【オヤジの仕事】川﨑麻世さん 今だから語れるカイヤと夫婦を続けた理由、そして離婚を決断したきっかけ
2月3日、東京家庭裁判所で離婚が認められ、慰謝料なし、などの判決を勝ちとった俳優・川﨑麻世(56)さん。カイヤ夫人(57)が控訴したため、まだ裁判は終結していないものの、少しホッとしただろう。それにしても、いろいろあった2人がこれまで離婚しなかったことのほうが不思議、と感じている人も多いのではないか。そして、川﨑さんは今、ここにきて裁判を起こしてまで離婚しようとしたのはなぜなのか。それには川﨑さんの実の父親の存在があったという。川﨑さんに詳しい話を聞いた。
実父は事故で死んだと聞かされていた
2月3日、東京家庭裁判所で離婚が認められ、慰謝料なし、などの判決を勝ちとった俳優・川﨑麻世(56)さん。カイヤ夫人(57)が控訴したため、まだ裁判は終結していないものの、少しホッとしただろう。それにしても、いろいろあった2人がこれまで離婚しなかったことのほうが不思議、と感じている人も多いのではないか。そして、川﨑さんは今、ここにきて裁判を起こしてまで離婚しようとしたのはなぜなのか。それには川﨑さんの実の父親の存在があったという。川﨑さんに詳しい話を聞いた。
僕の両親は僕が1歳半の頃に離婚していて、僕は母に連れられ、母方の祖父母の元で育ちました。僕は“お父さんは俳優だったけど、船の事故で亡くなった”と聞かされていました。父は1960年代、映画に安住譲という芸名で出演していた松竹京都所属の俳優だったんです。
父が生きていることは、15、16歳の頃に週刊誌の報道で知りました。すぐに大阪の実家に帰って母に「どういうこと?」と問い、詳しい事情は、当時の事務所の計らいで母と2人、ロサンゼルスに急きょ飛んでじっくり聞かせてもらいました。母の話では、僕の父方の実家は事業をしていてとても裕福だったのに、祖父が派手に遊んで使って破産してしまい、離婚するしかなかった、と。僕に真実を早く伝えようと思いながらもなかなか打ち明けられず、バレて騒動になったらどうしよう……と自殺を考えるほど悩んだ、と言っていましたね。
30歳のときに父と涙の再会
父が生きていると知ってからも、僕は会いたいとは思いませんでした。憎かったわけではなくて、単に無関心というか。父の記憶はまったくなかったし、祖父母や母にかわいがって育ててもらい、寂しく思ったことはほとんどなかったので。ところが、その後、結婚し娘が生まれたのに結婚生活がうまくいかなくて、僕はずっと闇の中で苦しんでいました。ケンカはしょっちゅうだし、束縛がきつくて自由に外出できず、舞台の仕事をしたときも打ち上げにすら参加できなかったんですから。
もがき苦しみながら哲学や人生論の本を読んでみたり、瞑想や呼吸法を実践してみたりしていたとき、家族ぐるみでおつきあいをしていた国際結婚夫婦の家族に、六本木にあるカトリック教会に誘われて行ってみたんです。目を閉じてお祈りしていたら、「お父さんに会いなさい」という声が聞こえてきた気がして……。僕が30歳のときです。
僕の悩みとお父さんに何の関係があるのかピンとこなかったんですけど、以前、舞台の楽屋に訪ねて来たことがあった父方の叔母に連絡して、会う段取りをつけてもらいました。大阪にあるその叔母の家で会ったとき、最初はその人がお父さんだとわかりませんでした。父の姿を写真で見てはいても、その写真の頃から30年近くたっていましたから。でも、すぐに「あ、この人が……」と気づいて抱きしめました。