みんなが復活を待っている 猪木氏の“人生ゲーム”は文字通り「一寸先はハプニング」だった【連載vol.39】
闘病中の「燃える闘魂」アントニオ猪木氏に、激励の声が集まっている。プロレスラーとして頂点に立ち、政治家としても大活躍。政界から引退しても、独自のルートを活用して、闘魂外交を展開するなど、その言動は常に世間を揺るがしてきた。
「いい事も悪い事も書かれてナンボだよ。フフッ」
闘病中の「燃える闘魂」アントニオ猪木氏に、激励の声が集まっている。プロレスラーとして頂点に立ち、政治家としても大活躍。政界から引退しても、独自のルートを活用して、闘魂外交を展開するなど、その言動は常に世間を揺るがしてきた。
「行けばわかるさ」「一寸先はハプニング」…猪木氏のモットーは、まさに猪木氏の人生そのもの。日本全国を巡るツアーだけでなく、1990年のイラク・バクダッドでの「平和の祭典」、95年の北朝鮮・平壌での「平和のための平壌国際体育・文化祝典」に同行取材し、猪木氏の破天荒な生きざまのほんの少しだけ一緒に体験できた。
初取材の時から、緊張しまくりのこちらを気遣い「おお、よろしくな」と気さくに声をかけてもらった。最近では「アレ、誰だっけ?」「とうとう、ボケちゃいましたか?」が、あいさつになっていた。
一ファンとして見始めて55年。記者として40年、接してきた。思えば、永遠のヒーローは全く色あせない。スターは遠くから見るもので、近づくとガッカリすると言われるが、猪木氏は常に元気をくれた。
猪木氏の記事を数えきれないほどたくさん書いた。時には厳しい文言を並べたこともあったが、クレームは一度もなかった。意に沿わない記事や細かい点を指摘して来る選手もいるが、猪木氏は「俺は、読まないからさ」といつも笑顔で迎えてくれる。いや、実は読んでいたのかも知れない。「いい事も悪い事も書かれてナンボだよ。フフッ」。器の大きさを感じた。
バクダットや平壌からの原稿は印象深いが、何より、田鶴子夫人が亡くなった時に投稿した追悼文も忘れられない。猪木氏から直接、お電話をいただき「喜んでいると思う。ありがとう」と身に余る言葉をいただいた。「田鶴子さんのお棺に入れた」と聞き、熱いモノをこらえきれなかった。
この業界に入ったのも猪木氏への憧れからだった。猪木氏に人生を左右された人は多いはず。
良くも悪くも猪木氏のパワーは凄い。「猪木なら何でも許されるのか」と、時には反感を買っても、いつの間にか納得させられてしまう。波瀾万丈とは猪木氏の人生だろう。