5年生存率18.8%の「大腸がん」を克服 元リングス山本宜久が明かす“7年間の闘病”
3月上旬、かつてリングスやPRIDEで活躍し、“ヒクソン・グレイシーを追い詰めた男”と呼ばれた51歳の山本宜久が、自身のYouTubeチャンネルを更新。それによると、山本は42歳だった9年前にステージ4の大腸がん末期と診断され、5年生存率18.8%を知らされた。かつリンパや肝臓にもがんが転移していたが、放射線治療を拒否した山本は、独自の方法で49歳になるまでの7年をかけてがんに打ち克ったことを独白。そこで今回は“大腸がんを消した男”に話を聞いた。
1日に2キロの野菜を摂取
3月上旬、かつてリングスやPRIDEで活躍し、“ヒクソン・グレイシーを追い詰めた男”と呼ばれた51歳の山本宜久が、自身のYouTubeチャンネルを更新。それによると、山本は42歳だった9年前にステージ4の大腸がん末期と診断され、5年生存率18.8%を知らされた。かつリンパや肝臓にもがんが転移していたが、放射線治療を拒否した山本は、独自の方法で49歳になるまでの7年をかけてがんに打ち克ったことを独白。そこで今回は“大腸がんを消した男”に話を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
◇ ◇ ◇
――山本さん、ご無沙汰しています。
「久しぶりですね」
――かなり痩せているように見えますけど、いま体重はどのくらいですか?
「76キロですね。かなり減っちゃいました。前は106キロぐらいでしたので」
――YouTubeチャンネルの動画を見て初めて知った話ばかりだったんですけど、反響は?
「問い合わせ、結構多いですね。みんなビックリしてました」
――改めてその話を聞かせてください。
「最初に宣告されたのが7年前だったんです。その時はお腹の調子がおかしかった。汚い話ですけど、その時は便も黒かったから、病院に行って精密検査をしたら、『ちゃんと調べたほうがいい』って言われて、調べたらがん細胞があって、リンパと肝臓にも転移していたんです」
――それから放射線治療を試してみたけど、山本さんには合わなかったんですよね。
「そうですね。僕には合ってなかった。めまい、嫌悪感、吐き気、おう吐、じんましんも出て。これじゃあ抗がん剤で死んじゃうなあと思って、強引に退院したんですよ。その足で本屋に行って、がんのコーナーにある資料を全部読みあさって。そうしたら一冊の本に出会ったんです。そこには『私は余命3か月と言われたけど、そこからがんを克服しました』って書かれてあって。それを熟読しましたね」
――そこに書かれていた方法を、山本さんも実践したと。
「そうですね。いろいろ調べていくと、野菜の酵素ががん細胞を破壊するらしくて。だから低速ジューサーで野菜を取れと。それで電気屋で低速ジューサーを買って、野菜を2キロほど買ってきて、毎日ジュースを飲んでいましたね」
――がんを告知されたときに、結構、辛らつな話をされたとか。
「5年生存率が18.8%って言われました。だから、そんなに低い確率なの?と思って。あ然としましたね。俺、死ぬのかなあって、初めて『死』と向かい合いましたね」
――山本さんが大腸がんと診断されたのはおいくつの時でしたか?
「42歳ですね」
――40代なんて働き盛りなのに。でも、なぜ低速ジューサーを使った方法にかけてみようと思ったんですか?
「それはもう……直感ですよね。実体験が書かれた本だったから、それを信じてやってみようと思ったし。5年生存率が18.8%ですから、かなり低いじゃないですか。だから、自分でなんとかしなきゃいけないなって思って、必死こきましたね」
――いざ低速ジューサー生活がはじまるわけですけど、野菜ジュース以外はまったくとらないんですか?
「1食だけは普通に食べていましたね」
――あとの2食は野菜ジュース。
「いや、2キロを3回に分けて摂っていましたね」
――どんな野菜を?
「大根、人参、ごぼう、春菊、ブロッコリー、モロヘイヤ、ニラ、りんご、レモン……それを低速ジューサーで」
――低速と言いますが、どのくらいの時間をかけてジュースになっていくんですか?
「10分くらいじゃないですかね」