武田真治の“天狗”だった過去 紆余曲折の芸能生活32年、休養期間で学んだ「謙虚さ」
サックスプレイヤー、俳優、タレントとしてマルチに活躍を続ける武田真治がコロナ禍で延期になっていた芸能生活30周年記念ライブ「BREATH OF LIFE」を21日に東京・日本橋三井ホールで開催する。1990年のデビューから一線で活躍し続ける武田に、32年の芸能生活の振り返り、さらにはライブへ懸ける思いを語ってもらった。
芸能生活30周年記念ライブ「BREATH OF LIFE」を2年越しに開催
サックスプレイヤー、俳優、タレントとしてマルチに活躍を続ける武田真治がコロナ禍で延期になっていた芸能生活30周年記念ライブ「BREATH OF LIFE」を21日に東京・日本橋三井ホールで開催する。1990年のデビューから一線で活躍し続ける武田に、32年の芸能生活の振り返り、さらにはライブへ懸ける思いを語ってもらった。(取材・文=中村彰洋)
1989年に開催された「第2回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でのグランプリ受賞をきっかけに北海道から上京し、90年に俳優デビューを果たした武田。数々のドラマや映画に出演する傍ら、「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ)にレギュラー出演するなど活躍の場は多岐にわたった。一見すると順風満帆に見える芸能生活だが、その裏には計り知れぬ苦労を重ねていた。
26歳ごろに顎関節症を発症し、活動の一つでモチベーションの主軸としていたサックスが吹けない状態に陥ってしまった。さらに、体調不良や精神疲労も重なり、仕事をキャンセルせざるをえない状況に。若い頃を“天狗”だったと振り返る武田だが、この休養期間で意識は大きく変わった。
「たくさんの大人にみこしを担いでもらい、その上にいたことに気づきました。僕自身が大きな存在ではなかった、そのみこしの上の代わりはいくらでもいるということを知り、謙虚さを学びました」
また、体力面でも変化のきっかけとなった。今でこそ“筋肉キャラ”のイメージが強いが、トレーニングを始めたのもこの頃からだった。ミュージシャン・忌野清志郎との出会いも重なり、運動を徐々に始めるようになっていった。
「忌野清志郎さんって不健康なロックンロールを地で行くようなかただったんですけど、ちょうど体力をつけ直したい時期だったみたいなんです。そのタイミングで彼のバンドに誘ってもらったので、移動に自転車が必須となっていって(笑)。そこで僕も自転車から入って、体作りの大切さや“なにをするにも体が資本”という考え方を持つようになっていきました。
あの時期に運動するってことが習慣づきましたね。30歳手前ぐらいで初めて運動をし始めたので、追い込みすぎず、自分のペースでちょっとずつやろう、とりあえず毎日やってみよう、と。そういうところから入れたことが長続きしてる理由かなと思います」
この休養期間について、「弱い人の目線でものを見られるようになったという点は、僕にとってのいい経験だったかもしれないですね」と前向きに捉えている。