パチスロ業界のイメージを一新 アウトローからスタイリッシュへ…時代の空気を変えたアニマルかつみという存在

パチスロライター歴30年超と、業界ではレジェンド的存在のアニマルかつみ。そのライター人生は、偶然の積み重ねからスタートしたものだった。高校中退を経て定時制高校を辞めた後は、アルバイトをしながらミュージシャン活動。地元・関西のバンドでメジャーデビュー後は、東京のバンドに誘われたことで上京した。その後、腱鞘炎の影響もあり、バンドは断念するも、「パチスロ必勝ガイド」(ガイドワークス)のライター・秋山宏一氏との邂逅を機に人生が一転した。人気パチスロライターとしての地位を確立するまでの日々を聞いた。

パチスロ業界の第一線で活躍し続けるアニマルかつみ
パチスロ業界の第一線で活躍し続けるアニマルかつみ

パチンコ・パチスロ業界で活躍する人物にフォーカス、第1回はアニマルかつみ【中編】

 パチスロライター歴30年超と、業界ではレジェンド的存在のアニマルかつみ。そのライター人生は、偶然の積み重ねからスタートしたものだった。高校中退を経て定時制高校を辞めた後は、アルバイトをしながらミュージシャン活動。地元・関西のバンドでメジャーデビュー後は、東京のバンドに誘われたことで上京した。その後、腱鞘炎の影響もあり、バンドは断念するも、「パチスロ必勝ガイド」(ガイドワークス)のライター・秋山宏一氏との邂逅を機に人生が一転した。人気パチスロライターとしての地位を確立するまでの日々を聞いた。(取材・文=濱マモル)

 関西在住時、読者プレゼント欲しさにハガキを投稿したことで知り合った秋山氏と、奇跡的に東京のパチンコ店で再会したことをきっかけにライターとしての道が拓かれた。

「そもそも出版の構造っていうものを分かってなかったんです。プロの方、パチスロの方は秋山(宏一)さん。パチンコの方はボーダー理論というのを立てた石橋達也さん。あとは田山(幸憲)さんですね。ああいう人たちは本当にパチンコで飯食ってるプロ。で、機種モノ、名前のないページは編集の人が書いてるって感じなのかな……と。スキームというか、どういう職業の人がどう関わっているのか知らなかったんです」

 アニマルかつみは、パチスロ必勝ガイドの企画『13時間デスマッチ』の出場オファーを受けて快諾。その文章力が認められ、当時の副編集長・ルーキー酒井氏にスカウトされる形でライターとしてデビューした。

「(酒井氏は)もちろん知っていたし、『存じております』と言ったら、『お仕事をお願いしたいから、編集部に来てくれませんか?』って言われたんです。僕のメジャーデビューしたバンドのことも知っていて。で、『最初から食べられる保証はないけど、フリーという立場でやってもらえるのであれば、仕事を振るし。その結果によっては、どんどん増える。保証はないけど、やりませんか?』って聞かれたんです。『全然、やりますよ』と伝えました」

 しばらくはアルバイトと掛け持ち。それが3か月ほどたつと、一気に仕事が増えたという。

「なぜかっていうと、秋山プロが辞めたんですよ。僕が『13時間デスマッチ』に出て、それが載ったのが92年の6月号。(『パチスロ必勝ガイド』の)月刊創刊号で、それまでは奇数月の刊行。今までよりも編集・制作のピッチが上がるから人が欲しい。まぁある意味、タイミングですよね」

 当時は少数精鋭。雑誌制作は多忙を極めたそうだ。

「陣頭指揮を執るのが酒井くん。フロアにも3~4人しかいなかったかな。手が空いてる人はお互いに助け合う。パチンコ(『パチンコ必勝ガイド』)の方も。で、いわゆるフリーランスは、僕の先輩だと、今はいないけどハトポッポ小泉さんで、フリーランスの編集兼ライター。あとは負男さんですね。僕より全然若いんだけど、大学生の頃からあの辺をウロチョロしていて。あとはグレート巨砲くん。大体、同期くらいですね」

ガル憎と始動させたTHE MAD PACHI-SLOT BROTHER'SではCDデビュー

 翌年からは徐々に人員も増加。96年には、後輩ライターのガル憎と誌面企画『THE MAD PACHI-SLOT BROTHER’S』(以下、マッパチ)を始動させる。

「96年5月号で告知して、6月号から活動を開始。おかげさまで告知した時点で反響があって。当時はね、雑誌が出たら1週間後にはおびただしい数のハガキが届いて。最初から、何をやるか明確なビジョンがあった。ほかの人が誰もやってないこと。あとはレトロ台を打つ。これを両立して、しかも『俺たちは!』ってキャラクターを全面に出して。タイミングが良かった。全ては始めた者勝ちですね。

 ズバリ言っちゃうと、マッパチの方向性を決めたのはガル憎なんだけど。それまでは、ちょっと影のあるアウトロー的なパチプロが、あまり顔を見せない感じで日記を載せてたり、大体、パチンコ雑誌に顔を出してる人たちって、そうだったから。それはそれで面白かったんだけど、(ガル憎が)『そういう流れを変えましょう』って。そしたら、パチスロを打つのはかっこいいんじゃないかなって(思ってもらえるかもしれない)」

 その思惑通り、2人のキャラクターを活かしたスタイリッシュなページと、レトロ台や裏モノ(違法改造機)を打つという内容は多くのファンを魅了。瞬く間に人気企画へと登りつめた。2000年には、バンド・THE MAD PACHI-SLOT BROTHER’SとしてCDをリリース。異例のセールスを記録する。レコードショップではユニークなインストアイベントも開催した。

「HMV(横浜店・当時)にパチスロ台『ビガー』を持ち込んでインストアイベントやったアーティストなんて、最初で最後だろうね。でも、結構盛り上がった。『誰が来てるんだ?』って遠巻きに見てる人もいて。なんかパチスロ台が置いてあって、『なんなんだ? これ』って」

 今でいう、パチンコ店への“来店”業務を始めたのも、このタイミングだ。

「実際、パチスロの人間なんで。バンドをやるにしても、スロッターの声を知りたい。最初に出したマキシシングル『2/16384』は、曲はオリジナルだけど、ガル憎くんが頑張った歌詞が、スロ打ちに刺さるような内容。文章を作ることに関してはプロなんで。あとは、手っ取り早くパチンコ店で売った方がセールスは上がるんじゃないのってね。

 昔から来店は、あるにはあったんですよ。昭和末期から平成始めの頃は大体、パチンコ屋さんの営業に来る人は有名芸能人さんか、プロレスラーさん。結局、オーナーさんの見栄っ張りなんですよ。自分のコネクションを示したいというね。

 その流れを変えたのが、『パチンコ攻略マガジン』(プラントピア)にいたベンツ小林さん。伝説の方。パチンコでベンツを買った男……という。そういう人たちがイベント的なことをやって。2000年台初頭くらいまでかな。(攻略の)手の内も明かしてるわけですよ、当時は。だから面白いし、みんなWIN-WIN。『すげーな、こういうのやってみたいな、俺も』って思っていたら、ちょいちょい『来ませんか?』ってオファーが来るようになりました」

ライター歴30年超でも意識し続ける空気感「現場はライブ」

 2001年にはパチスロトリビュートアルバム『SLOT-ISM』、2003年には『SLOT-ISM DVD』、『SLOT-ISM II』を発売する。一方で、パチスロ必勝ガイドは、さらに大所帯へと変化。アニマルかつみは徐々にライティング業務から来店業務へとシフトチェンジし、来店連動型のテレビ番組もスタートさせる。

「当時は、“来店”というか“イベント”だったんです。番組を始めたのは4号機末期の2005年。それ以前には、そういう(連動型の)電波媒体はなくて。番組の中で『マッパチプロデュースイベントをやらない?』って言われて。ガチで、カメラの前でマッパチが店長さんに『これだけ設定を入れてください』って交渉する。初代『パチスロ北斗の拳』、『吉宗』の2大巨頭が4号機最後の盛り上がりを見せてた頃。今ではあり得ない煽り方をやってましたね。メールでヒントを出したり、マイクで口を滑らせて設定発表。『あいつらが来る“スロレボ”っていうイベントは、とにかく面白い』。テレビの効果もあって、お客さんが来てくれましたね」

 その集客が話題を呼び、来店オファーが急増。全国を飛び回るようになる。

「“スロレボ”をやってない店舗さん、法人さんも、ほかの代理店さんを通じて『こういうイベントをうちでもやりたいです』って言ってくれて。いろいろ面白かったですよ。たとえば設定発表にしても、札刺しだけじゃ面白くない。ひがみで競合店が通報したりするんですよ、警察に。そういうのもあって、なにか面白い方法はないかと考えて、テプラに『何番台設定6』って書いてトイレに貼ったり。トイレの個室の扉に矢印だけ貼って、そこを見ると『何番台設定6』とか。あとは自動販売機。ドリンクが並んでますよね、100円とか150円とか。そこを『253番台』にしたり。あとはスタッフの背中にQRコードを貼りつけたり。そういうことをやってました。面白かったですね。人を扇動するのが、こんなに楽しいんだって」

 そんな折、2011年3月11日に東日本大震災が発生する。パチンコ業界は大規模な広告宣伝活動の自主規制を実施した。

「あの日から変わりました。いわゆる“イベント”から“来店”に。あおりもできなくなって。結局、広告屋さんが困っちゃったんですよね。それで、人を派遣することが何かしらの“示唆”につなげようとした。結果、よく分からない人たちが増えて、今に至るわけです。まぁ我々が年を取ったというのもあるけど、そこは時代の流れなんで否定はしません。今はSNSが主流ですしね」

 現在も来店業務を続けるのは、現場の声を聞くのが好きだからだという。

「家でのライティングは、ミュージシャンにたとえると音楽制作。スタジオワークみたいなものです。で、現場はライブなんですよ。書いているだけじゃ反響が分からない。(誌面)連載の反応も伝わってこない。でも、来店をやってると反響がダイレクトに来る。初めての現場で『海物語』を打つおっちゃん、おばちゃんが『誰が来てんねん』って居心地がよろしくなくても、それはお店のせいもあるかもしれないけど、僕自身のせいでもあるんで。次への課題にしようと思いますね」

 パチスロライターへの転身後は執筆業務で頭角を現し、THE MAD PACHI-SLOT BROTHER’Sでは誌面を飛び出して活躍。これをきっかけに、来店にも携わるようになる。大切なのはライブ感。ミュージシャンの顔も持つ、アニマルかつみならではの思考と言えるだろう。

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