【プロレスこの一年 #23】小橋&秋山組の世界最強タッグ優勝 猪木引退試合と馬場生涯最後のリング 98年のプロレス

本稿が掲載される12月5日(土)は、今から22年前の1998年(平成10年)、全日本の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で小橋健太(現・建太)&秋山準組が、スタン・ハンセン&ベイダー組を破り、逆転優勝を飾った日でもある。

小橋健太&秋山準組が逆転優勝を飾った日本武道館大会(98年12月5日)【写真:平工 幸雄】
小橋健太&秋山準組が逆転優勝を飾った日本武道館大会(98年12月5日)【写真:平工 幸雄】

1998年(平成10年) バーニング結成で目覚ましい活躍を見せた小橋と秋山

 本稿が掲載される12月5日(土)は、今から22年前の1998年(平成10年)、全日本の「世界最強タッグ決定リーグ戦」で小橋健太(現・建太)&秋山準組が、スタン・ハンセン&ベイダー組を破り、逆転優勝を飾った日でもある。

 この年の最強タッグはハンセン&ベイダー組が公式戦を7戦全勝。通常なら最高得点チームがそのまま優勝することが通例だったのだが、95年(一部を除く)からは得点上位2チームで優勝決定戦を行う方式に変更。よって、トップ独走のハンセン組と3点差の2位につけた小橋組が日本武道館の最終戦で激突。最後は小橋組が勝利し、小橋は4度目の優勝(過去3度は三沢光晴との3年連続優勝=93~95年)、秋山はデビュー戦の相手をつとめてくれた小橋とのコンビで初優勝を成し遂げた。

 この年は両者の活躍が目覚ましく、2人は“バーニング”を結成。6・12武道館で川田利明を破り三冠ヘビー級王座2度目の奪取を達成した小橋がプロレス大賞MVPと年間最高試合賞(10・31武道館での三冠戦、小橋VS三沢)をダブル受賞すれば、秋山は初のプロレス大賞を敢闘賞で受賞した。小橋&秋山組は翌年に最優秀タッグ、2004年には東京ドームにおける一騎打ちで年間最高試合賞を獲得。そのきっかけが、98年のバーニング結成にあったと言えるだろう。

 またこの年は、全日本が東京ドームに初進出するとともに、ジャイアント馬場が結果的に最後のリングに上がる年にもなってしまった(翌99年1月31日、61歳で死去)。一方、新日本ではアントニオ猪木が引退。昭和のプロレスの2大巨頭がそろってリングに上がるのは、平成10年の98年が最後になったのである。では、1998年とはプロレス界にとってどんな一年だったのか?

 年頭の後楽園ホール(1・2)で馬場が東京ドーム初進出をアナウンスし、98年のプロレス界が幕を開けた。2日後の新日本1・4ドームでは長州力が5人掛け(VS藤田和之、吉江豊、高岩竜一、飯塚高史、獣神サンダー・ライガー)で引退。同大会では猪木のラストファイトが4月4日の東京ドームに決定したとの発表もあった。1月23日には馬場が後楽園で「還暦記念試合」(馬場&三沢&マウナケア・モスマン組VS川田&小橋&渕正信組)を行い、自らがピンフォールを奪うことで生涯現役をアピールした。馬場は12・5武道館での最強タッグ最終戦、欠場明けのリングに立った。カードは馬場&ラッシャー木村&百田光雄組VS渕&永源遥&菊地毅組で、結果的にこれが生前最後の試合となったのである。

 全日本で次代を担う秋山は3・20広島でタッグながらも小橋から初勝利を挙げると、春の本場所「チャンピオン・カーニバル」ではハンセンからシングル初勝利を記録(3・22後楽園)するとともに、決勝(4・18武道館)に進出。三沢に敗れ優勝こそ逃したが、大きな爪痕を残してみせた。

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