【週末は女子プロレス♯22】元アイドルレスラー・府川唯未のいま 子育ては一段落 新たな夢の実現へ
府川唯未(全女時代は本名の府川由美)は、1990年代を代表するアイドルレスラーだ。可憐なルックスがデビュー前から評判を呼び、瞬く間に女子プロ界がざわついた。しかしデビュー2戦目で右鎖骨を骨折し、いきなり1年半の欠場。それでも復帰後は玉田りえとのタマフカで人気を呼び、実力もつけた。97年8月にアジャ・コングらとともに全日本女子プロレスを離脱し、翌年2月のアルシオン旗揚げに参画した。アルシオンでは関節技を磨き新境地を切り開くも2000年7月に急性硬膜下血腫、くも膜下出血を患い、01年3月の吉田万里子戦で引退した。93年11月12日から01年3月20日まで…実はキャリア10年も満たずにリングを降りたのだが、鮮烈な印象で女子プロ界に多大なる貢献を果たしたと言えるだろう。引退翌年には当時バトラーツの田中稔と結婚、現在2児の母だが、現在はどうしているのだろうか。
プロレス界がデビュー前からざわついたアイドル的ルックス
府川唯未(全女時代は本名の府川由美)は、1990年代を代表するアイドルレスラーだ。可憐なルックスがデビュー前から評判を呼び、瞬く間に女子プロ界がざわついた。しかしデビュー2戦目で右鎖骨を骨折し、いきなり1年半の欠場。それでも復帰後は玉田りえとのタマフカで人気を呼び、実力もつけた。97年8月にアジャ・コングらとともに全日本女子プロレスを離脱し、翌年2月のアルシオン旗揚げに参画した。アルシオンでは関節技を磨き新境地を切り開くも2000年7月に急性硬膜下血腫、くも膜下出血を患い、01年3月の吉田万里子戦で引退した。93年11月12日から01年3月20日まで…実はキャリア10年も満たずにリングを降りたのだが、鮮烈な印象で女子プロ界に多大なる貢献を果たしたと言えるだろう。引退翌年には当時バトラーツの田中稔と結婚、現在2児の母だが、現在はどうしているのだろうか。
「プロレスやめてちょうど20年かあ(微笑)。最近は新しい家族が増えて、コザクラインコのサクちゃんとロングチワワのルークという男の子が我が家に来たんですよ。夫がプロレスラーなのでプロレス界ともつながりがあって、10月2日に『逗子プロレス祭り』という大会を企画していました。だけど新型コロナウイルスの影響で来年3月12日(土)に延期になっちゃったんですよね」
「逗子プロレス祭り」とは神奈川県逗子市で開催される田中稔プロモーション興行。昨年10・3逗子アリーナで行われ、府川も井上京子&Sareee組のセコンドについたのをはじめ、裏方として夫をアシストした。今年の開催も決まり毎年恒例のイベントとして進行していたのだが、田中がGLEAT所属となったこともあり、「府川唯未プロデュース大会」に方向転換。「旦那はもうゲストです」と、府川は笑う。
「参戦選手やカードも自分で決めていったんですけど、いろいろ大変で心が折れそうになって(苦笑)。引退してからずっとプロレスの仕事してきたわけじゃないから戸惑うことが多かったです。でも先輩の力を借りたりして、なんとか折れずにやってきましたね。だけどけっこう近くになってから延期が決まってしまって。それでもあくまでも延期なので、来年もこの(発表済みの)メンバーでいけるといいんですけど、みなさんお忙しいからなあ」
戸惑いの連続だったと振り返る府川だが、一昨年6・18新木場での「田中稔デビュー25周年記念大会」では「府川唯未プロデューサーマッチ」として1試合をマッチメークした。Sareee(現サレイ=WWE)とジュリアのシングルマッチである。この試合を見て、彼女の目のつけどころに舌を巻いた記憶がある。まずはSareeeありきで対戦相手を選んだとのことだが、アイスリボンで偶然目にしたジュリアの姿が気になったというのだ。
「そのときは別に探してたわけじゃないんですけど、この子いいなと思ったのがジュリア。立ち振る舞いがすごいなと思ったし、いい雰囲気で大会を終えるのが団体のカラーなのに1人ふてくされた顔してて、異質なものを感じたんですね。そこは彼女のいいところだろうし、そこをもっと伸ばしたらいいんじゃないかと勝手に思ってしまいました(笑)。試合では“闘い”をしてほしかったので、Sareeeちゃんに突っかかっていけるような選手だと思い、お願いしたんです」