忌野清志郎が残した日本語「イマジン」 作曲家が歌詞から読み解く“平和への祈り”
ようやく日中穏やかな光に包まれる日も増えてきた。春は近い。例年なら、卒業や新たな旅立ちを迎える「希望」に満ちた季節である。しかしながら、みなさんもご承知のように、世界はますます混迷を極め、きな臭い。どうして、争いはなくならないのだろう? 分かりあえないのだろう? 心に浮かぶのは、あまりにも大きな「?」ばかりだ。
ボブ・ディラン「風に吹かれて」が投げかける理不尽な「?」
ようやく日中穏やかな光に包まれる日も増えてきた。春は近い。例年なら、卒業や新たな旅立ちを迎える「希望」に満ちた季節である。しかしながら、みなさんもご承知のように、世界はますます混迷を極め、きな臭い。どうして、争いはなくならないのだろう? 分かりあえないのだろう? 心に浮かぶのは、あまりにも大きな「?」ばかりだ。(文=“you-me”成瀬英樹)
かつて忌野清志郎というロックシンガーがいた。80年代「RCサクセション」のフロントマンとして一世を風靡(ふうび)した彼は、2009年にがんでこの世を去るまで、素晴らしい作品を多数残した。ポップな笑顔と少年のようなユーモアで、ステレオタイプの「良識」を笑いとばすように、世間を騒がせ続けた。
彼のステージでは、観客との定番のやりとりがあった。「愛しあってるかい?」と清志郎が叫ぶと観客が「イエーイ!」と叫び返すのだ。
死の前年、08年。彼の「最後の武道館コンサート」になってしまった「忌野清志郎 完全復活祭」で、ステージの最終盤、清志郎はゴスペルのごときオルガンのあおりに乗せて、観客に熱く、こう問いかけた。
「ご機嫌だぜ、イエイ。素晴らしい夜だ……ここには平和がいっぱいだ。でも世界中を見渡すと戦争や紛争もいっぱいだ。テロや、飢えた子どもたちもいっぱいだ……どうしていつまでもみんな仲良くできないんだろう? 最近世の中は殺伐としてるけど、21世紀になってもう随分たつけど、世界は全然平和になんないけど……。今夜みんなに聞きたいことがあるんだ……聞きたいことが、あるんだ……」
清志郎は武道館の客席を見わたし、手を広げ、こう叫んだ。
「愛しあってるかい? あいし・あってるかーーーい!?」
今、世界に必要なのは、愛と平和の「?」ではないか。
「友よ、その答えは風に吹かれている」。ポップ界唯一のノーベル文学賞受賞者であるボブ・ディラン「風に吹かれて」(1963年)の一節だ。この名作で、ディランはいくつかの理不尽な「?」を投げかける。
「どれだけ砲弾が飛べば それは永遠に禁じられるのか?」「どれほどの死がもたらされたら……」など9つの「?」に「友よ、その答えは風に吹かれている」と受ける。
筆者はずっと「答えは風に吹かれている」という状態をある種の「諦観」の感覚で捉えていた。答えは風にふわりと舞っている、曖昧な状態である、と。しかし、それは間違っていたことに気がついた。
答えは「風に吹かれて」いるほどに明白だ。なぜなら「風」は見えないが、感じることができる。答えはしっかりと風の中にあり、我々はその風に吹かれている。風を感じているはずだ。だから現実から目を背けてはいけない。ディランはそう歌っていたのだと感じた。
この歌に出会って40年、筆者はこれまで一体、「風に吹かれて」の何を聴いていたのだろう?