「禁断症状が苦しかった」 自傷行為やオーバードーズに依存した過去、21歳・まいきちが再出発できたワケ

インフルエンサーで俳優としても活動するまいきちが、21歳の誕生日となる1月30日に『まいきち1stフォトエッセイ 承認欲求』(KADOKAWA)を発売した。同著では、もがき苦しんだ日々を赤裸々につづっている。不安定な学生時代を送った彼女が「18歳から自分の人生が始まった」と語るその真意とは――。まいきちがたどってきた紆余曲折を聞いた。

インタビューに応じたまいきち【写真:増田美咲】
インタビューに応じたまいきち【写真:増田美咲】

暗闇でもがいた青春時代…壮絶過去と再出発への覚悟

 インフルエンサーで俳優としても活動するまいきちが、21歳の誕生日となる1月30日に『まいきち1stフォトエッセイ 承認欲求』(KADOKAWA)を発売した。同著では、もがき苦しんだ日々を赤裸々につづっている。不安定な学生時代を送った彼女が「18歳から自分の人生が始まった」と語るその真意とは――。まいきちがたどってきた紆余曲折を聞いた。(取材・文=中村彰洋)

 著内では、学生時代のいじめ、母親との複雑な関係、さらには自傷行為やオーバードーズ(OD)と、実際にまいきちが経験してきたリアルがつづられている。インフルエンサーというきらびやかな一面の裏に宿っていた暗い影。そんな過去があったからこそ、今があると語る。

 歌手の母、作曲家の父のもとに生まれ、敷かれたレールの上で生きてきた。1歳から芸能活動をスタートさせ、数えきれないほどの習い事を経験した。小4までは将来を見据え、中華学校に通っていた。当時は“親に言われるがまま”の日々だった。

「子どもながらに、私って親の道具なのかな、本当に愛されているのかなと思っていました。親が喜んでくれるから、そのために頑張るだけ。芸能界への興味も全くありませんでした」

 しかし、当時通っていたダンススクールでの出会いが意識を変えた。強い意志を持って活動する同世代の存在に、初めて「負けたくない」という感情を抱いた。そこからは、歌やダンスだけではなく、ドラムにギターなど自身の可能性を追及していった。

 時を同じくして、小5で公立小学校へと転校。ここから徐々に歯車が狂い始めた。異国の文化で育った彼女にとって、“日本の空気の読み方”が分からず、周囲からは浮いた存在となった。そして、いじめが始まった。無視をされたり、物を隠されたり、時には上履きに釘が刺さっていたり……。しかし、当時は「嫉妬か」と割り切ることで、どうにか日々を耐え抜いていた。

 こういった要因が重なった時に見出したのが、SNSへの投稿だった。現実とは異なる自分の居場所――。ここから“まいきち”としての人生がスタートした。

 一方で、中学へ進学しても環境は変わらず、いじめが終わることはなかった。そんな現実を忘れるかのように投稿を続け、フォロワー数も徐々に拡大。気付けば“インフルエンサー”として一目置かれる存在となり、芸能事務所への所属も決まった。過去の努力も実り、歌手としてメジャーデビューを果たすほどの活躍を見せた。

どん底だった青春時代を振り返った【写真:増田美咲】
どん底だった青春時代を振り返った【写真:増田美咲】

ネットからも突き放され“どん底”へ「居場所がなくなってしまった」

 SNS上の光と現実世界の闇。極限のバランスを保ちながら、日々を過ごしていたが、コロナ禍をきっかけに一気に崩れていった。2020年にコロナ感染を公表すると、DMを通じて「どうせ遊んでたくせに」「そのままコロナで死ね」といった誹謗中傷が大量に届いた。自分の居場所だったはずのSNSからも攻撃の対象とされてしまった。

「いじめをたくさん経験してきたので、友情なんて薄っぺらいものだと割り切ることができていました。でも、ネットは自分の居場所で、受け入れてくれている場所だと思っていたんです。だからこそ、そこからも攻撃されてしまった時に、居場所がなくなってしまったんです。友達もいないし、親にも頼れませんでした」

「現実逃避をしたい」「今を生きたくない」。ただその一心で自分の体を傷つけるようになっていった。痛みを感じる瞬間だけは嫌なことを忘れることができた。ODで意識をもうろうとさせることで、現実から逃げることができた。負の感情は肉体だけではなく、精神までをもむしばんでいった。双極性障害や境界性人格障害、過換気症候群などあらゆる診断を受けた。

 しかし、ネットの恐怖を体感しながらも、SNS投稿を辞めることはなかった。「とにかく認められたい」。その思いが彼女を突き動かしていた。

「本能的には死にたくないんです。自分を傷つけたくもない。でも自傷行為にすがってしまう。だからこそ、そうするぐらいなら配信をして現実を忘れようと、TikTok投稿に力を入れるようになっていきました。とにかく認めてほしいからもっと頑張る。承認欲求を満たしたいという一心でした」

 暗闇でもがき苦しんでいた彼女に転機が訪れたのは、17~18歳の頃だった。母親との関係に変化が生じた。

「もういなくなろうと思って、数百錠の薬を一気に飲んだ日がありました。意識を失って、目が覚めたらお母さんの腕の中でした。『ごめんね』と謝りながら私を抱きしめていました。その瞬間にすごく安心することができたんです。ずっと自分の居場所を探していましたが、『こんな近くにあったんだな』って。その時にお母さんが『真以采(まいあ)の好きなように生きて。真以采の幸せが私の幸せだよ』と言ってくれました。そこから、お母さんも変わりましたし、私もお母さんに心を開いて素直になれました。今は愛情を感じながら過ごすことができています」

 一方で、その後も引きこもり生活を続けていたが、ふと鏡に映った自分と向き合った時に「この子を傷付けちゃダメだ」と直感的に感じたという。

「ずっと薄暗い部屋に閉じこもって、外に出ない生活をしていました。ごはんも食べられない、お風呂にも入れない。とにかく感情に振り回されていました。でも、ふと鏡を見た時に『何やってんだろう。私は努力したらできる子じゃん』と思えたんです。その瞬間に、影の自分を倒せた感覚がしたんです。明確な転機があったわけではないですが、自分の中で少しずつ変化していきました」

現在の事務所と出会い意識にも変化が芽生えた【写真:増田美咲】
現在の事務所と出会い意識にも変化が芽生えた【写真:増田美咲】

想像もしていなかった「ホリプロ」との出会い「私なんかじゃ入れないと」

 そこからは親に敷かれたレールを進むのではなく、自らの意志で決断していった。自傷行為やODも絶った。「禁断症状や離脱症状が出て苦しかったです」。キラキラしていた自分を取り戻す――。初めて自分の意志で「芸能活動をしたい」と思うようになり、事務所探しをするようになった。

 その中で出会ったのが、現事務所「ホリプロ」だった。いわゆる世間が抱く“ホリプロのタレント像”とは、かけ離れた存在であることも自覚している。

「今でも『ホリプロ所属です』と言ったら、みんなに『うそでしょ!?』って驚かれます(笑)。私自身も『私なんかじゃ入れない』と思っていました。でも、事務所の方とお話させていただいた時に、自傷行為や精神的な病気なども含めて、すべてお伝えしたら、『それはまいきちしか持っていない武器だよ』と返してくださったんです。『コンプレックスを武器にしなよ』って初めて言われました。その時にここで頑張りたいと思いました」

 新たな環境での活動を続けていく中で、演技の楽しさを知ることもできた。

「演じることが好きなんだと気付けました。周囲には『演技うまっ!』って人たちもゴロゴロいて、自分ができていないことが『悔しい』と思えました。それに、引きこもりやODなど特異な経験をした私だからこそ、演じられる役もあると思っています」

 18歳からようやく歯車が動き始めた。まだまだ、通院も必要な状態で完治とはほど遠いが、自信を持って「充実している」と口にすることができている。「今」を語るまいきちの表情は明るい。

「以前は自分の中にストッパーがあって、心の底から笑うことができませんでした。泣く、怒る、笑う……感情を出すことってこんなに楽しいんだと今は思えています。“普通に生きる”ことの楽しさをかみしめています」

 俳優活動にバラエティー出演、音楽活動やコスメプロデュース。挑戦したいことは山ほどある。自分の足で歩き始めたからこそ見つけることができた目標だ。「私は命が尽きるまで表現者でありたいです」。心からの笑顔を浮かべながら、明るい未来を見据えている。

□まいきち 2005年1月30日、大阪府出身。1歳からキッズモデルとして芸能活動をスタート。11歳から“まいきち”としての活動をスタートさせた。その後は、TikTokを中心にインフルエンサーとして注目を集める。26年には映画『とれ!』に出演するなど俳優活動にも力を入れている。1月30日の21歳の誕生日に初のフォトエッセイ『承認欲求』を発売した。

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