元学園祭クイーン・中條かな子の孤独だったアイドル時代 中谷美紀、菅野美穂らとは「楽屋が別で男性とは会話NG」
1990年代、「学園祭クイーン」と呼ばれるレジェンドたちがいた。その1人が中條(緒方)かな子だ。事務所の先輩だった千堂あきほと並ぶ人気で、全国の学園祭を飛び回っていた。デビュー当初、アイドルグループの一員だった彼女は、グラビアアイドルなどを経て、23歳で後の広島東洋カープ監督となる緒方孝市外野手と結婚。3人の子どもにも恵まれ、長女は声優として活動している。本人も近年、長く控えていた芸能活動を再開。絵画の趣味を生かして絵本を出版し、第93回白日会展(2017年)ではオンワードギャラリー賞を受賞した。24年、25年には2年連続で美術界で最も権威ある日展(日本美術展覧会)に入選している。間もなく53歳。変わらずキュートな緒方の「今」を取材した。

間もなく53歳 3人の子どもに恵まれ、2年連続で日展入選
1990年代、「学園祭クイーン」と呼ばれるレジェンドたちがいた。その1人が中條(緒方)かな子だ。事務所の先輩だった千堂あきほと並ぶ人気で、全国の学園祭を飛び回っていた。デビュー当初、アイドルグループの一員だった彼女は、グラビアアイドルなどを経て、23歳で後の広島東洋カープ監督となる緒方孝市外野手と結婚。3人の子どもにも恵まれ、長女は声優として活動している。本人も近年、長く控えていた芸能活動を再開。絵画の趣味を生かして絵本を出版し、第93回白日会展(2017年)ではオンワードギャラリー賞を受賞した。24年、25年には2年連続で美術界で最も権威ある日展(日本美術展覧会)に入選している。間もなく53歳。変わらずキュートな緒方の「今」を取材した。(取材・文=渡邉唯恩)
――緒方さんはデビュー時、「桜っ子クラブさくら組」というアイドルグループの創立メンバーでした。同グループのOGには、中谷美紀さん、菅野美穂さん、加藤紀子さん、持田真樹さんらそうそうたる顔ぶれです。ただ、当時は他のメンバーと扱いがちょっと違ったそうですね。
「そうなんです。元はといえば『アイドル共和国』(テレビ朝日系)という前身の番組があり、司会は森脇健司さんと光GENJIの内海光司さんでした。私はそこにも出ていて、当時まだSMAPもTOKIOも絶賛売り出し中。後に続く『桜っ子クラブ』でさくら組が結成されたのですが、なぜか私は新しいメンバーの子たちとは楽屋が別だったんです。仲は悪くないけれど、同じグループなのにあいさつをする程度の奇妙な関係でした」
――本来なら、楽屋で一緒にワイワイしたところですよね。
「結構、孤独でしたね。しかも一歩スタジオを出ると事務所のマネジャーさんがピタッと横に張り付く感じでいたので、他のメンバーや共演者さんからは近づきにくかったかもしれません。『あらぬうわさが立っては困るから』と、男性出演者ともあいさつだけで会話はNGにされてましたから。でも、高校(堀越学園高)では吾郎ちゃん(稲垣)と同じクラスなので普通にしゃべってたんですよ。何だか変な感じでした」

――その後、グラビアアイドルとして活動し、歌手デビュー後は「学園祭クイーン」と呼ばれるようになりました。
「事務所の先輩が4つ年上の千堂あきほさんだったんです。先にクイーンと呼ばれていたので、事務所の社長からは『お前も千堂みたいになれ』と言われるんですけど、私は踊りが苦手で怒られてばかり。ある時、千堂さんのお下がりの靴を履いてステージに出たら、サイズが合わなくてスコーンと飛んでいっちゃったことがあるんです。『ワッ』と驚いた声がマイクに拾われていて、もうギャグですよね。お客さんは優しいからそれで盛り上がってくれたり、笑ってくれるんですけど『あとでマネジャーにしかられる』とビクビクでした」
――ということは、当時のライバルは千堂さんですか。
「いえ。事務所的にはもう1人のクイーンである杉本彩さんを意識していた気がします。衣装とか雰囲気を寄せていたような……」
――杉本さんには、学園祭の掛け持ちが多すぎて「ヘリコプターで移動した」という伝説がありますね。
「私はそこまでじゃなかったけれど、1日に3ステージは普通でした。時間ギリギリで現場に入るので、今、自分が東京にいるのか大阪にいるのか分からなくなるんです。でも、あの頃は無我夢中でしたが、何かやり切れてなかった気がして、タイムスリップできるならもう1度頑張ってみたいです。当時は恥ずかしくて言えなかった『盛り上がってるか~い?』とか『ヘイ、カモン!』みたいなセリフも今なら言えそうな気がしますし(笑)」
――1996年、23歳で緒方さんとご結婚。芸能界を引退し、故郷の広島に戻られました。以降、ほとんど芸能活動はされてこなかったんでしょうか。
「子育てもありましたし、選手の妻として頑張りたかったので、控えてもいました。夫は遠征に次ぐ遠征で、言い方は悪いけれど母子家庭が夫という大型犬を飼っているような感じでした。家で愚痴を言うようなタイプではなかったので、プレーに響かないよう、明るい家庭を心掛けていましたね。子育てが一段落したタイミングで2017年からは広島テレビの番組でコメンテーターとして復帰し、読売新聞の中国四国版でもコラムを書かせていただいてます」
――3人のお子さんに恵まれ、長女の緒方佑奈さんは声優になられました。
「長女は父親の遺伝なのか、とても運動神経が良かったんです。本人も『テニスの選手になる』と意気込んでいた時期もあったのですが、声優の道に進みました。次女は芸能関係に興味はなく、一番下の長男は昨年、大学生になりました」

絵画は結婚がきっかけ「誕生日プレゼントで」
――そのお子さんたちをモデルにした絵画が入選するなど、話題になりました。絵はいつから始めたのでしょうか。
「本格的に始めたのは結婚がきっかけです。主人と交際している時に誕生日に何かプレゼントをと考えて、『野球選手だから何でも持っていそう。オリジナルの何かを……』ということで絵を思いつきました。結婚前から描き始め、結婚後に誕生日が来たので、そこでプレゼント。ホームランを打った時の後ろ姿を描きました」
――今でもその絵は家に飾ってありますか。
「子どもたちを描いた絵は壁に飾ってあるのですが、主人の絵はどこかにしまっちゃってます(笑)」
――次女を描かれた絵は、2017年の第93回白日会展でオンワードギャラリー賞を受賞。昨年、一昨年と2年連続で日展にも入選されました。
「普段から人物画は描いていたのですが、(夫以外の)男性を描いたことはなかったんです。でも、子どもたちの絵は残しておこうと。昨年は長男も描いたので、一応コンプリートです」

――ご長男は「次は俺の番だ」と思われていたでしょうね。
「そこはすっごく嫌がっていました。前に出たり目立つことが苦手な子なので、どうやって切り出そうかなと。ちょうど大学生になるタイミングで『髪を染めてみたい』と言ってきたので、『モデルをやってくれるならお小遣いをあげるよ』と釣ってみたんです(笑)。髪は金髪に染め、新調したスーツでポーズを取ってもらったら、何だかホストみたいになっちゃったんですけどね」
――息子さんはイケメンだしスタイルもいい。モデルとしては描きやすかったのでは。
「それが大変! そもそも男性をモデルにして大きなキャンバス(100号)に描くのは初めての経験なので、いろんな角度から100枚くらい写真を撮って部屋中に貼りまくったんです。まるで、ドラマで殺人犯やストーカーがターゲットの人の写真を壁に貼るような、あんな感じ(笑)。それでも光の具合や手の角度を再確認したいから、ことあるごとに『ちょっと見せて』と言うので、ものすごく嫌がっていました」
――ご主人の緒方さんは監督就任2年目の2016年に25年ぶりのリーグ優勝。「神ってる」の流行語が生まれ、以降18年まで球団史上初の3連覇を果たしました。現在はどうされていますか。
「実は先日、主人の意外な神ってる特技を発見してしまったんです。ある番組で27年ぶりの夫婦共演ということで、3泊4日のクルーズ旅行を体験させていただいたのですが、それがとても楽しかったんです。旅行前は無口な夫が楽しめるのか、番組に迷惑をかけないだろうかと心配していたのですが、食レポが私よりも全然上手いんです。少食の私からすれば、お腹いっぱいでも次々に食べてくれるから助かるし、コメントも抜群。本当に神って見えました(笑)。今後も旅番組には出させていただきたいし、娘たちとも一緒に行きたいですね」
□緒方かな子(おがた・かなこ) 1973年3月4日、広島市生まれ。91年、17歳の時に中條かな子としてデビュー。全国20か所の学校を訪れ「学園祭の女王」となる。96年、広島東洋カープの緒方孝市外野手(当時)と結婚。97年に長女、99年に次女、2006年に長男を出産。17年~23年は広島テレビで番組にレギュラー出演。162センチ。血液型AB。趣味:旅行著書に絵本『ぼくのヒーロー』(ザメディアジョン刊)など。
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