MINMI、「私はシンガーじゃない」の真意 セルフプロデュースの葛藤とデビュー24年の現在地

シンガー・ソングライターのMINMIは、2019年秋に3人の子どもと共に米国・ロサンゼルスに拠点を移し、日本と海外を往復しながら音楽活動を続けている。02年のデビューから24年。日本の音楽シーンを精力的に盛り上げてきた歌姫の原動力は、やはり愛する我が子たちの存在だった。

インタビューに応じたMINMI【写真:藤岡雅樹】
インタビューに応じたMINMI【写真:藤岡雅樹】

2019年秋に米国へ移住

 シンガー・ソングライターのMINMIは、2019年秋に3人の子どもと共に米国・ロサンゼルスに拠点を移し、日本と海外を往復しながら音楽活動を続けている。02年のデビューから24年。日本の音楽シーンを精力的に盛り上げてきた歌姫の原動力は、やはり愛する我が子たちの存在だった。(取材・文=小田智史)


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 幼少からピアノを弾き始め、1996年頃から大阪のレゲエやHIPHOPのクラブで歌い始めたMINMI。2002年8月に1stシングル『The Perfect Vision』でメジャーデビューを飾ると、日本の音楽シーンを20年以上走り続けてきた。

 プライベートでは、2007年11月に長男、10年8月に次男、12年6月に長女を出産。16年の離婚後は、シングルマザーとして3人の子どもを育てながら活動してきた。その後、19年秋に米国への移住を決断。長男のひと言がきっかけだった。

「せっかくなんだから、早いうちに海外に行って、英語も勉強したらペラペラになれると言われているし、行こうよと言ってくれたんです。ただ、私は当初、『誰か引き止めてくれ』と思っていました(笑)」

 言葉や文化の壁もあり、準備もツテもない状態で異国の地に拠点を移すのは容易ではない――。その無謀ぶりをどこかで指摘されることを期待していたが、周囲の反応は思わぬものだった。

「行きたくないわけではないし、いつか住みたいとは思っているけど、何も準備ができていない、仕事のツテもない、語学に対しても自信があるわけでもない。だから、周りの人に相談した時、『いろいろ準備してからにしな』とか、『今は日本の活動もあるし』と引き止められることを期待していたんです。でも、みんなに『いいじゃない!』と言われてしまって(苦笑)。『ほら! お母さん!』みたいな感じになって、引き下がれなくなりました。10年後に行くとなったら、もっと自分のハードルが上がりそうな気がして、じゃあ今行って、いろいろ経験して、仮に失敗しても行くことに意味があるかなと思って(移住を)決断しました」

子育てと音楽の両立の難しさとは【写真:藤岡雅樹】
子育てと音楽の両立の難しさとは【写真:藤岡雅樹】

母親であることは大切なパーソナリティー

 ロサンゼルス移住当初は、小さなバーで歌うアルバイトから始まったが、事あるたびに子育てと音楽の両立の難しさを感じてきたという。

「ミュージシャンは現実離れしていることが大事だと思いがちなので、若い時に尖っていたりします。でも、お母さんは夜にちゃんと子どもを寝かせたり、健康的な環境を与える役割がある。これはすごく現実的ですよね。母親としての自分と、アーティストとしての自分にどう親和性を持たせるか、ずっと考えてきました」

 その“答え探し”は、これまでリリースしたアルバムのタイトル名にも反映されている。

「2006年に『NATURAL』というアルバムで、人はその人にしかないものを表現できた時に、誰よりも魅力があって、最大のパフォーマンスを発揮できるということを伝えました。今まで海外のスターとかいろいろ憧れてきたけど、“私らしさ”とはなんだろうと『NATURAL』で探し始めて、子どもを授かったりお母さんであることが今の私にしか歌えない歌なんだろうな、これがきっと今の私のナチュラルなんだろうと思って『MOTHER』(10年)というアルバムにしました。

 歌手というお仕事はお母さんの部分を出すとファンが離れる、一生独身のイメージがいいという意見もありましたが、“Natural道”で行くと、今の私に歌えることはお母さんであることだと思って歌ったら、女性の方に多くの共感をいただきました。だから今、自分が難しいなと思っていることは、実は皆さんが求めている言葉なのかもしれないと感じたりします」

 母親であることはMINMIにとって誇りであり、欠かせないパーソナリティーだ。

「子どもをどれだけよく育てられるかは、お母さんの手にすごくかかっている。お母さんということが仕事の邪魔になってしまって、子どもたちを最高の子どもたちに育てることを私が果たせないとしたら、世の中の女性のほとんどがそれを果たせないと感じました。だから、私がアーティストでありながら最高のお母さんであることを実現できたら、世の中のお母さんは働きながら最高に子どもたちを立派な人にできる、だから立派な人たちがたくさんこれから未来に羽ばたいていけることにつながるんだと考えています。1人だったら得られない気づきをいっぱいくれるので、子どもたちの存在は本当に大きいです。子どもたちがいなければ今の私は絶対にないですし、それは音楽にも(にじみ)出ています」

デビューから24年を経て、歌唱にも変化が【写真:藤岡雅樹】
デビューから24年を経て、歌唱にも変化が【写真:藤岡雅樹】

「歌声がいい」の“褒め言葉”に成長を実感

 小さい頃から音楽が好きだったMINMIが、人前でパフォーマンスを始めたのは20歳の頃。「音楽を職業にするのは簡単じゃない」と思いつつも、「でも、やっぱりやりたい!」と決意が固まった証だった。

 もっとも、「私、(根が)シンガーじゃないんですよ。歌い手じゃないんですよね」と意外とも言える葛藤を告白する。

「私は作るのが好きで、自分の作ったものを表現してくれる人が自分しかいないから歌い始めたんですけど、作り手として作った歌が、歌い手としてあまり上手に歌えなくて(苦笑)。私、クリエイター(気質)なんです。だから、ずっとセルフプロデュースですし。歌のうまい子を想定して作っているんですけど、『The Perfect Vision』とか『歌えるか!』と何回も思っていますし、歌い手の私が歌えないから、よくレコーディングで『どうやって歌うねん!』状態になっています(笑)」

 一方で、デビューから24年を経て、どこか“苦手意識”のあった歌唱にも変化があるという。

「最近、歌声を褒めていただけることが増えました。『歌声がいい』と言っていただけると、歌声もちゃんとついてきてくれて、それが皆さんに好きと言ってもらえるレベルにまで来たんだなとしみじみ思います」

 アルバム『NATURAL』を制作した時期、そして、“今”が自身のターニングポイントだとMINMIは語る。

「今の自分の仕事への姿勢、音楽への姿勢、スタッフとのチームの作り方は、他と比べるのではなく、地に足をつけて、自分たちだからこそできることへ向かっている感じがあるので、やっとそういうところにたどり着けたのかなという気がします」

 目標は「生涯・歌手」。「他のアーティストさんと自分を比べてしまって、自信がなくなってしまうことがある」のも、人間味あふれるMINMIらしさだ。

「たまに自信がなくなって、つらくなる時もあります(苦笑)。でも、やっぱりファンの方々に励ましの声をいただいて、歌っていてよかったと誇りに思います。それの繰り返しですね(笑)。これからも頑張っていくので、ぜひ応援してください!」

 歌姫MINMI、51歳。新たな自分を探して、彼女の“音楽の旅”はまだまだ続く。

□MINMI(みんみ)シンガー・ソングライター/音楽プロデューサー。1990年代に大阪のレゲエ・HIP HOPシーンからキャリアをスタート。ジャマイカやカリブの音楽カルチャーを日本のポップスへ落とし込み、『The Perfect Vision』『シャナナ☆』『四季ノ唄』『睡蓮花』など数々のヒット曲を生み出す。アニメ『サムライチャンプルー』ED『四季ノ唄』は、Nujabesと共に世界中で支持を集め、Lo-fi Hip Hopやジャパニーズカルチャーを海外へ広げた代表作。また、“タオルまわし”文化を日本のライブシーンへ浸透させた存在としても知られる。野外フェス「FREEDOM」を立ち上げ、音楽・自然・仲間をテーマに国内外で活動を展開。デビュー24年を迎え、国内外を舞台に音楽を通じて新たな挑戦を続けている。

撮影協力:メズム東京、オートグラフ コレクション

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