小林幸子が明かす60年前の渋谷とカラーテレビ「スクランブル交差点もなかった」

1964年、アジアで初開催となった東京オリンピックの開催年に10歳でデビューし、芸能生活は60年を超える歌手・小林幸子。渋谷区観光協会観光大使も務め、若者からは“ラスボス”の愛称で絶大な支持を集め、「BAG@渋谷二丁目ストリートギャラリー」(2月27日から全面オープン)の被写体の一人としても登場する小林が、半世紀以上見つめ続けてきた「渋谷の原風景」を明かした。

屋外アート展示に被写体として参加した小林幸子【写真:増田美咲】
屋外アート展示に被写体として参加した小林幸子【写真:増田美咲】

渋谷の「寛容さ」のルーツとは

 1964年、アジアで初開催となった東京オリンピックの開催年に10歳でデビューし、芸能生活は60年を超える歌手・小林幸子。渋谷区観光協会観光大使も務め、若者からは“ラスボス”の愛称で絶大な支持を集め、「BAG@渋谷二丁目ストリートギャラリー」(2月27日から全面オープン)の被写体の一人としても登場する小林が、半世紀以上見つめ続けてきた「渋谷の原風景」を明かした。(取材・文=平辻哲也)

 今や世界中から観光客が押し寄せる渋谷のスクランブル交差点だが、小林が上京した当時は影も形もなかったという。

「私がデビューした頃は、スクランブル交差点自体がまだなかったんじゃないかな。当時、ほとんどのお家がまだ白黒テレビなんですよ。で、白黒のテレビに『東京オリンピックをカラーテレビで見よう』ってスーパー(テロップ)が映るんです。高いからみんな買えないんだけど、オリンピックの年だから買おうかなって、丸井の月賦でね、みんな買った。そんな時代でした。本当に変わりましたね、渋谷は」

 現在、若者文化の中心地として賑わうセンター街の奥、宇田川町エリアも、昔はまったく違う姿だったと振り返る。

「私が15歳の時に日舞のお稽古で行った時は、宇田川町なんか夜になると真っ暗ですよ。もう本当に10時を過ぎると、静かなところで。帰りは暗くて、街灯があるくらいで怖いから、とりあえず渋谷駅に向かって走ろう、みたいな時代でした。60年見てきて、だいぶ変わりました」

 さらに、若者の街というイメージが強い渋谷には、知られざる「花柳界」の歴史もあったと語る。

「渋谷って『新しい若者の街』って言われますけど、古い伝統芸能もきっちり培ってきて、現在もあるんです。円山町にあった、渋谷の花柳界のことはもうあんまり知られてないですよね。芸者さんがたくさんいた時は、100人近くいたそうです。(知人の日本舞踊の)お師匠さんが、『若い頃はここはすごかったのよ。芸者さんがいて三味線の音が鳴ってね』って」

 やがて、小林の『おもいで酒』が大ヒットした1979年の少し後からは、原宿・渋谷エリアで「竹の子族」が社会現象に。そうした若者たちの自己表現の爆発が、現在の渋谷の「寛容さ」に繋がっていると小林は分析する。

「私が『おもいで酒』という歌に巡り会った頃には、竹の子族が本当に踊ってましたからね。いわゆる竹下通りが注目されるようになって、若者たちの文化が形になって、ファッションもね。だから渋谷は原宿も含めてそうなんだけど、どんなにすごい格好をしていても、みんなびっくりしないですよね。『それでいいんだ』っていうふうに自信を持たせてくれる。別に悪いことしてるわけじゃないのに、『悪い格好だ』とか、悪い子だと思われることがない街なんですよね。寛容なのかな」

 どんなに奇抜なファッションも、新しいカルチャーも、まずは受け入れて面白がる。半世紀以上かけて成熟した渋谷のその「寛容さ」こそが、常に新しい表現に挑み続ける小林幸子というアーティストと深く共鳴しているのだろう。

□小林幸子(こばやし・さちこ)1953年12月5日、新潟県生まれ。64年、10歳の時に『ウソツキ鴎』でデビュー。79年に『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、全日本有線放送大賞グランプリや日本レコード大賞最優秀歌唱賞など数々の音楽賞を受賞した。『NHK紅白歌合戦』には34回出場を果たし、華やかで巨大な衣装は毎年大きな話題を呼んだ。近年はニコニコ動画をはじめとするネットカルチャーにも活動の場を広げ、若い世代からも「ラスボス」の愛称で絶大な支持を集めている。

□BAG@渋谷二丁目ストリートギャラリー
場所:東京都渋谷区渋谷二丁目12番地他(東建インターナショナルビル、東建長井ビル跡地)
主催:BAG-Brillia Art Gallery-(運営:東京建物株式会社)
期間:2025年10月31日~2026年10月31日

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