【オヤジの仕事】「モーニングサテライト」出演アナリスト・大槻奈那さんの父はオカルト批判の大槻教授

テレビ東京の平日朝の経済番組「Newsモーニングサテライト」に、マネックス証券チーフ・アナリストとして出演する大槻奈那さんの父親は、90年代、「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日)などで超常現象を厳しく批判していた大槻義彦物理学教授(83)。実は大槻教授の2人の子供はともに東京大学卒で、長男の東巳さんも上智大学教授兼日本物理学会理事の超エリートだ。子供を超エリートに育てあげた大槻教授はどんな父親だったのか。奈那さんに聞いた。

「父はものすごく厳しかった」と語る大槻奈那さん【写真:山口比佐夫】
「父はものすごく厳しかった」と語る大槻奈那さん【写真:山口比佐夫】

大槻教授の家庭での素顔は意外にもイクメン

 テレビ東京の平日朝の経済番組「Newsモーニングサテライト」に、マネックス証券チーフ・アナリストとして出演する大槻奈那さんの父親は、90年代、「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日)などで超常現象を厳しく批判していた大槻義彦物理学教授(83)。実は大槻教授の2人の子供はともに東京大学卒で、長男の東巳さんも上智大学教授兼日本物理学会理事の超エリートだ。子供を超エリートに育てあげた大槻教授はどんな父親だったのか。奈那さんに聞いた。

 両親は共働きだったので、父は子育てを母親任せにせず、積極的に関わっていました。学者なので比較的、時間の自由がきき、また知識が広いので、自分らしい子育てをしたい、と思っていたんじゃないでしょうか。たとえば、私が物心ついた頃から小学校低学年頃まで、夏でも冬でも毎朝、父と一緒に、3歳上の兄と私は乾布摩擦をやらされていました。「風邪をひかないことを証明してやる」と言って。でも、私はけっこう風邪を引いていたので、どこまで効果があったのか……(笑)。

「刺激物は身体に悪い」と、チョコレートは月に1度。「テレビは脳の発達に良くない」と、我が家には私が小学校の低学年までテレビがありませんでした。そのかわりに本はいくらでも買ってくれて、よく本屋さんに連れて行ってくれましたね。読みたい本を自由に選ばせてくれて、私は絵本や物語をよく買ってもらっていました。

「女の子なんだから」と言われたことは一度もない

 女の子だから甘やかされた、という記憶はありません。父が学会で海外に行ったときにかわいいワンピースをお土産に買ってきてくれたことはありましたけど、ビンタもされましたし、しょっちゅう怒られて押入に入れられていました。でも、ひどい暴力を振るわれたわけではなくて、昔の親は子供に軽く手をあげることは珍しくなく、私も恨みに思ったことは一度もありません。

 甘やかされないかわりに、兄と差別も区別もされませんでした。「女の子なんだからこうしろ」とか「女のくせに」という言葉は一度も聞いたことがありません。だから、男女の差を意識させられたのは、学校を出て社会に出てから。総合職でもお茶くみや女性らしい気遣いを求められて衝撃でした。

「教えてやる」と先生役をかって出てくれたが…

 父は教育熱心だったとは思いますけど、机にしばりつけて「勉強しろ」というタイプではなく、“やらされた感”はありません。小学校に上がる前、星が好きだった私に子供用天体望遠鏡を買ってくれて、一緒にのぞいてあれこれ教えてくれたり、星の綺麗な那須によく連れて行ってくれたりしました。

 小学校5年生のときには、父の学会があるというので、フランスの地方都市・ストラスブールで一カ月ほど一緒に滞在したことがありました。それが私にとって初めての海外。貧乏旅行で安宿に泊まり、日本から大量に買って行ったカップラーメンを、父お手製の危なっかしい電熱器でお湯を沸かして作り、現地の中華料理店でもらった箸でずっと食べて。でも、それも楽しい思い出ですね。

 勉強といえば、私は家族の中で唯一文系で、両親や兄の専門の物理は苦手。高校2年の時、とうとう手に負えなくなっているところを見かねた父が、試験の前日、「教えてやる」とにわか先生役をかってでたことがありました。でも、教え方がいまいちで……。あと十数時間で試験が始まるというのに「モノが動くというのはどういうことか」というところから話が始まってしまって(笑)。

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