『葬送のフリーレン』第2期で変わった“作品の重心” 丁寧なアニオリ演出が描くもの
第1期から高い支持を集めてきた『葬送のフリーレン』。1月に放送が始まった第2期も、その熱量をしっかり引き継ぎながら反響を広げている。その理由は、第1期の余韻を損なうことなく、アニメオリジナル(アニオリ)の演出で原作の行間を広げ、物語の手触りをより豊かなものにしているところにあるのだろう。

秀逸な演出で“パーティの関係性”を可視化
第1期から高い支持を集めてきた『葬送のフリーレン』。1月に放送が始まった第2期も、その熱量をしっかり引き継ぎながら反響を広げている。その理由は、第1期の余韻を損なうことなく、アニメオリジナル(アニオリ)の演出で原作の行間を広げ、物語の手触りをより豊かなものにしているところにあるのだろう。
長命のエルフであるフリーレンが、かつてのパーティメンバーと過ごした時間の意味をあとから知っていく――その大きな枠組みを描いた第1期に対し、第2期が見つめるのは、いま隣にいる相手と日々を重ねるなかで、その時間がどのようにかけがえのないものになっていくのかという問いだ。ヒンメルたちとの記憶を抱えているからこそ、フリーレン、フェルン、シュタルクという新たなパーティの関係性が、これまで以上に丁寧に可視化されている。
その描き方を支えているのは、大きなドラマを大きな言葉で語りすぎないという、この作品の一貫した姿勢である。勇者ヒンメルの死や魔王討伐といった歴史的な出来事を抱えながら、作品が執拗にすくい上げるのは、ふとした沈黙や視線の揺れ、言葉にしきれない感情の残り香だ。第2期ではその持ち味がさらに洗練され、派手な展開よりも、キャラクター同士の距離がほんのわずかに変わる瞬間へと重心が移されている。
そのうえで第2期が秀逸なのは、原作の行間を映像で丁寧に増幅するアニメオリジナルの演出だ。象徴的なのが第32話「誰かの故郷」である。筋立て自体は原作に沿っているが、アニメでは、デートでありながらどこか噛み合いきらないフェルンとシュタルクの空気が、間や視線の作り方を通じてより繊細に立ち上がっていた。なかでも、露店でカップル割引を勧められるくだりは、2人の距離感を端的に示す場面だったのではないだろうか。
シュタルクにとっては流れのなかで決まったことでも、フェルンにとっては簡単に流せない“大事なデート”。同じくデート中であろう別のカップルをさりげなく映し込むことで、フェルンの意識がどこに向いているかをそっと示してみせる。もちろん、シュタルクにとってもフェルンが大切な存在であることは間違いない。ただ、その思いの表し方が絶妙に噛み合わず、もどかしいすれ違いとしての描写を補っていたところに、第2期のアニオリ演出の巧さが表れていた。
こうした日常芝居の増幅とは別の方向で、第30話「南の勇者」のアニオリも印象深い。伝説の英雄を人形劇という形式で見せるこのパートには人形劇団プークが協力し、斎藤圭一郎が絵コンテ・演出・原画を手がけた。南の勇者の偉業を歴史的事実として説明するのではなく、子どもたちの前で繰り返し演じられるおとぎ話として立ち上げることで、過去の出来事をこの世界にいまも息づくものとして感じさせる。アニメにおいて世界観の背景や過去を伝える場面は、どうしても説明的になりやすい。だがここでは、人形の素朴な動きや手触りを通して、かつての英雄の生きざまが語り継がれ、なお生き続けていることを自然に伝えていた。
アニメならではの強みは、戦闘シーンにもはっきり表れている。アクションの派手さで押すのではなく、フリーレン、フェルン、シュタルクの役割分担と信頼関係を、身体の動きとして見せる方向に力点が置かれているのだ。コミックスでは比較的簡潔に描かれる戦闘も、アニメでは誰が前に出て、誰が援護し、誰が守るのかという配置に、それぞれの関係性がにじむ。第32話後半、北部高原に入ってからの戦いも、実戦のなかで3人の連携がどう成り立っているのかを示す構成になっていた。日常と戦闘が断絶せず、どちらも関係性を描く場面として機能している。その一貫性もまた、第2期の大きな強みだろう。
物語が描く“時間”を別角度から照らすOPとED
映像の演出がそうした繊細さを担う一方で、音の側からそれを支えているのがEvan Callの劇伴だ。第2期でも引き続きEvan Callが音楽を手がけており、オーケストラを基調にした豊かな響きを持ちながら、ただ壮大なだけでは終わらない。とりわけ弦のやわらかな音色が、追想の感触を支え、伝説や戦いの場面にもどこか祈りのような余韻を残す。第2期ではその性質がいっそう際立ち、過去の出来事と現在の旅路とが、同じ響きのなかで重なって聞こえてくる。感情を煽るためだけではなく、この物語に流れる長い時間そのものを響かせるような劇伴だ。
主題歌もその延長線上にある。オープニング(OP)のMrs. GREEN APPLE「lulu.」は、命や宝物、思い出、意志といったものが、誰かから誰かへ受け渡されていく感覚を、風通しのいいメロディで包み込んだ一曲だ。ヒンメルたちが遺したものがフリーレンのなかに残り、さらにフェルンやシュタルクへとつながっていく。この作品の中心にある“継承”の感覚を、楽曲が正面から言語化している。
北川朋哉が絵コンテ・演出を手がけたOP映像も印象深い。そこに繰り返し現れる花びらのモチーフは、それぞれの人物が抱えてきた記憶や時間の断片のようでもあり、第2期が描く旅の連続性を象徴的に示している。とりわけ、フリーレンの手のひらにシュタルクやフェルン、さらにはヒンメルを思わせる色の花びらが収まるカットは美しい。受け継がれてきた思いと、いま隣にいる存在とが、ひとつのイメージのなかで響き合う場面になっている。
一方、エンディング(ED)のmilet「The Story of Us」は、より内省的な手触りを持つ楽曲だ。第1期ED「Anytime Anywhere」が喪失を抱えた旅の祈りだったとすれば、第2期EDはその旅を“私”だけでなく“私たち”のものとして包み込んでいく。進む一歩にも、立ち止まるときにも、振り返る瞬間にも、それぞれの意味がある。そんなメッセージを背負ったフリーレンの旅を、色鉛筆調の柔らかなタッチで描くノンクレジットEDもまた、積み重ねられていく記憶として旅を見つめ直す映像になっている。
印象的なのは、OPとEDが「受け取って歩むもの」と「残すもの」という視点の違いによって対になっていることだ。OPが、過去から託された思いや記憶を抱えてその先へ進む姿を映すものだとすれば、EDは、そうして生まれた日々が誰かのなかにやさしく残っていくことを見つめるものとして響く。2曲はフリーレンとヒンメルの視点を借りながら、この物語が描き続けている“時間”をそれぞれ別の角度から照らしているともいえるのではないか。
『葬送のフリーレン』第2期が優れているのは、原作に忠実であることそのものではなく、原作が描いてきた時間の重みを、アニメという形でより深く響かせている点にあるのだろう。何気ないやりとりや短いまなざしの一つひとつが、あとからどんな意味を帯びてくるのか。壮大な物語でありながら、そんなことを改めて振り返りたくなるような作品だ。
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