【三田佐代子さん特別寄稿】中西学 第三世代の仲間たちと踏みならした最後の野人ダンス
「ファイティングTVサムライ」キャスターを務める三田佐代子さんが、引退した新日本プロレス中西学選手への思いを特別寄稿。1996年に初めて中西学という存在を知り、2020年2月22日の引退試合を至近距離で取材。約24年に及ぶ思いを存分に綴ってもらいました。
ゴツくて、大きくて、ワイルド。中西学はプロレスラーのあるべき姿だった
そのひとの名は、クロサワ、といった。
1996年の夏のことだ。アメリカで活躍している、という日本人レスラーの姿をプロレス雑誌で見た。その選手は長い髪を振り乱し、もの凄い筋肉質の身体を黒タイツ一枚に包んでいた。うわ、凄くカッコいい。私は一目でその選手に惹かれ、この人のことを追いかけていこうと決めたのだ。それが中西学、アメリカではクロサワと名乗っていた選手だった。
レスリング重量級でオリンピック出場経験もある中西学は、鳴り物入りで新日本プロレスに入団し、1992年にデビュー。ヤングライオンと呼ばれる新日本の若手選手の中でも、ひときわ将来を期待された。開局したばかりのプロレス専門チャンネルでプロレスキャスターを務めることになっていた自分にとって、中西学は教科書で初めて見たプロレスラーのように脳内にすり込まれた。ゴツくて、大きくて、ワイルド。中西学こそが、プロレスラーのあるべき姿だと思った。
1999年には武藤敬司を豪快にアルゼンチンバックブリーカーで担ぎ、デビューわずか7年目にして新日本プロレス夏の本場所、G1クライマックス優勝。すぐに新日本プロレストップの証であるIWGPヘビー級チャンピオンになり、日本を代表するプロレスラーになるだろう。誰もがそう思っていたし、他ならぬ私自身、そう思っていた。でもその日が来るまではずいぶん時間がかかってしまう。
"野人"と呼ばれた男だが、実は繊細な一面も
中西学と言えばワイルド、野人、そんなキャッチフレーズがすぐに思い浮かぶ。けれどいつからか、本人はそのイメージに自分を合わせていくことにとまどっているように見えた。若手時代から中西をよく知る天山広吉は、「ニシオ(中西の愛称)くんはこう見えてものすごく繊細なんですよ」と言う。中西といえば京都弁で、上半身ハダカでビルの屋上でスイカにかぶりついたりする写真がインタビューページを飾っていたのが、ある時期からは丁寧な言葉遣いで、きちんとシャツのボタンを上まで留めて写真に撮られるようになっていた。それはただひたすらに豪快で長髪を振り乱す中西学を追い求める私たちには少し物足りなく感じたが、中西本人としては新日本を代表する選手になるためには自分がきちんとしなければいけない、と思っていたようだった。
2002年には札幌での「猪木問答」でアントニオ猪木に「おめえはそれでいいや」と突き放される。2003年にはK-1ルールの試合に挑戦し、敗れる。中西ひとりの力ではどうにもならないほどに新日本プロレスが揺れ動いていた時代で、猪木問答にしても「お前は何に怒っている?」と尋ねられ、武藤敬司ら選手の大量離脱があった直後だったので「全日に行った武藤です」という中西の答えは別に間違っていないと私は思うし、K-1ルールでの試合も総合格闘技ブームに揺れ動く新日本プロレスにおいてそれを断れる状況にはなかった。新日本プロレスにおいて中西はじめ第三世代と呼ばれる天山広吉、小島聡、永田裕志たちはみな、30歳前後というプロレスラーとして一番大切な時期に会社とプロレスのありように翻弄されたが、誰ひとり自分たちの不遇を時代のせいにしたり会社のせいにしたりしなかった。気がつけば新日本の主役は若く華やかな棚橋弘至や中邑真輔(現WWE)が担っていて、もう中西学がIWGPを巻くことはかなわないと、私もそして多くのファンも心のどこかで諦めていた。
しかしその日は突如訪れる。2009年5月6日、そのわずか3日前に後藤洋央紀を倒しIWGPヘビー級の防衛を果たしていた棚橋弘至がリング上で次の挑戦者として中西学を指名。G1優勝から10年が経ち、中西学はもう長髪ではなくなっていた。後楽園ホールで行われたIWGPヘビー級選手権、髪を短く刈り込み、コスチュームは相変わらず黒いショートタイツ一枚。一方、若いチャンピオンの棚橋弘至は茶色く染めた髪を伸ばし、派手なガウンにロングタイツ。世代の違うプロレスラー同士が向かい合っていることは誰の目にも明らかだった。
機敏に動き、中西の巨体を支える足を重点的に攻めるチャンピオン棚橋。王者の緻密な攻撃を、顔面をアイアンクローで掴むという予想外の反撃で切り返す中西。代名詞であるアルゼンチンバックブリーカーを何度ほどかれても諦めず、最後はロープに振ってからの特大☆中西ジャーマンで3カウント! 記者席にいながら私は飛び上がる。お客さんも総立ちで中西に拍手を送っている。解説席の山本小鉄さんが涙をぬぐう。中西学、デビュー17年目。6度目の挑戦で初めて手にした、IWGPヘビー級のベルトだった。口下手な中西の「中西学を今まで見捨てずにいて頂いてありがとうございました」の言葉に、小鉄さんだけでなくみな涙した。信じていたけれど信じられなかった。信じられなかった自分を恥ずかしく思うほどに、嬉しかった。たぶん、あの日後楽園にいた人たちは、みんなそんな気持ちだったんじゃないだろうか。