【ズバリ!近況】蟹江敬三の長男・蟹江一平独立! 父の死後、急にテレビに出始めた理由を明かす

2014年、名バイプレーヤーだった父・蟹江敬三さん(享年69)の死をきっかけにトーク番組などに出演を始め、饒舌でひょうひょうとしたキャラクターで活躍した俳優・蟹江一平さん(44)。端正な顔立ちと美声で、数々の映画やドラマ、ナレーションでも活動していた。ところが、20年1月に事務所を離れフリーになっていた。蟹江さんに何があったのか!? 東京・下北沢のライブバー「BAR? CCO」で蟹江さんに聞いた。

ツイッターを窓口に活動する蟹江一平さん【写真:山口比佐夫】
ツイッターを窓口に活動する蟹江一平さん【写真:山口比佐夫】

「10代の頃からの夢を追いたくなった」

 2014年、名バイプレーヤーだった父・蟹江敬三さん(享年69)の死をきっかけにトーク番組などに出演を始め、饒舌でひょうひょうとしたキャラクターで活躍した俳優・蟹江一平さん(44)。端正な顔立ちと美声で、数々の映画やドラマ、ナレーションでも活動していた。ところが、20年1月に事務所を離れフリーになっていた。蟹江さんに何があったのか!? 東京・下北沢のライブバー「BAR? CCO」で蟹江さんに聞いた。

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 去年まで所属していた老舗の事務所には、4年半お世話になりました。マネジャーさんにはしっかりケアをしていただき、お仕事も順調で何の不満もなかったんですけど、その前の事務所も含め20年以上、誰かの管理の下で生きる人生を送ってきたわけです。ふとこのままでは“甘やかされたオジサン”になってしまう、と思ったんですよね。人って甘やかされて伸びる人と、ハードな環境に身を置いた方が力を発揮する人に分かれるとしたら、僕は甘やかされたらダメになるタイプ。それで、フリーになって、今はツイッターを窓口に活動をしています。

 10代の頃からの夢を追いたくなった、という理由もあります。これが大きい。僕は高校を卒業後、劇団青年座の養成所に入ってずっと俳優をやってきたんですけど、その前はバンドをやっていました。僕が中学生の頃はバンドブームで、僕は「かっこいい!」と夢中になっていました。ドラマや映画には興味がなかったのに、ライブには行きまくって、高校時代はパンクバンドを組んでギター、ベース、ドラム、ボーカルと一通りやりました。

進路相談をして初めて聞いた父・蟹江敬三のヒストリー

 実は高校卒業後、劇団青年座の養成所に入る前は、フリーターをやっていたんです。アルバイトをしながらバンド活動して、「新宿ロフトに出ようぜ!」「ライブハウスツアーをやるぞ!」と意気込んで。ところが、バイト先の工務店の親方に「今は2世が流行ってるし、一平ちゃんは顔もまあまあなんだから役者をやってみれば?」と言われて、初めて役者に興味をもちました。それで、本屋さんで養成所ガイドブックをこっそり買って、父に初めて進路相談をしたんです。

 父はそれまで、僕の進路とか仕事に対して、何にも言いませんでした。自分の仕事についても語らない。寡黙で知られた父ですが、家の中でもひたすら無口。子どものことにあまり興味がないのかな、と思っていました。ところが、進路相談をしてみたら、最初は「役者はやめろ」と言いましたけど、「お父さんも若いとき、新宿でアングラ演劇をやってたんだよ」って自分のヒストリーを話し始めたんです。「お父さん、それってライブハウスみたいなもんじゃん!」って驚きました。

 父は僕が物心ついた頃からテレビや映画に出ている人だったので、僕はそれ以前のことは恥ずかしながら、まったく知らなかったんです。父が若い頃、アングラ演劇で活動していたことを知って、「だからオレがライブハウスに出たい、って言ったとき、にやにや笑って何も言わなかったんだな」って思いました。「血は争えないな」って思ったのかも。僕はそれから、父が本棚から出してきた、父が若いときに一緒に活動していた演出家・蜷川幸雄さん(故人)の本を読んだり、父の若い頃の写真を見たりするうち、今度は演劇に惹かれたんです。

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