最強歌姫を目指して…STU48矢野帆夏、人生初の1位を懸けた“シンデレラストーリー”

瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループ「STU48」の1期生・矢野帆夏は、歌唱面でグループを引っ張る歌姫候補だ。故郷の「江田島」、広島のご当地グルメ「汁なし担々麺」と並び、“好きなもの3つ”に「歌」を挙げるほど強い思い入れを持つ。12月1日に「第3回AKBグループ歌唱力No.1決定戦」の決勝大会(TBSチャンネル1にて独占生中継)を控え、インタビュー前編では彼女のアイドル観や人生観を変えた歌のルーツに追った。

STU48矢野帆夏【写真:長尾剛明】
STU48矢野帆夏【写真:長尾剛明】

【矢野帆夏インタビュー前編】歌好きの母親に導かれ、小学生時代は合唱団に所属

 瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループ「STU48」の1期生・矢野帆夏は、歌唱面でグループを引っ張る歌姫候補だ。故郷の「江田島」、広島のご当地グルメ「汁なし担々麺」と並び、“好きなもの3つ”に「歌」を挙げるほど強い思い入れを持つ。12月1日に「第3回AKBグループ歌唱力No.1決定戦」の決勝大会(TBSチャンネル1にて独占生中継)を控え、インタビュー前編では彼女のアイドル観や人生観を変えた歌のルーツに追った。

 広島県江田島市出身の矢野は幼少期、何をするにも母親のあとについて行き、ずっと一緒にいる母親っ子だったという。日頃から歌を楽しそうに口ずさみ、時に熱唱する母親の姿を見て、自然と歌に魅了されていった。

「お母さんの影響が大きかったと思います。テレビのリモコンをマイク代わりにして、中森明菜さんとか郷ひろみさんをよく歌っていました。お母さんのお友達がウチにきてカラオケをする場にもいたので、楽しそうな姿を見て、歌と音楽が好きになりました」

 祖母も歌や楽器が上手く、音楽に彩られた生活を送っていた矢野家。母親から「歌が上手いと人生楽しいよ」と勧められ、小学校時代は合唱団に所属することになる。歌唱の技術だけでなく、“体づくり”も本格的だったと当時を回想する。

「最初は入らされたような感じでしたけど、歌の練習はもちろん、腹筋やスクワットとか、たくさん体を動かしていた記憶があります。声の響きでワイングラスを割る練習もしましたし、すごく楽しかったです。合唱団では毎年夏にコンクールがあって、いわゆる選抜メンバーに入るためにみんな頑張って練習します。私はありがたいことに、毎年コンクールに出させてもらっていました」

 小学校では合唱団の活動以外にも、2~6年生で空手を習い、中学校3年間はバレーボールに励んだ。アイドルとは無縁だった生活から一転、母親がオーディションに応募したのがきっかけで、高校生だった2017年3月にSTU48の1期生メンバーとなった。

 しかし、アイドルの世界で待ち受けていたのは厳しい現実だった。STU48初のオリジナル楽曲「瀬戸内の声」、メジャーデビューシングル「暗闇」では選抜メンバー入りを果たせず。「自分の歌声を多くの人に届けたい」という思いがかなわない悔しさで涙したこともあった。

次のページへ (2/4) 初の16人選抜も経験
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