「今考えたら狂っている話」 船木誠勝、妻が語るヒクソン戦決定後に結婚した理由
リング上では屈強なファイトを展開するプロレスラーにも、当たり前の話として家族が存在する。しかも自分の配偶者が重要な試合に挑むとなった場合に、それを支える身内はどんな思いでいるのか。今回は“伝説”のヒクソン・グレイシー戦前に結婚した、船木誠勝・いづみ夫妻に話を聞いた。

初対面ではお互いに相手のことを年上だと思っていた」
リング上では屈強なファイトを展開するプロレスラーにも、当たり前の話として家族が存在する。しかも自分の配偶者が重要な試合に挑むとなった場合に、それを支える身内はどんな思いでいるのか。今回は“伝説”のヒクソン・グレイシー戦前に結婚した、船木誠勝・いづみ夫妻に話を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
船木夫妻が最初に知り合ったのは、ヒクソン戦(2000年5月26日、東京ドーム)から遡ること2、3年前。共通の知人を介して知り合った2人は、「お互いに相手のことを年上だと思っていた」(いづみさん)そうだが、紆余曲折あってヒクソン戦の前年に当たる1999年の春頃、正式に付き合い始める。
わざわざヒクソン戦につなげながら書いているが、そこには理由がある。
船木が語る。
「ヒクソン戦が決まったので、早く籍を入れなきゃってなったんですよ」
なぜそうなるのか。すぐには話が飲み込めなかったが、妻・いづみさんによる次のひと言で概略はつかめた。
「もしかしたら(ヒクソン戦で)死ぬかもしれないからって言ってて…」
なるほど、そういうことか。しかし万が一そんなことが起こったら、新妻のいづみさんは未亡人になってしまう。実際にそう伝えると、「そうなんですよ」と船木が笑った。
「今思えば、すごく変だったんですよ」と話したいづみさんが、当時の状況を振り返る。
「入籍をする時に、結局、付き合いはじめたばっかりだったから、『ちょっと待ってって。これ、(船木が)死んだらどうなるの?』みたいな話になったんですよ。私、もし(船木が)死んだら、お墓とかお葬式にも行けないのかなって。それはそうだよね、誰も連絡先を知らないからね、みたいな」
しかし、当時は彼女の立場でいたいづみさんからすれば、「おかしくない?」という感情を持った。至極当然の話である。
「それで籍を入れたっていうことです」と船木は話したが、「今考えたら狂っている話なんですよ。たぶん、付き合いたてだからそうなったんです」といづみさんは答え、船木も「そうだね。一番燃えている時なので…」と続けると、さらにいづみさんが「それで急遽、プロポーズみたいになったんですよ」と話し、船木が「いきなりですよ」と語った。
いづみさんからすれば、「えっ、今?」と思ったそうだが、この流れが常に実直な船木らしい。
船木によれば「たしか(1999年の)秋くらいに(ヒクソン戦が)決まっている」ことから、船木といづみさんは会見から程なくして、正式に結婚することになる。
生涯初の履歴書を書く
ただ、すんなりと結婚が決まったわけではない。
今も昔も結婚とは当人同士以上に、家同士の話になる場合が多いが、船木といづみさんが夫妻になる時も例外ではなかった。
これに関していづみさんは、「最初、知り合いの人に聞いたら、船木さんみたいな人をいきなり連れて行くと(両親は)ビックリするから、それはやらないほうがいいよ!」と言われたものの、実際に「両親に挨拶に行きたい」との話を母親にお伺いを立てたところ、「父親が、どこの馬の骨だから分からない人にあいさつに来られても困る」と言ってると母親から伝え聞いたという。
そこで船木夫妻は話し合った末に、「履歴書を書きました。生まれて初めての履歴書を書きましたね。経歴」(船木)と明かすと、「新日本(プロレス時代)でも書いたことないのに」といづみさんが続けた。
このあたりの話も、非常に船木らしい実直さが現れている。
いづみさん「分かりやすいから、(船木が)『週プロ(週刊プロレス)』だの『格通(格闘技通信=現在休刊中)』だの、そういうの(専門誌)を送ってあげた方がいいだろうって」
船木「自分の(試合が収録された)ビデオと出した本をダンボールにひと箱、用意して送りました」
いづみさん「そしたらウチの父親がビックリして。爆弾を送られて来たかのような反応をされましたね」
それでも、いづみさんの父親も「来るとなれば、読まないのも失礼だからって本を読んでビデオを見てくれたらしいです」と話すと、船木はいづみさんの父親から「考えは分かる」と言われたことを明かした。
さらに興味深いのはその日の夜のこと。
船木「夜になると飲み会がはじまるじゃないですか。そこですごくホッとして泣きましたね」
いづみさん「みんなビックリしちゃって。すごく楽しい会になっていたのに急に泣かれたから、どうしたの? って」
想像するに、これから文字通り命をかけて挑む一戦の大きさを考えると、いつの間にか船木は様々なものを抱えていたのだろう。船木からすれば、勝利はもちろんのこと、大会をいかに成功させるか。当時の立場は自身が主催者でなかったとしてもプロレス界の代表として赴く、まさに「一世一代(の大勝負)」(船木)だったからだ。
しかし、四半世紀以上前のヒクソン戦の裏で、実は当事者の1人である船木がそんなことになっているとは……。面白いと言っては失礼だが、ヒクソン戦の見方にまた一つの興味深い視点が加わった瞬間だった。
(一部敬称略)
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