「ダットサンは永久に不滅です」―日産名車を愛し続ける81歳の情熱、後世に伝える魅力
国産小型車の“原点”と呼ばれる日産「ダットサン」に、人生の情熱を注ぐ男がいる。愛好家の全国組織「全日本ダットサン会」を立ち上げた佐々木徳治郎会長(81)だ。母校の芝浦工業大に愛車コレクションの1台を寄贈することが決定。このほどブランドの生産終了が報じられたが、将来的な“復活”を願い、「この名車の素晴らしさを後世に残したい」と思いを強くしている。
「全日本ダットサン会」創設 芝浦工業大に寄贈ダットサンが常設展示予定
国産小型車の“原点”と呼ばれる日産「ダットサン」に、人生の情熱を注ぐ男がいる。愛好家の全国組織「全日本ダットサン会」を立ち上げた佐々木徳治郎会長(81)だ。母校の芝浦工業大に愛車コレクションの1台を寄贈することが決定。このほどブランドの生産終了が報じられたが、将来的な“復活”を願い、「この名車の素晴らしさを後世に残したい」と思いを強くしている。(取材・文=吉原知也)
80歳を過ぎても、かくしゃくそのもの。6月初旬に都内で行われた日産の名車が集うイベントでは、強い日差しが降り注ぐ会場を歩き回り、オーナーや関係者と笑顔で言葉を交わした。
そんな佐々木会長は、同大に入学後、自動車部でダットサンに出会った。日産の創業期からのブランドで、戦後のモータリゼーションを牽引(けんいん)した名車だ。「学生時代に仲間たちと、ダットサンで北海道や九州を回ってね。楽しかったよ」。青春の遠征ドライブを共にした仲間は今も皆元気といい、「集まる時は、思い出を語らって懐かしむんだ。大笑いして、おいしいお酒を飲む。これが長寿の秘訣(ひけつ)なんだよ」と、満面の笑みを浮かべる。
大学卒業後は、「これからは自動車の時代だ」と、車の仕事をなりわいとすることを決意。自動車工場に勤務したのちに、自動車整備などを行う会社を起業し、創業50年を迎えた。経営の傍ら、ダットサンの歴史や魅力を伝えようと、1985年に全日本ダットサン会を設立した。「夢を持とう、と思って1人で始めたんです。関係者のあいさつ回りに行く時に、『会員は?』と聞かれて、『徳治郎1名です!』と手作りの名刺を配る。そこから始めたんですよ」。現在は全国区で、小学生を含む260人を超える会員が活動。佐々木会長は今も“陣頭指揮”を執っている。
愛車はブルーバードP312型など15台
冥利(みょうり)に尽きるうれしいことがあった。母校・芝浦工業大の東京・豊洲キャンパス本部棟に、今年9月から佐々木会長のダットサンが常設展示されることになったのだ。37年式の「セダン 16型」の寄贈を予定している。ブルーバードP312型など15台の愛車のうちの1台だ。学生をはじめ、多くの人にダットサンを見てもらうことを楽しみにしているといい、「これまでダットサンを通して、いろいろな人と出会い、交流をしてきました。車は人と人を結んでくれる存在。『自動車って楽しいな』ということを伝えたいんですよ」。思いがあふれる。
「名前の語呂もいいし、海外の人にも知られて愛されている車」というダットサン。一方で、今年4月、再スタートを経て新興国向けとして展開してきた同ブランドの生産終了のニュースが駆け回った。それでも、熱血漢はめげることはない。「寂しい思いはあるけれど、ダットサン会としての活動をさらに広めて伸ばしていくことで、またいつか日産が『復活させよう』と思ってもらえるように頑張っていく。ダットサンは永久に不滅です」と力を込めた。
□佐々木徳治郎(ささき・とくじろう)、1941年3月31日、宮城県登米市生まれ。65年に芝浦工業大機械工学科を卒業。72年、株式会社サファリモータース創業。85年、全日本ダットサン会を設立。2022年6月には日産車の歴史や名車を振り返るイベント「プリンスの丘 自動車ショウ」の初開催に尽力するなど、精力的に活動を続けている。