【プロレスこの一年 ♯22】アントニオ猪木“地獄の欧州ツアー”、ドラゴン・ブームにドス・カラスの初来日 78年のプロレス

今から42年前、1978年のこの時期(11月)、アントニオ猪木は日本を離れヨーロッパにいた。“地獄の墓堀人”と呼ばれた西ドイツの強豪ローラン・ボックの誘いに乗り「キラー・イノキ」、あるいは「イノキ・ヨーロッパ・ツアー1978」と銘打たれた23日間にもおよぶ5か国全22戦(猪木単独参戦大会を含む)のサーキットに参戦していたのだ。

アントニオ猪木と藤波辰巳(写真は85年)【写真:平工 幸雄】
アントニオ猪木と藤波辰巳(写真は85年)【写真:平工 幸雄】

ローラン・ボックが仕掛けた猪木がヘッドライナーの欧州サーキット

 今から42年前、1978年のこの時期(11月)、アントニオ猪木は日本を離れヨーロッパにいた。“地獄の墓堀人”と呼ばれた西ドイツの強豪ローラン・ボックの誘いに乗り「キラー・イノキ」、あるいは「イノキ・ヨーロッパ・ツアー1978」と銘打たれた23日間にもおよぶ5か国全22戦(猪木単独参戦大会を含む)のサーキットに参戦していたのだ。

 ツアー名からも分かるように、ボックが企画したのは猪木ありきの企画だった。きっかけは76年6月26日に行われた猪木VSモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」だ。当時は物議を醸したプロレスVSボクシングの異種格闘技戦だが、この一戦により猪木の名声は世界的に飛躍し、欧州にも届いた。そこで考えられたのが、ボックによる過酷な欧州集中ツアーだったのだ。

 ボックは78年4月に来日。新日本が蔵前国技館で「第1回MSGシリーズ」開幕戦を迎える前日に猪木を訪ね交渉を開始した。翌日の蔵前では猪木が坂口征二を40分超えの激闘の末リングアウトで破り、リーグ戦を白星発進。秋の遠征に向け、ボックの期待に応えるような好スタートを切ったのである。

 前年までの「ワールドリーグ戦」に代わり開催された新シリーズにおいて、猪木は最終戦5・30大阪でアンドレ・ザ・ジャイアントを破り優勝。6・1日本武道館では猪木のNWFとボブ・バックランドのWWWFを懸けたヘビー級ダブルタイトルマッチが実現し、猪木が3本勝負で1-0のリードを保ちながらも60分フルタイムとなったためルールによって両者防衛。そのわずか6日後、猪木はザ・モンスターマンとの異種格闘技戦に臨み快勝した。また、9・19大阪では仲間割れを起こしたタイガー・ジェット・シンと上田馬之助の一騎打ちに特別レフェリーとして試合を裁くと、シンには2日後の品川でNWFヘビー級王座を懸けて勝利(上田との「釘板デスマッチ」を敢行したのもこの年=2・8武道館)。11・1名古屋での「闘魂シリーズ」最終戦でクリス・マルコフを破りNWF王座V17を達成すると、翌日には極真空手ウィリー・ウィリアムスとの異種格闘技戦を翌年に実現させると発表した。そしていよいよ、前代未聞の欧州ツアーに出発することになる。

 猪木一行は、パキスタン経由で西ドイツ・ベルリン入り。スパーリングパートナーを兼ねて藤原喜明を帯同させたほか、新間寿営業本部長、倍賞美津子夫人も同行した。シリーズは11・7西ドイツ・ラーフェンスブルクで開幕し、スイス、オーストリア、オランダ、ベルギーを回り、11・29オーストリア・リンツまで続いた。猪木ありきのシリーズだけに、猪木はメインイベンターとして全戦参戦。しかし大都市ならまだしも、猪木の名声が必ずしも地方都市まで届いているとは言えず、興行は苦戦。ボックはその間、金策に走り、試合とは別の意味で疲弊し、ボック個人への影響はツアー後にも及ぶこととなる。一方、日本人は日本人での移動を強いられたこともあり、肉体的に疲弊していったのが猪木だった。中でも伝説として語り継がれているのが、「シュツットガルトの惨劇」として知られる第17戦、11・25シュツットガルト・キレスベルクホール大会での試合である。

 前日、猪木はのちにドイツ語圏を仕切り欧州の帝王的地位を確立するオットー・ワンツと10ラウンドフルタイム戦って引き分け。しかもツアーでは異種格闘技戦のはしりとなったウィレム・ルスカや当時の実力ナンバーワンだったレネ・ラサルテスと何度も対戦、また、異種格闘技戦(VSカール・ミルデンバーガー)も加わり疲労はピークに達していた。日本とは異なる硬いマットも悪影響を与え、右肩を負傷してしまう……。

 けがが癒えぬまま迎えたボックと3度目の一騎打ち。ボックの顔面は傷だらけとなったが、満身創痍の猪木もダメージが大きく屈辱の判定負けに。その後も猪木は欠場せず最終戦まで出場。終わってみればボックとの対戦は1勝1敗1分け。ツアー唯一の黒星がボックへの判定負けだったが、想像以上に肉体を酷使したツアーになったのである。

 猪木の不在期間、新日本では「プレ日本選手権」がスタート(11・17後楽園)。ヒロ・マツダを筆頭に、マサ斎藤、サンダー杉山、剛竜馬、上田らによるフリー軍団、いわゆる「狼軍団」が出場した。よってリング上は新日本と狼軍団との対抗戦の様相に。欧州遠征から帰国した猪木、さらにマツダがシードされ、12・16蔵前での優勝決定戦ではこの両者が激突した。「シュツットガルトの惨劇」から半月あまり、最後は猪木が卍固めでマツダを破り、優勝を飾ってみせたのである。

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