入浴中に突然の痛み 右脚切断、左脚まひ…3児母アーティストの過酷闘病 義足の今を積極発信、不屈の人生

緊急搬送先で生死の境をさまよった後、無事に命を取り留めた。しかし、全身に血栓ができたことで血流障害が起こり、組織が壊死した結果、右脚の切断を余儀なくされ、左脚にはまひが残った。現在は義足・装具を装着してリハビリをする日々を送っている。アーティスト・イラストレーター・コンサルタントなど多方面で活躍するルミコ・ハーモニーさんは、リハビリの様子から、せん妄状態に陥った日々のことまでつぶさに発信を行っている。闘病体験と、常に前を向く生き方について聞いた。

公益財団法人鉄道弘済会義肢装具センターでリハビリ中のルミコ・ハーモニーさん【写真:真貝友香】
公益財団法人鉄道弘済会義肢装具センターでリハビリ中のルミコ・ハーモニーさん【写真:真貝友香】

右脚を切断し義足を装着することになるも「失うものに全く執着はない」

 緊急搬送先で生死の境をさまよった後、無事に命を取り留めた。しかし、全身に血栓ができたことで血流障害が起こり、組織が壊死した結果、右脚の切断を余儀なくされ、左脚にはまひが残った。現在は義足・装具を装着してリハビリをする日々を送っている。アーティスト・イラストレーター・コンサルタントなど多方面で活躍するルミコ・ハーモニーさんは、リハビリの様子から、せん妄状態に陥った日々のことまでつぶさに発信を行っている。闘病体験と、常に前を向く生き方について聞いた。(取材・文=真貝友香)

 ルミコさんは、フィンランド人の夫と3人の子どもとの生活を通して北欧関連のプロジェクトを手がけるほか、社会課題をアートで解決するグローバルアートチームLITTLE ARTISTS LEAGUEを設立して、子どもへのアートの普及活動を行うなど、アクティブに過ごしてきた。体はいたって丈夫で健康そのものだったが、2025年の末に「陣痛の3分の1程度の」腹痛があり夜間救急を受診した。CT検査の結果、胆のうに胆石が見つかり、年明けに摘出手術を受けた。

 体調が急変したのは横浜でアートイベントを開催していた2月。宿泊していたホテルで入浴中に突然脚に痛みが生じた。すぐさま救急車を呼んでもらい、病院に搬送されたがその後の記憶はほぼないという。

「断片的に意識が戻ることはあったのですが、搬送後手術に10時間ほどかかったことや、どこの病院に搬送されたかを知ったのはずいぶん後でした。家族は助かるかどうか分からないほど危険な状態であると説明を受けたそうです。その翌日、担当医師が夫と子どもたちに『呼吸はしているが、全身に血栓ができているので手足は切断になると思います』と伝えたと聞きました。当初は四肢切断の可能性もあったのですが、懸命な治療により結果的に右脚のみの切断となりました」

 医師からは、動脈と静脈の複数の場所に血栓ができる「多発動静脈血栓症」と診断されるも、はっきりとした原因は分からないままだという。3月上旬に膝下を切断した後、3月下旬に膝上まで再切断。人生を大きく変える出来事だったに違いないが、ルミコさんの口調は淡々としている。

「処方された鎮痛剤の副作用でせん妄状態だったので、右脚の切断について『はい、分かりました』と言ったような気はするんですけど……。そうせざるを得ないと言われたら、こちらも知見がないので『では、それでお願いします』という感じでしたね。意識がない時間が多かったから、実際に何が起こっていたのかはよく分からなくて、いざ家族と面会しても『どうして、みんなそんなに涙を浮かべているの?』とも感じました」

 手術後は、ベッドに横になった状態で携帯やPCを開き、徐々に仕事を再開した。「失うものに全く執着はない」と落ち着いて語ることができる心情は、長年携わってきたアートと深いつながりがあった。

「アートというものは、正解のないものに自分で答えを作っていくものだと、私は考えています。コロナ禍に重い病気の子どもや障がいのある子どもに向けたワークショップを行ったのですが、筆を持てなくても、絵の具を絞ることはできる彼らが心を動かす作品を作り出していく様子に、私の中でパラダイムシフト(価値観の転換)が起きました。クロード・モネやジャクソン・ポロック、マルセル・デュシャンといった歴代のアーティストが、それまでにはなかった革新的な手法で新しいアートの形を生み出したのと同じことをしているのだと。それまでもイベントで難病の人とたくさん接してきたこともあって、動揺せずにいられたのかもしれません。今までの人生でやりたいことはすでにやり尽くしたから、過去への後悔は何もなく。“目が悪くなれば眼鏡をかければいいし、脚を切断したら義足をつければいい”と、失ったことへの執着ではなく今をポジティブに捉えるのは自分次第なのです」

 5月には、ソーシャルワーカーから紹介された公益財団法人鉄道弘済会 義肢装具サポートセンターに転院し、毎日リハビリに励んでいる。初日は左足で義足を体験することから練習を開始。3日目には手を離して立った状態をキープできるようになり、11日目には歩行器を使用しての歩行、3週間後には1本のつえで数歩の歩行を達成した。午前中は2時間、午後は2時間半、理学療法士のサポートを受けながらみっちり訓練を行う。

「家にいたら『歩けなくても車椅子があるし……』と歩くのを諦めてしまうかもしれないところを、ここは入所している人も、スタッフもとにかく『歩ける』ことにコミットしているから刺激を受けます。転んでも、自分で起き上がる練習になるので、けがには細心の注意を払いつつどんどんトライしていきます。左脚にまひが残っているので、都度マッサージしてもらったり、義足が合わないときは常駐の義肢装具士にメンテナンスしてもらったり、とてもいい環境です」

「ポップな交流」を通して、社会に優しさを生み出したい

 週末は自宅に帰り、家族との時間を過ごす。熱心にリハビリに取り組み、常に前向きな気持ちを保っているのは、家族のためなのかと尋ねてみると「いえ、失ったものに執着するより今あることに目を向けるしかないんですよ。もちろん家族の存在は大きいですけど」と笑う。

「『家族のために頑張っています!』と言った方がインタビューとしてはいいのかもしれないですけどね(笑)。でも、家族にご飯を作るために早く家に戻れるように頑張ろうって考えると、できない現実との板挟みでしんどいだろうなと思います。実際帰宅しても今までのように家族に役に立てることは本当に僅かで、そこにいることくらいなので。家族も、私のことを思ってこんなに献身的に支えているんだという雰囲気じゃないのはありがたいですね。私を特別視するとか、過剰に病人扱いすることもありません。退院するタイミングも私に任せてくれていますし、帰ったあともできることをやればいいと、悲観しないでいてくれています。子どもたちも中2、中1、小5である程度、自分のことは自分でできますから」

 自分が立ち上がる記録として、そして将来同様の状況に直面することになる人への情報共有、義足に関する情報の少なさを補うべく、インスタグラムなどで積極的に発信しているルミコさん。病状の経過報告、リハビリの様子、義足の装着方法や外出風景までつづり、大きな反響を得ている。

「車椅子に座ると視線がすごく低くなって、病院のカウンターで『すみません』と呼んでも気付かれないとか、お店の商品に手が届かないこともあります。義足の履き方だって最初は分からなかったし、膝が曲がらない状態で立ち上がるのはすごく難しいなどの気付きがありました。仕事で大阪に行くことになったので、新幹線に車椅子対応座席はどの車両にあるのか、障がい者割引を使って切符をオンライン購入するにはどのような登録が必要か、調べないと分からないことだらけですね。当事者だから見える世界を分かりやすく伝えていきたいです」

 ルミコさんは、これまでもアートプロジェクトを通じて国際交流を育んできたが、日本人と外国人間も、健常者と障がい者間も断絶するのではなく「ポップに交流」することを今後も継続していくつもりだ。

 普段は手動式の車椅子を使っているという。そうした時、坂を上がれなさそうであれば、近くにいる人に「車椅子を押していただけませんか」と自ら一声かける。逆に「押しましょうか」と声をかけてくれる人もいる。「車椅子を押す経験ができたら、同じ場面に遭遇したときに気軽に声をかけられるようになるかもしれません。私が動くことで、社会に優しさが生まれて、少しでも理解が深まればと思います」と、小さな働きかけを大事にしている。

 一方で「常に前向きというのも実は善し悪しがあって」と明かす。

「インスタグラムで明るくキラキラしたトーンで投稿していると、誰でも簡単に義足で歩けるようになると思われかねないと気付きました。失敗を見せていきたいけど『つらい』と言うと誰にも解決できなくなってしまうような気がして。それは『苦労』だと捉えて、自分の気持ち次第だよということを発信していけたらと思っています」

 過去には執着せず、自分の世界を生きればいいという人生観は、夫から学んだ北欧的価値観の影響が大きいとルミコさんはいう。「立ち上がるのは家族のためではない」と語りつつも、家族の揺るぎない絆が垣間見えた。

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