【ズバリ!近況】巨人ドラフト1位の元投手・河原純一は愛媛に10年 5年前に年下女性と再婚していた

プロ野球ドラフト会議で指名を受けた選手が仮契約を交わしたニュースが流れ始めた。来季への期待に胸が高鳴る。なかでも、今季の終盤に10連敗を記録した読売ジャイアンツのファンは「来季こそは」の思いひとしおだろう。そのジャイアンツにドラフト1位で入団し、1年目の1995年から先発として活躍しながら早々に結婚し、ファンを驚かせた投手がいた。河原純一さん(48)だ。30代半ばには1年浪人後、中日ドラゴンズで復活したことでも話題になった。河原さんは今、どうしているのか。四国の独立リーグのチーム・愛媛マンダリンパイレーツ(松山市)の球団事務所で河原さんに話を聞いた。

ドラフト1位で巨人入りした河原純一さん【写真:ENCOUNT編集部】
ドラフト1位で巨人入りした河原純一さん【写真:ENCOUNT編集部】

愛媛・松山に来て10年、なぜ愛媛なのか?

 プロ野球ドラフト会議で指名を受けた選手が仮契約を交わしたニュースが流れ始めた。来季への期待に胸が高鳴る。なかでも、今季の終盤に10連敗を記録した読売ジャイアンツのファンは「来季こそは」の思いひとしおだろう。そのジャイアンツにドラフト1位で入団し、1年目の1995年から先発として活躍しながら早々に結婚し、ファンを驚かせた投手がいた。河原純一さん(48)だ。30代半ばには1年浪人後、中日ドラゴンズで復活したことでも話題になった。河原さんは今、どうしているのか。四国の独立リーグのチーム・愛媛マンダリンパイレーツ(松山市)の球団事務所で河原さんに話を聞いた。(取材・構成=中野裕子)

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 東京から愛媛・松山に来て10年になります。最初は選手として、2015年の現役引退後は17年から今季まで監督として、来季はフロントとして球団に残ります。今後はチームにとって今、一番必要な編成――スカウトに力を入れ地元・愛媛をはじめ四国、できれば九州や中国地方まで足を伸ばし将来性のある選手獲得に努めたいと思っています。愛媛に長くいるのは東京に戻りたくない、と思っているからではもちろんありません。流れというか、ここで求められているなら、今はここでやらせていただこう、ということです。

 最初は、愛媛に特に縁があったわけではありませんでした。12年にドラゴンズを自由契約になってトライアウトを受けたところ、最初に連絡をくれたのがたまたま愛媛マンダリンパイレーツだったのです。「愛媛で1年やって、来季のNPB復帰を目指したらどうですか」と。連絡をいただいたときは独立リーグのことをよく知らずまったく考えていなかったのですが、話をうかがってみて「野球を続けられるなら有り難い」と思って愛媛に来ました。

現役にこだわったのは不完全燃焼だったから

 でも、実際に独立リーグでプレーするのは大変でしたね。モチベーションを保つのが難しいし、至れり尽くせりだったNPBとは環境が全然違う。移動もみんなでバスだし、マッサージなど身体のケアもじゅうぶんにできず、39歳という年齢もあって、ベストなコンディションを保てませんでした。最後の1年はほとんど投げられず、これ以上やらせてくれ、とは言えなくなり42歳で引退しました。

 NPBでも1年浪人してドラゴンズに拾ってもらうなど、長く現役をやらせてもらいました。現役にこだわったのは不完全燃焼だったから。ケガに泣かされ3度も手術しましたから、もっとやれるはずじゃないか、という思いがくすぶり続けていました。でも、現役時代の半分はまともに投げられなかったのでプロ失格。技術や精神的なタフさは持っていたと思いますが、身体がついてきませんでした。生まれ持った強い身体も、プロとして活躍するには、必要な才能だと痛感しました。

 現役時代はなかなか食べられず、食べても身にならず、身長は183センチなのに、体重は入団時68キロ、がんばっても75~76キロにしかならず、強い身体を作ることができませんでした。ところが、年をとってから食欲が旺盛になり今では抑えるのが大変なぐらいで、81キロあります。引退し、監督に就任するまでの1年間は愛媛マンダリンパイレーツを運営する広告会社「星企画」で会社員生活をしていたのですが、そのときは87キロまでいきました(笑)。身体が重くキレが悪くなったので食べ過ぎないよう努め、運動も始めました。今ではほぼ毎日1、2時間早歩きし、スクワット100回など筋トレもやっています。元気で動けないと長生きしてもつまらないと強く思うので、運動は心がけています。

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