「うどん大国」香川でまさかのラーメン学校設立 業界に革命起こした経営者の“逆転の発想”

「うどん大国」で知られる香川県に、なぜか“ラーメン学校”がある。その意外な取り組みは、日本のラーメン業界の常識を変える逆転の発想から生まれた。紆余曲折の道のりを、創業者の藤井薫さんが語った。

一代で日本を代表する製麺機メーカーに【写真:ENCOUNT編集部】
一代で日本を代表する製麺機メーカーに【写真:ENCOUNT編集部】

うどん県でラーメン学校 苦難の道のり

「うどん大国」で知られる香川県に、なぜか“ラーメン学校”がある。その意外な取り組みは、日本のラーメン業界の常識を変える逆転の発想から生まれた。紆余曲折の道のりを、創業者の藤井薫さんが語った。(取材・文=水沼一夫)

 藤井さんはもともと、うどんの製麺機から事業をスタートさせた。1975年に、製麺機メーカー「大和製作所」を創業。さぬきうどんの本場・香川で研究を深め、製麺機の販売を始めたのが九州だった。販売は徐々に軌道に乗った。

 しかし、そこで想定外の声を聞く。

「うどんだけじゃない。ラーメンの機械も必要だ」

 地域によって求められるものは違う。藤井さんはその声を受け、ラーメン用の製麺機を開発。さらに関東に進出すると、「そばがなければ通用しない」と言われ、今度はゼロからそば文化を学び、製麺機を作り上げた。お客さんに言われたら、何でもやる。その柔軟さが事業を広げた一方で、次第にある違和感を抱くようになる。

 製麺機は売れる。だが、機械を導入した店の中には成功する店と、失敗する店があった。

 その差は何か。

 たどり着いた結論はシンプルだった。

「武器だけ与えてもダメなんです。戦い方を教えないと」

 機械はあくまで道具に過ぎない。店を繁盛させるには、麺の打ち方やだしの取り方、経営のノウハウまで含めて理解する必要がある。藤井さんはそう考えるようになった。

 転機となったのは、コンビニ大手セブンイレブンの考え方だった。知人を介し、同社の本質は「物を売る会社」ではなく、「生業支援会社」だと教えられた。時代の変化で消えゆく個人商店を支え、成り立つ仕組みを作る。それが使命だという。

 この言葉に衝撃を受けた藤井さんは、自社のあり方を見直した。

「製麺機メーカーではなく、麺専門店の繁盛を支援する会社になるべきだ」

 そう社内で宣言した。

 だが、その理念を実行に移すのは簡単ではなかった。まず、藤井さんが打ち出したのは「365日メンテナンス」という前例のない取り組みだった。飲食店は土日や祝日のほうが忙しい。ならば、そのときこそ機械を支えるべきだという考えだ。しかし、社員は猛反発した。休みがなくなるからだ。実際に退職者も出た。それでも藤井さんは方針を曲げなかった。

 結果は明確だった。休日に駆けつけるメンテナンスに、店側は強い信頼を寄せるようになった。修理に出向いたエンジニアが、「これを食べていけ」と食事を振る舞われることも珍しくなかったという。やがてその積み重ねが評価され、同社は業界トップのシェアを獲得するに至った。

 そして、藤井さんは、もう一つの結論にたどり着く。

「機械だけでなく、成功する方法そのものを教えるべきだ」

 こうして誕生したのが「大和麺学校」だった。当初はうどん学校から始まったが、やがてラーメン学校も開設する。香川でラーメンという意外性のあるチャレンジだったが、そこにも明確な理由があった。

 ラーメンは、うどんやそばと比べて自由度が高い。スープ、麺、具材の組み合わせで無限のバリエーションが生まれる。さらに製麺機やセントラルキッチンを活用することで、味の再現性が高く、ビジネスとして拡張しやすい。

ラーメン学校では天然素材を調合する【写真:ENCOUNT編集部】
ラーメン学校では天然素材を調合する【写真:ENCOUNT編集部】

有名店に弟子入り「ひと声500万」の時代

 とはいえ、その道のりは、平坦ではなかった。

「ラーメン学校はハードルが非常に高いというのを初めから分かっていましたから、覚悟して始めたんです」

 その言葉通り、いきなり壁にぶち当たる。

 藤井さんが特にこだわったのが「無化調」だ。化学調味料に頼らず、天然素材だけで味を作る。学校で教えるからには、ラーメンも安心して食べられるものにしたいという願いからだった。

 しかし、ラーメン業界からすれば、無謀とも言える試みだった。

「ラーメン業界になかった考え方。ラーメン店の繁盛店はもうほとんど皆さん、化学調味料を使っているんですね。今になって思えば、一番難しいことを初めからやったなと思います」

 業界の“常識”に逆行しただけではない。教え方もユニークだった。他のラーメン学校は、基本のしょうゆラーメンやみそラーメンなどを教えるカリキュラム。一方、藤井さんの学校では、「皆さんが希望するスープを教えます」と掲げ、受講生一人ひとりの要望に応じて味を再現する方針を打ち出した。

 当時は有名ラーメン店でスープの教えを請えば、「ひと声500万の時代」。それを学校では化学調味料を使わずに、ほとんど同じ味に近づけるという。

 最初は難航を極めた。

 生徒からは、「こんなスープ教えてほしい、あの店のこのスープを教えてほしい」との要望が相次いだ。期待に応えようとしたが、手元にデータはない。雑誌を頼りに試みても、再現にはほど遠かった。

 藤井さんは方針を転換した。

「そこの店のスープを持ってきてくれと、言いました。ペットボトルに入れて冷凍して。それと現物を置いて比較して作るようになっていったんです」

シンガポールのラーメン学校で指導したこともある【写真:本人提供】
シンガポールのラーメン学校で指導したこともある【写真:本人提供】

化学調味料を使わずにうまみを出す方法

 何度も何度も試行錯誤を重ねた。貝柱、あさり、エビの元ダレをベースに、複数の材料をグラム単位で調合した。さらに塩度や濃度も細かく整えた。

「ラーメンで非常に難しいのは、1つは、病み付きになる味ですね。麻薬みたいな味を作り出す。で、そのために多くの繁盛店が化学調味料を使って、非常に若い人たち、天然の調味料に慣れてない人たちが、化学調味料のうまみ成分にごまかされてしまって、舌がマスキングされてしまっているんです」

 同じ塩濃度のスープを無化調で作ると、塩辛くて飲めなかった。

「ところが、化学調味料を入れると、塩辛さが一発で消えるんです」

 食後、喉がかわき、水を飲みたくなるのがその証拠だった。いかに塩度を抑えて、スープを作り上げるか。これこそが、藤井さんの挑戦だった。

「うま味を何十層にも重ねて、例えばグルタミン酸やイノシン酸、あるいは貝類のコハク酸、キノコのグアニル酸とか、いろんな材料を元材に入れて、味を多層構造にする。うま味のデパートみたいなラーメンを作って、病み付きにしてしまう」

 化学調味料は不要だった。「そうすることによって、だんだん、だんだんと、もうほぼぴったりのものができるようになります」。生徒たちと侃々諤々の議論を繰り返し、どんな名店のスープでも、再現することが可能になった。

 藤井さんは、スープを数値で管理し、再現する「デジタルクッキング」という考え方を確立した。勘や経験に頼るのではなく、誰でも同じ味を再現できる仕組みを作る。これは後に海外展開を見据えた戦略でもあった。

 実際、学校には世界中から受講生が集まるようになる。中にはチームで参加し、役割分担を明確にしたうえで多店舗展開を前提に学ぶ外国人も少なくない。

「日本人は一人でやる“家業”として考える人が多い。でも海外は最初からビジネスとして組織で動く」

 その違いが、結果にも表れているという。

「ロッキー」の愛称で知られている【写真:ENCOUNT編集部】
「ロッキー」の愛称で知られている【写真:ENCOUNT編集部】

『カンブリア宮殿』出演後に受講生が殺到

 2013年には、テレビ東京『日経スペシャル カンブリア宮殿』に取り上げられ、受講生が殺到した。

「もう電話が鳴り止まない。『息子に教えてほしい』とかいろんなお父さんからも電話がありました。ずっと3か月待ちぐらいの状態が続きました」

 藤井さんの教え方は、愛情にあふれる一方で、厳しくもある。

「もうあんたはやめたほうがいい、あんたは向いてないとかね、結構あったんです」

 講義に臨む態度一つとっても、飲食サービス業としての適性を判断。受講後、製麺機の販売についても、営業マンにこう呼びかけている。

「営業マンのモチベーションを下げるお客さんには売らんでいいと言ってるんです。それが、当社がよそと全然違う点です」

 ラーメン学校を開設する前、一風堂創業者の河原成美さんに師事した。河原さんは、博多から香川へ、何度も足を運び、藤井さんの会社に泊まり込んでラーメン作りの技術を教えてくれた。そのことを、藤井さんは忘れない。

 ラーメンは今や世界中に広がるグローバルフードとなった。製麺機の開発、元ダレの発明、そして自由な発想。伝統に縛られず進化してきたことが、海外で受け入れられた理由だと藤井さんはみる。

 うどんの本場で生まれた逆転の発想は、いまや世界の麺ビジネスを支えるモデルへと進化している。香川のラーメン学校は、その起点に立っている。

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