プロレスラーKENSO、今はエリートサラリーマン 山本小鉄さんがあ然秘話も【連載vol.57】

「プロデューサー」。現在のKENSOの肩書である。フジサンケイグループ(株)共同テレビジョンで、制作センター第三制作部に所属する管理職であり、現場でもバリバリと仕事をこなしている。

このスマイルでプロジェクトを指揮するKENSO、仕事は絶好調だ【写真:柴田惣一】
このスマイルでプロジェクトを指揮するKENSO、仕事は絶好調だ【写真:柴田惣一】

敏腕プロデューサーとして活躍「どんどん人の輪が広がっていく」

「プロデューサー」。現在のKENSOの肩書である。フジサンケイグループ(株)共同テレビジョンで、制作センター第三制作部に所属する管理職であり、現場でもバリバリと仕事をこなしている。

 テレビ番組の制作はもちろん、CM撮影、イベントや出版などのプロデュース、キャスティング…「何でも屋です」と笑うが、ありとあらゆる仕事に取り組んでいる。

 スーツにネクタイをさっそうと着こなし「エリートサラリーマン」がすっかり板についてきた。優しい言葉に物腰…「レスラー」KENSOを知る人は驚くことだろう。

 190センチを超える長身に服の上からでも分かる筋肉質の体。元々は明治大学ラグビー部で大学日本一に輝き、日本代表クラスの合宿にも参加したことのあるスポーツエリートだった。卒業後は地元のテレビ局にUターン就職したが、1999年にスカウトされ新日本プロレスに入門している。

 2000年の1・4東京ドーム大会でデビュー後、スピード出世を果たし、01年棚橋弘至と「タナケン」コンビを結成。将来のエース候補として期待も高かった。

 その後、WJを経て米WWEに進出。浩子夫人とともに活躍した。帰国後はハッスル、メキシコ、全日本プロレスと戦場を移しながら15年にはフリーとなり、さまざまな団体に参戦してきた。

 日本、米国、メキシコのメジャーからインディ団体まで、幅広い活動と経験は貴重。一時期はIGF・上海道場のコーチも務めていた。

 現在の仕事にラグビー、プロレス時代に築き上げた人脈が大いに役立っているという。「同じ釜の飯を食った仲間、先輩や後輩たちが手を差し伸べてくれる。人を紹介もしてくれる。どんどん人の輪が広がっていく」と感謝しきりだ。

 とはいえ、レスラー時代にはやんちゃな伝説も数多く残している。鬼軍曹・山本小鉄さんに熱血指導を受けているのに、うわの空。小鉄さんに「何だ、用事でもあるのか?」と問われると「はい。彼女を待たせているんで、もういいですか」と席を立ってしまった。これには小鉄さんも「お前には参った」とあきれ顔だったという。「今思うと、とんでもない話。申し訳なかった」と反省しきりだ。

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