エベレストは「ライブ会場」 “SNS映え”求めセレブが大挙…異色の女性登山家が伝えるヒマラヤの今

日本人女性初となる8000メートル峰14座登頂を始め、“世界一危険な山”K2(カラコルムII峰)に3度の登頂を果たし女性最多登頂記録としてギネス認定されるなど、輝かしい実績を誇る女性登山家・渡邊直子さん。本業である看護師の給与をつぎ込みヒマラヤに挑み続けるスタイルは、登山界においても異色の存在と言える。そんな渡邊さんが、このほど初の著書『エベレストは居酒屋です』(渡邊直子/講談社)を上梓した。「実は、お酒は飲めないんです」と苦笑しながらも、なぜこのような突飛なタイトルに行き着いたのか。これまでの半生や独自の山岳哲学に迫った。

日本人女性初となる8000メートル峰14座登頂を果たした渡邊直子さん【写真:インスタグラム(@naokowatanabe8848)より】
日本人女性初となる8000メートル峰14座登頂を果たした渡邊直子さん【写真:インスタグラム(@naokowatanabe8848)より】

3歳から登山を始め、10歳で厳冬期の八ヶ岳登頂

 日本人女性初となる8000メートル峰14座登頂を始め、“世界一危険な山”K2(カラコルムII峰)に3度の登頂を果たし女性最多登頂記録としてギネス認定されるなど、輝かしい実績を誇る女性登山家・渡邊直子さん。本業である看護師の給与をつぎ込みヒマラヤに挑み続けるスタイルは、登山界においても異色の存在と言える。そんな渡邊さんが、このほど初の著書『エベレストは居酒屋です』(渡邊直子/講談社)を上梓した。「実は、お酒は飲めないんです」と苦笑しながらも、なぜこのような突飛なタイトルに行き着いたのか。これまでの半生や独自の山岳哲学に迫った。(取材・文=佐藤佑輔)

 渡邊さんが登山と出会ったのは3歳のとき。看護師だった母の勤め先の障がい児養育施設で、施設の園長が主催するキャンプに毎年参加、親元を離れてのサバイバル体験や山登りを繰り返した。

「その園長先生の教育論がとても魅力的で、幼少期から本物の経験をどんどんさせなさいという考えに、母はだいぶ影響を受けたようです」。小学生になると、野外活動を通じた子どもの遊びや学びを支援するNPO法人の活動に参加。中国での無人島キャンプやモンゴルの大草原を縦走するキャンプなど、多彩な経験を重ねていった。初めての雪山登山は10歳で登った厳冬期の八ヶ岳。12歳のときには、パキスタンで富士山を遥かに上回る標高4700メートル地点まで歩を進めたという。

「八ヶ岳のときは、『こんな小さい子に冬山装備なんか売れません!』とお店の人に止められたと母から聞きました(笑)。子どもの頃は体も小さくて、年上に勝てることなんかほとんどない。でも、山ではいつも先頭に立って歩いていける子だったので、『直子、強いな!』と一目置かれるのがうれしくて。学校では引っ込み思案な反面、やっぱり負けず嫌いなところもあって、口には出さずとも態度に出て、いじめに遭ったこともありました。死にたいとほのめかしたこともあったみたいですが、NPOの活動などで学校以外にも広い世界があることを知っていたので、そこまで深刻なことになることはなかったです」

 長崎大進学後、19歳のときにNPO法人の創設メンバーとネパールの5587メートル峰マルディヒマールに初登頂。2年後には6189メートルのアイランドピーク登頂を果たす。この時、4人の登山隊で医療担当を任された経験が、登山家と看護師という“二足のわらじ”を履いた人生につながっていく。

「医療担当といっても、何をするかはよく分かっていませんでした。日本人が来ると現地の人たちがみんな『歯が痛い』とか『ばんそうこうをくれ』と言って集まってくるんですよ。山を始めたきっかけもそうだったけど、人から褒められたり、頼られたりするとうれしいじゃないですか。私は母と違って、人のためよりもまず自分がというタイプだし、コミュニケーション能力が高いわけでもない。看護師には向いてないと思って避けていたんですが、ヒマラヤに行ったら新しい自分の一面に気がついたんです。山岳ガイドも一瞬考えたんですが、NPOの創設者からは『お前は向いてない』と言われました。私が自分のペースで突き進む性格で、相手に合わせられないということを分かっていたんでしょうね」

初の著書『エベレストは居酒屋です』の書影【写真:講談社提供】
初の著書『エベレストは居酒屋です』の書影【写真:講談社提供】

「私は一般人で、登山家じゃない」 独自の山岳哲学も

 長崎大卒業後は看護大学に入り直し、世界第6位の高峰チョ・オユー(8201メートル)に登頂したのは24歳のとき。看護師となってからは、激務の職場で資金を貯めては退職を繰り返し、ヒマラヤ遠征に向かう日々が続いた。31歳のとき、2度目の挑戦で世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に登頂。その後は世界に14座しかない8000メートル峰を次々と落としていった。

「周りにスポンサーをつけて登っている人がいなかったので、素人にスポンサーがつくという発想がなかったんです。看護の仕事にはやりがいも感じますが、それ以上に組織の人間関係など、ストレスも多い職場。エベレストやマカルーに登ってからは、仕事は仕事として、遠征費を稼ぐための手段と割り切っていました。あと、海外の登山家がベースキャンプでスポンサーを気にして常に連絡を取り合っているのを見て、何だか窮屈そうだなと。山に登らされているように見えてしまって、自分とは無縁の世界だと感じていました」

 記録に対するこだわりもなく、日本人女性初の14座登頂も、3度のK2登頂も「周りの扱いは変わりましたけど、特別な感慨はなかった」と振り返る。

「私は一般人で、登山家じゃないんです。目的の半分は大好きなシェルパ(山岳ガイドを担う現地民族)たちに会いに行くことで、ヒマラヤはお金を貯めて行くライブ会場のような場所。14座登頂も、本当に大したことじゃないんですよ。世界ではド素人みたいな人たちが、お金の力でシェルパを大勢雇って14座をやっている。ベースキャンプでドレスを着たセレブが映え目的のSNS撮影を始めることもある。一度来てみればイメージがガラッと変わると思います」

「エベレストは居酒屋です」という衝撃的なタイトルにも、そういった世間のイメージを壊したいという思いが込められている。近年、日本では登山に対する風当たりが強く、救助費用の有料化や入山規制の議論も盛んだが、遠くネパールの山から、母国の論争をどのような思いで見ているのか。

「救助の有料化には賛成ですが、入山規制は大反対。山はもっと自由に登れるもので、冬の富士山は登っちゃダメなんていうのもおかしな話。日本人が登山=危険行為だと批判するのは、メディアが山の危険な場面や過酷な場面ばかりを報道しているというのもあると思います。忙しすぎるストレス社会だからこそ、批判的になって、カリカリしている人が多いとも感じます。看護師の世界だってそうですよ。忙しすぎる現場はイライラした人が増えて、殺伐としてくるもの。心に余裕がなくなったら、一度ヒマラヤに来てみてほしい。私のヒマラヤ企画に参加した人の中には、『山ってこんなに楽しいんだ、なんだ簡単じゃん、次は8000メートルまで行ってみたい』と考えを変えていく人がたくさんいます。私は山の厳しさより、そういう楽しさを伝えていきたい」

 登山家ではなく一般人として、記録でも名誉でもなく「ただ楽しいから登る」。どこまでも純粋な動機が偉業に至った痛快は、山への固定観念をあらためる、これ以上ない実例に違いない。

次のページへ (2/2) 【写真】過酷なヒマラヤ登山、実際の写真
1 2
あなたの“気になる”を教えてください