【プロレスこの一年 ♯40】“潰すか潰されるか”新日本対Uインターの決着戦 13団体が集結「夢の架け橋」95年のプロレス

今から26年前の1995年4月2日、東京ドームに男女13団体が集結したオールスター戦が開催された。主催したのは週刊プロレスを発行するベースボール・マガジン社。「夢の架け橋~憧夢春爛漫」と題した大会は6万人の大観衆を動員。と同時に、その裏では天龍源一郎率いるWARがドームと至近距離の後楽園ホールにて大会を開催、こちらも超満員の観衆を動員し、意地を見せた。また、この年は新日本とUWFインターナショナルが激しい対抗戦を展開、10月9日の東京ドーム大会は現在も語り継がれるほどのインパクトを残している。今回は、“各団体の提供試合”と“潰すか潰されるかの団体対抗戦”、両極のドーム大会が開催された1995年(平成7年)のプロレス界を振り返る。

「夢の架け橋」でドームのリングに上がったスペル・デルフィンらみちのくプロレス勢(95年4月2日東京ドーム)【写真:平工幸雄】
「夢の架け橋」でドームのリングに上がったスペル・デルフィンらみちのくプロレス勢(95年4月2日東京ドーム)【写真:平工幸雄】

アントニオ猪木がゴルドー、スティングを相手に「格闘トーナメント」で優勝

 今から26年前の1995年4月2日、東京ドームに男女13団体が集結したオールスター戦が開催された。主催したのは週刊プロレスを発行するベースボール・マガジン社。「夢の架け橋~憧夢春爛漫」と題した大会は6万人の大観衆を動員。と同時に、その裏では天龍源一郎率いるWARがドームと至近距離の後楽園ホールにて大会を開催、こちらも超満員の観衆を動員し、意地を見せた。また、この年は新日本とUWFインターナショナルが激しい対抗戦を展開、10月9日の東京ドーム大会は現在も語り継がれるほどのインパクトを残している。今回は、“各団体の提供試合”と“潰すか潰されるかの団体対抗戦”、両極のドーム大会が開催された1995年(平成7年)のプロレス界を振り返る。

「夢の架け橋」は団体対抗や交流の形を取らず、各団体が試合を提供する形式で行われた。JWP女子プロレスの8人タッグマッチで開幕し、デスマッチのあとにUWF系の試合が見られるという現象も現出。「プロレスバカ」の異名で当時異常人気を博していた剛竜馬は「ショア!」のかけ声とともに宇宙魔神シルバーXを倒し、「みちのく・ザ・ベスト95」と銘打ったみちプロ名物6人タッグマッチがドームの大空間で大空中戦を展開した。グレート・ニタVSポーゴ大王のノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチのあとに行われた全日本の6人タッグマッチは、三沢光晴&小橋建太&スタン・ハンセン組と川田利明&田上明&ジョニー・エース組が30分引き分け。団体設立順に組まれた試合の最後(メイン)は新日本で、橋本真也が垂直落下式DDTで蝶野正洋を破ってみせた。一方のWAR後楽園には、長州力や平成維震軍が参戦。メインでは天龍&長州&アニマル浜口組が平成維震軍の越中詩郎&後藤達俊&小原道由組を破り、試合後には天龍が「俺たちの生き様をとくと見ておけ!」と、雄たけびを上げた。なお、当時のWARにはクリス・ジェリコ(ライオン・ハート、ライオン道)がレギュラー参戦、“裏ドーム”のリングにも上がっている。

 この年のマット界は、アントニオ猪木の引退を示唆する「カウントダウン」からスタートした。その第3戦が1・4東京ドームで、猪木は「格闘トーナメント」でジェラルド・ゴルドー、スティングを破り優勝。カウントダウンのなか、この年の猪木は4月28日&29日に北朝鮮で初めてとなるプロレスの試合を実現させた。「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」を開催し、2日間で延べ38万人を動員、“闘魂外交”の成果を見せつけたのである。試合での猪木はリック・フレアーとの一騎打ちも実現させている。なお、このイベントに参加した新日本の佐々木健介と全日本女子の北斗晶が6月1日に婚約を発表、10月1日に挙式が行われた。

 この年のはじめ、1月17日には阪神淡路大震災が発生、関西地方に甚大な被害を及ぼした。その2日後、全日本は大阪大会を決行、川田利明VS小橋建太の三冠ヘビー級王座戦がフルタイム60分間戦い抜いてのドローとなり、王者・川田が防衛。試合は被災者に勇気を与えるかのような至極の名勝負となり、「ゼンニッポン」コールが自然発生した。

 1月24日の山形大会ではタッグのベルトを懸けて川田と小橋が再戦。三沢&小橋組VS川田&田上組はこちらも60分時間切れの激闘で、三沢組の防衛となった。三冠ヘビー級王者でもあった川田だが、3・4日本武道館でハンセンに敗れて王座が移動。恒例の「チャンピオン・カーニバル」では三沢が田上を破り、春の祭典初優勝を飾っている。

 新日本では2・8仙台でグレート・ムタがエル・ヒガンテを破るも、武藤が無期限の欠場。4・16広島で復帰すると、武藤は5・3福岡ドームで橋本の保持するIWGPヘビー級王座を奪取。夏の「G1クライマックス」でも、決勝戦で橋本を破って制覇した。

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