「大みそか=格闘技」を決定づけた20年前 安田忠夫がバンナを倒した日から受け継がれるもの
過日、アントニオ猪木の闘魂タオルがRIZINのVVIP席の購入特典に追加されることが発表になった。「闘魂」と刺しゅうされた赤いタオルに、RIZINのロゴも刺しゅうされるという特注品。実は大みそかと猪木の関係は切っても切れないものだった。もう今から20年も前の話になるが、今回は温故知新とばかりに、当時の年末の様子を振り返る。全2回の後編。
“プロレスハンター”ミルコ・クロコップの誕生
過日、アントニオ猪木の闘魂タオルがRIZINのVVIP席の購入特典に追加されることが発表になった。「闘魂」と刺しゅうされた赤いタオルに、RIZINのロゴも刺しゅうされるという特注品。実は大みそかと猪木の関係は切っても切れないものだった。もう今から20年も前の話になるが、今回は温故知新とばかりに、当時の年末の様子を振り返る。全2回の後編。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
2001年の大みそかにさいたまスーパーアリーナで開催された「INOKI BOM-BA-YE 2001」は、地上波のゴールデンタイムで中継された、初の格闘技イベントだった。
この際、初のスタジアムバージョンを採用。ここからこの仕様が使われ始め、PRIDE時代は年に4回もこのバージョンで大会が開催されたこともある。
だが、魔裟斗がアンディ・サワーを相手に引退試合を行い、北京五輪柔道金メダリストの石井慧が吉田秀彦を相手にデビュー戦を行った09年大みそか以来、もう11年以上、この仕様を使っての大会は開催されていない。
そんな記念すべき初のスタジアム仕様で行われた「INOKI BOM-BA-YE 2001」は、猪木軍VSK-1軍による対抗戦だった。
とはいえ、与られた器の大きさに反して、猪木軍の中心核がどうにも決まっていかない。
そして一方のK-1軍も、決して順当にそのメンツが決まっていったわけではない。
というのもK-1はK-1で、この頃は毎年、12月の上旬に東京ドームで「K-1グランプリ決勝戦」を開催していたため、これが終わらないことには大みそかに出場するメンバーが決まらない事情があったからだ。
しかしながら唯一の例外が存在した。対猪木軍用に急きょ、白羽の矢が立ったファイターが見つかったのだ。
ミルコ・クロコップである。
ミルコはこの年、「K-1グランプリ」の予選で早々に敗れていたことから、その先に進む出場資格を失っていた。
そこでK-1ファイターであるミルコに、猪木軍と闘うためのMMA対策を勧めた結果、ミルコは夏に開催された前哨戦で、試合開始早々、タックルにきた藤田和之にヒザを合わせ、顔面から大出血を流させる。
結果、ミルコのTKO勝利!
ミルコはここから一気に時代の寵児(ちょうじ)に成り上がることになる。
実際、大みそかには新日本プロレスの永田裕志にハイキック一閃! これ以降、ミルコは必殺のハイキックを武器に、プロレスハンターとして名をはせ、PRIDEやK-1、RIZINでもトーナメントの優勝を果たし、UFCにも参戦。ミルコの試合が母国クロアチアで中継されると高視聴率をはじき出し、国会議員になるまでの存在感を身につけた。
そして結局、18年に引退を表明するまでの間、ミルコの牙城を崩せる日本人ファイターは誰も現れなかった。