石井ふく子さんの毎晩10時の悲痛 日課だった橋田寿賀子さんとの会話「電話に手が行く」

TBSの石井ふく子プロデューサーが、3月5日に開催される脚本家・橋田寿賀子さんをしのぶオンラインセミナー(橋田文化財団主催)に話し手として出席するにあたり、このほど取材に応じ、橋田さんへの思いを語った。昨年4月に急性リンパ腫で亡くなって間もなく一周忌。橋田さんから託された“遺言”のほか、60年近く家族のように接してきた大切な存在を亡くした悲しみを毎晩10時過ぎの悲痛な近況を明かした。

家族のように接してきた石井ふく子さん(左)と橋田寿賀子さん【写真:(C)橋田文化財団】
家族のように接してきた石井ふく子さん(左)と橋田寿賀子さん【写真:(C)橋田文化財団】

3月5日の橋田文化財団主催のオンラインセミナー「橋田寿賀子を偲ぶ」に話し手で参加

 TBSの石井ふく子プロデューサーが、3月5日に開催される脚本家・橋田寿賀子さんをしのぶオンラインセミナー(橋田文化財団主催)に話し手として出席するにあたり、このほど取材に応じ、橋田さんへの思いを語った。昨年4月に急性リンパ腫で亡くなって間もなく一周忌。橋田さんから託された“遺言”のほか、60年近く家族のように接してきた大切な存在を亡くした悲しみを毎晩10時過ぎの悲痛な近況を明かした。

「すごくせりふが長いことが橋田寿賀子ドラマの特徴でもありました。でも、その中に橋田さんの思いが、人と人との思いがすごく詰まっているんです」

 そうセミナーで伝えたいと語ると、多くの橋田作品が世の中に愛された要因と橋田さんから託された“遺言”も語った。

「時代、時代の家族の話を描いたから。人と向かい合って、きちっとせりふを伝える。せりふというより心を伝えて、相手からその心に対する返事をもらうやり方だと思います。亡くなる前、橋田さんから電話で言われたことがあります。『絶対にホームドラマをやってね。家族のドラマを続けなさいよ』と。私も一人っ子、橋田さんも一人っ子。家族に対するいろんな思いや憧れがあったと思います」

 橋田さんが亡くなって10か月。今の心境と毎晩10時の悲しいエピソードを、声を詰まらせながら明かした。

「後ろを振り返っても誰もいないなという気持ちです。だから何をどうしたらいいのか。夜10時になると電話に手が行ってしまうんです。生前、毎日、夜10時から11時の間に電話をしないと怒られていましたから。『元気?』『どうしてる?』と互いに言い合って毎日過ごしていました。橋田さんはスイカが大好きで、亡くなった後、私がスイカをいただいた時に思わず『送ってあげて』と言って、みんな黙っちゃったんです。それで気が付いたことも。いつも心の中に、頭の中に橋田さんとの歴史がずっと詰まっていたなという気がしています」

 オンラインセミナーには脚本家を目指す人もいるかもしれない。話し手として参加を決めた理由も聞いてみた。すると橋田さんから託されたもう1つの思いを紹介してくれた。

「橋田さんから亡くなる前、『これからの作家が、きちっと日本語を話すドラマを書けるように頼みたいの。そういう人のために橋田文化財団を作ったの。だから、あなた、しっかりやってよ』と言われました。橋田さんは絶対に殺人は描きませんでした。人と人の間には心のサスペンスがいっぱいあると思います。(描いてきたのは)それをどう解決するかという人間同士のドラマ。私は、そうした橋田さんのやりたかったことを続けていきたいです。あと、私、最近、若い方の脚本の言葉が分からなくなってきたんです。どんな年代にも分かる言葉を書いて表現してもらいたいなと思います。橋田さんがずっと思っていた人間の心、愛、優しさ、厳しさ、そういうことを1つのドラマの中に表現していく。それをずっと続けてきた橋田さん。私たちも学んでいきながら、皆さんも学んでくださったらうれしいです。今まで頑張ってきたことを伝えることは、橋田さんへのご恩をちょっとでも返したいという気持ちなんです」

橋田文化財団のオンラインセミナーの詳細はhttps://hashida.or.jp/

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