天心の妹分から女帝へ 寺山日葵が追いかけてきた神童の背中「恵まれた環境にいた」

RISE QUEENミニフライ級王者・寺山日葵が3月15日に引退を発表した。15歳で“那須川天心の妹分”としてデビューし、21歳で“女帝”として卒業するまでの間のさまざまな葛藤や、身近にいた“神童”の存在について話を聞いた。

“女帝”という名の重圧について明かした寺山日葵【写真:ENCOUNT編集部】
“女帝”という名の重圧について明かした寺山日葵【写真:ENCOUNT編集部】

「なんで私女帝になっちゃったんだろう」と考える日々

 RISE QUEENミニフライ級王者・寺山日葵が3月15日に引退を発表した。15歳で“那須川天心の妹分”としてデビューし、21歳で“女帝”として卒業するまでの間のさまざまな葛藤や、身近にいた“神童”の存在について話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

“女帝”とは対照的な性格。寺山自身も引退のそのときまで違和感はあった。しかし、その名、その実力を大きくしたのもその2文字があったからこそだ。

「そんな偉くないのにな、とか思いながら最後まで違和感をかかえながらやってましたね。小池百合子都知事が言われてたじゃないですか、私そこまで年齢いってない(笑)。正直、自分よりも格闘技をやってらっしゃる先輩もいるし、女子を制圧するようなすごい上の立場の感じがして、なんで私女帝になっちゃったんだろうと思っていました」

 そんな寺山はデビュー時には“那須川天心の妹分”として鳴り物入りでリングに上がっていた。「天心の名前のおかげでいろいろと注目してもらって、もちろんそれでたたかれたこともありました」と振り返る。

 次第に心の中に火が付いた。「最初のころはありがたいけれど、やっぱり天心の名前がないと注目されないんだなと考えるようになりました。インタビューとかでも天心って名前がつく。自分って何もないんだなと思っていました」と複雑だった胸中を明かした。

 そんな真面目で引っ込み思案な性格の背中を押してくれたのはRISEだった。

「リーダーシップを取っていくような人間性ではないのを分かってくれていました。逆に引っ張っていけるような堂々としたチャンピオンになってほしいという願いを込めて“女帝”とつけてくれたと聞いています」

 派手なKOが多い選手だったわけではない。戦績は23戦20勝2敗1分。20勝のうちKO勝ちは1つだけだ。それでも、不器用ながら一生懸命に“女帝”になろうとする姿が格闘技ファンの心を動かしていた。天心の妹分ではなく、着実に“寺山日葵”として浸透していった。

「那須川天心の“妹分”というのがなくなったのは素直にうれしかったです。自分の名前でも天心ほどじゃないけれど、知ってもらえるのは本当にうれしかった」と思わず白い歯がこぼれた。

“女帝”でなくなった今だからこそ気づいたこともある。「ベルトを持っているからちゃんとしなきゃとか選手として団体のベルトを持って先頭を引っ張っていかなきゃって意識はしてなかったけどどこかで考えてたことはあったのかもしれない」。

「人を殴らない蹴らない女の子に戻ります」。引退を表明して肩の荷が下りた。「無意識に思ってたことを考える必要がなくなったのかわからないですけどちょっとスッキリした感じはありましたね」。

次のページへ (2/2) 那須川天心は同門としても団体の選手としても大きな存在だった
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