、店を移転して再オープンさせた西島に当時の苦労や継続の理由を聞いた。

カウンターで開店の準備をする西島洋介【写真:ENCOUNT編集部】
カウンターで開店の準備をする西島洋介【写真:ENCOUNT編集部】

「店は広い、家賃は高い、客は来ない」の三重苦 それでも継続のワケ

 新型コロナウイルスの流行で多くの飲食店が影響を受けている。長期にわたって客が減り、経営不振に陥って“コロナ倒産”する飲食店も増える中、著名人の店も例外ではない。ボクシングの元WBF世界クルーザー級王者で格闘家の西島洋介(49)は、2019年に千葉・柏市にオープンしたスポーツバーをコロナ禍が直撃。一時は月の売り上げが2万7000円のどん底を味わった。それでも、店を移転して再オープンさせた西島に当時の苦労や継続の理由を聞いた。(取材・文=水沼一夫)

 人生山あり谷あり。そんな言葉を西島がかみ締めたのは2020年だった。前年にオープンのスポーツバーは豊四季駅前のビルの2階で立地がよく、中央にダンスフロアもあって多くの客が訪れていた。「私が寂しがり屋なので寂しい人が集まれるバーをやりたいなと思ってそれで始めたんです。1人で寂しくしているような、そういう人を元気にできたらいいなと思って」。来客は1日20~30人。客がグローブをはめ、1分間で西島を倒したらドリンク1杯無料などのイベントも人気で笑い声が絶えない店だった。しかし、コロナが発生すると、一気に風向きが変わった。

「今までと全然違いましたね。本当にもう、ドーンとコロナのゾーンに入っちゃいました」

 4月には1回目の緊急事態宣言が出された。客足がガクンとにぶった。常連客の間からは「嫁からコロナが子どもに移るので飲みに行くなと言われている」という声が聞こえてきた。それでも営業を続けていたが、夜間の不要不急の外出自粛がボディーブローのように効いてきた。

 店を開けても閉店まで客が来ない。「客がゼロになった」。心労で相棒も倒れた。ともに店を切り盛りしていた名物女性マネジャーのアンナ(あんなざん)がストレスから嘔吐を繰り返し、胃かいようを発症。西島は1人で店に立つことになった。これが、西島に特大のダメージを与えた。

「一番大変だった。私はもう彼女が休んだことしか頭にないくらいインパクトがあった。何日も休んで…。私はポツンと店に立っていた」

 もともと接客を担当。西島が座っているだけで集客につながっていた。運営はマネジャーに任せていたため、数あるメニューの金額や作り方も知らなかった。自らは下戸で酒とは無縁だった。「ハイボール作ってくれって言われたらコップの上までウイスキー入れて、お客さんがべろんべろんになっちゃって。酒を飲まないから作り方が分からないんですよ」(アンナ)。客からいくら支払えばいいのか、療養中のアンナのもとに連絡が来たほど。「お客さんから私に電話かかってきて、ハイボール3杯と氷と水でいくらですか?と」。8月には月の売り上げが2万7000円まで激減。家賃すら払えない状態に陥った。「店は広い、家賃は高い、客は来ない」の三重苦。これ以上、この場所で店を続けることはできなかった。

 少なくない額の借金を抱えた西島は返済と生活を維持するため、必死に働いた。ボクシングのパーソナル指導に加え、日雇いの仕事を請け負った。トラック運転手として配送業に携わり、夜は六本木の有名ディスコでSPをこなした。同時に友人のつてを探して、松戸市内にスポーツバーを移転。2か月後に再オープンした。「もうどうする? ってなりましたけど、移転すれば、狭くなるけど家賃も下がる」との思惑があった。アンナは本業の女優として稼いだ金を店に入れ、夜の街でも働いた。「私が何とかしなきゃと思いました。店は絶対につぶしたくなかった。コンパニオンをして、そのお金も店に回しました。店が終わってから洋介に『先に帰って』と言って」

マネジャーのアンナ(左)はとにかく明るい【写真:ENCOUNT編集部】
マネジャーのアンナ(左)はとにかく明るい【写真:ENCOUNT編集部】

西島を支えたトレーナーの言葉 「絶対諦めるなってことですよね」

 マネジャーとの二人三脚で、店はなんとか軌道に乗った。平日の前半は閉め、後半から週末にまとめて営業する方針に転換した。メニューやドリンクも500円と700円の2種類に分け、計算しやすいようにした。6月には柏から始まり3周年を迎えた。多くの芸能人からもらった花は今でも店頭に飾っている。亀田興毅や小比類巻貴之、内藤大助など親交の深い仲間が訪れた。西島は「マネジャーが頑張っていますし」と、アンナを称えた。アンナも「おかげさまで移動してよかったよね。ちょこちょこお客さん来てくれている。私もバイトしないで済んでいます」。

 コロナはその後も収まる気配がない。店は自粛や時短営業を繰り返してきた。「あのコロナさえなければ…」との思いもよぎる。だが、西島は言う。「絶対諦めるなってことですよね。『ネバーセイキャント(Never Say Can’t)』ってよくトレーナーが言ってたんですよ」

 昨年12月、興毅が主催する大会でボクシングルールのエキシビションを行った。かつて日本ボクシングコミッション(JBC)からライセンスの無期限停止処分を受け、総合格闘技に戦場を移した経緯があった。それでもボクシングが好きで、趣味で続けていた西島が長い年月を経て“ボクサー”に戻り、拳を交えた姿は多くの関係者に感動を与えた。

 そんな西島の生きざま、執念は飲食店経営に置いても変わらない。今、西島の夢はスポーツバーを大きくすることだ。「バーとジムを一緒にやりたいと思っているんですよ。今は箱がなくてパーソナルトレーナーの仕事はいろんなところに行って場所を借りてやっているんですよ。自分の場所を決めてやりたいなと思う」

 選手としても大一番を控える。24日には、チャクリキ愛媛大会で、ICO認定インターコンチネンタルヘビー級王者・入田和樹に挑戦する。

 昨年12月の試合を「ボクシングの引退試合」と位置付ける西島は、入田戦を「キックの引退試合」と表明。勝ってベルトを奪い、有終の美を飾るつもりだ。

 入田は現役の介護福祉士で、病院に勤務している。「コロナが拡大していると試合に出れないんです。菌をもらう可能性が高かったらダメなんです」(チャクリキの甘井もとゆき代表)という条件の中でも鍛錬を重ね、トップに上り詰めた王者だ。

 西島は「一度スパーリングしているんですよね。やっぱりすごい強くていい選手」と敬意を払いつつも、49歳でのベルト奪取に自信を見せる。「もちろん年齢とかいろんなこともありますけども、取りにいきますので。お客さんが喜ぶような試合をしたいのでKO勝ちしたいですね。12月以来、試合をしていないのでダメージも抜けている。痛みもないし、調子もいいです。ぜひ奪いたいですね」と気合を入れた。

□西島洋介(にしじま・ようすけ)1973年5月15日、東京都出身。92年、「西島洋介山」のリングネームでプロデビュー。日本唯一のヘビー級ボクサーとして脚光を浴びる。東洋太平洋クルーザー級王座、WBF世界クルーザー級王座を獲得。2003年に引退し、総合格闘技に転向。PRIDE、K-1に参戦した。現在は千葉・松戸に「スポーツバーAN」を経営する傍ら、多くの格闘家にボクシングを指導している。180センチ、95キロ。

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