かつての国際血盟軍・アポロ菅原の今 熊本でスポーツバーの店主になっていた
国際プロレスでデビュー後、全日本プロレス、新日本プロレス、SWSなどで活動したアポロ菅原が、熊本市(中央区黒髭4-2-33)に「apollo キッチン」を開店。プロレスとサッカーを中心に、食べて飲んで語り合えるスポーツバーを目指して、まずは居酒屋スタイルの食事処としてスタートした。
毎週金曜日午後8時更新「柴田惣一のプロレスワンダーランド」【連載vol.91】
国際プロレスでデビュー後、全日本プロレス、新日本プロレス、SWSなどで活動したアポロ菅原が、熊本市(中央区黒髪4-2-33)に「apollo キッチン」を開店。プロレスとサッカーを中心に、食べて飲んで語り合えるスポーツバーを目指して、まずは居酒屋スタイルの食事処としてスタートした。
「若大将」のキャッチコピーが似合っていたころと変わらぬ、若々しくさわやかな笑みを満面に浮かべる菅原は、2年前に庸(よう)夫人と結婚。それを機会に、夫人の住む熊本に移住してきた。
庸夫人はJ2・ロアッソ熊本の合宿所で寮母を務めていた。ロアッソの選手たちの旺盛な食欲を満たしてきた料理の腕を、今後はapollo キッチンでふるうことになったもの。
菅原は「ゆくゆくは、プロレスの配信番組やDVDやビデオを見ながら、俺が思い出話をしたり、サッカーはもちろん、色んなスポーツを楽しめる場にしたい。今は年中無休で、ランチとディナーを提供させてもらっている」と声を弾ませる。
将来的には、レスラーやJリーガーとのイベントも開催し、地元に密着したスポーツバーとしていく夢を描いている。
68歳とは思えぬ若さを保っている菅原は、まさに永遠の若大将。20年前にアジアンプロレスの北海道・月形町大会を最後にリングから降りている。「体力の限界というヤツかな。体のアチコチがピリピリしびれてね。25歳から48歳まで、23年のレスラー人生だったよ」と振り返った。
高校時代にレスリングで活躍したが、サラリーマン生活を送った後に1979年、国際プロに入門。高杉正彦、冬木弘道と並んで「三羽烏」と呼ばれた。
国際の崩壊後は全日本に移籍し、1983年のルー・テーズ杯にも参加。越中詩郎、三沢光晴、川田利明らとも対戦している。
エキシビションマッチで鉄人テーズに挑戦。「ヘソで投げる」バックドロップで、やられたが「今でも思い出す。早かった。やっぱりヘソなんだね」と、貴重な経験を思い出して宙を見つめた。「テーズさんが、限られた試合数の中で、俺を指名して2試合やってくれたんだ。後々、米ノーフォークのテーズ道場に入門した北尾光司に聞いたことがある。テーズさんが『テーズ杯の時にチャレンジしてきたヤングボーイの中でも、菅原は良い選手だった』と言っていたそうだ。俺の自慢だよ」とにっこり。世界のプロレス史でも「最強」と名高いテーズからのお墨付きには破顔一笑だ。