「太田光物語」山田雅人の人生懸けた“かたりの芸”で恩師・高田文夫と爆笑太田に恩返し
「爆笑問題」太田光の半生を山田雅人の語りでひもとく「爆笑問題・太田光物語」(企画・高田文夫)が23日、全国でライブ配信される。敬愛して止まない太田を「東京のお父さん」と独特の言葉で呼ぶ山田が、48歳でスタートを切り、11年かけて磨いてきた芸「かたりの世界」の集大成として、太田本人をゲストに招き、さらに恩師の高田文夫、そして盟友の松村邦洋を証人として迎え、全国に発信する。人生を懸けた一世一代のステージ。その並々ならぬ思いを山田が語った。
山田雅人が“魂のかたり”で太田光の半生を描く
「爆笑問題」太田光の半生を山田雅人の語りでひもとく「爆笑問題・太田光物語」(企画・高田文夫)が23日、全国でライブ配信される。敬愛して止まない太田を「東京のお父さん」と独特の言葉で呼ぶ山田が、48歳でスタートを切り、11年かけて磨いてきた芸「かたりの世界」の集大成として、太田本人をゲストに招き、さらに恩師の高田文夫、そして盟友の松村邦洋を証人として迎え、全国に発信する。人生を懸けた一世一代のステージ。その並々ならぬ思いを山田が語った。
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太田さんとの出会いは32年前の1988年。デビューしていきなり売れっ子だった爆笑問題が僕のやっていた番組にゲストで来てくれたんです。その時は「次は爆笑問題さんでーす!」って振るだけで、絡みはありませんでしたが、当時から爆笑問題の漫才が大好きで、太田さんの瞬時に飛び出す言葉の数々にワクワクしていました。
僕は11年前、48歳の頃に高田先生から助言をいただいて「かたりの世界」を初披露しました。「稲尾和久×長嶋茂雄物語」でしたが、それを聞いた高田先生は「これで食っていける」と太鼓判を押してくれたんです。その言葉を胸に“かたりの芸”を本格的にはじめました。
ご存知かもしれませんが、以前、テレビ番組で東大受験を目指すという企画を7年ほどやっていました。元々勉強が好きだったんで諦めずに続けていたら、徐々に良い成績を取れるようになりました。ところが、それを見ていた僕の恩人・南こうせつさんが、「語りを極めたいなら二兎追ってはいけない。芸に集中しなさい」と言ってくださったんです。
それから「かたりの世界」に集中することを決めて、ネタも100本作り、19年12月に東京の浜離宮ホールで「藤山寛美物語」を披露しました。それを見てくださった高田先生から10年目にして初めてお褒めの言葉をいただきました。そこで「上方は藤山寛美がやれたんだから今度は江戸だ。これからの江戸の笑いは、いや日本の笑いを引っ張っていくのは、爆笑問題の太田光だ。太田光を作れ」と助言をいただき、「太田光物語」の作品作りが始まりました。
直接事務所に手紙を書いて、太田さんにオファーをし、ご本人の取材だけでなく、個別に田中裕二さん、奥様のタイタン社長の太田光代さんにも取材をさせていただきました。