【ズバリ!近況】「太陽にほえろ!」ロッキー刑事の木之元亮が今だから語れる「太陽」裏話と宮内淳さん
俳優になったのも、「太陽にほえろ!」出演もまさに偶然の賜物!
芸能人ぶりたくなかったのは、俳優になったのが偶然の賜物だったことと、文学座など俳優のエリート出身でもなかったから。高校卒業後、地元・釧路でオヤジを継いでイカ釣りなどの漁師をしていたんですけど、数か月で腰を痛めて断念。高校の担任の先生が世話してくれて、不動産会社・太平洋興発に就職したんです。
でも、高卒では先がしれていると感じ、僕が毎日、張りのない生活をしていたんでしょうね。ある日突然、オヤジから素面で「子どもの1人や2人、面倒をみるぐらいの甲斐性は、まだ父さんにはあるぞ」と言われたんです。僕は妹と2人きょうだい。好きなことをやれ、ってことだったんですね。それでうれしくなっちゃって、大学へ進学しようと会社を1年1か月で辞め上京しました。
だから、大学はちゃんと卒業し、卒業後は田舎に帰って就職するつもりでした。ところが、オイルショックで大不景気に。そんな時、友人の義理のお兄さんがテレビドラマの制作主任をやってらして、「俳優になったら」と勧めてくれたんです。それで、一念発起して芸能事務所・俳協(東京俳優生活協同組合)の養成所・俳協演劇研究所を紹介してもらいました。不思議な人生でしょ(笑)。
俳協演劇研究所は2年の予定が、結局、1年通っただけで「太陽~」でデビューしました。それも偶然で、俳協のマネジャーが、「太陽~」の岡田さんの所に宣伝のために持って行った僕ら養成所の生徒の写真を、たまたま岡田さんにあいさつに来た松田優作さんが見て、「ヒゲの刑事も面白いんじゃないの?」と押してくれたんだそうです。剃るのが面倒臭くて無精ヒゲ生やしてただけなのに。それで、日テレに顔見せしに行ったんですけど、てっきり「チンピラ役か何かだろう」と思っていたんですよ。それが新人刑事役だから、ほんっとビックリ!! こんな雑草が、1晩で人生が変わりました。
「太陽にほえろ!」のギャラは1本15万円だった!
撮影初日なんてものすごい緊張して、足は震えるわ、何を言ったんだか、その日の記憶はろくにないぐらい。石原裕次郎さんは優しかったですよ。僕の実家のある釧路じゃ、僕が裕次郎さんと共演だって大騒ぎだったから、裕次郎さんのサインをすごい数頼まれたんですけど、裕次郎さんは「OK、ロッキー!」と言いながらホイホイ書いてくれました。
ゴリさん(竜雷太)は新人の教育係で、「走るときは手を抜くな」「カメラの前には台本をもってくるな」「台詞が飛んでも構わない、気持ちで演じろ」と、基本的なことを教えてくれました。夫婦役で共演した(長谷)直美ちゃんはざっくばらんな人でね。一昨年、DVD化の特典映像を撮るために久しぶりに会ったんですけど、「元気?」「今度会おうね!」って(笑)。でも、共演した多くの方々が亡くなられましたよね。寂しいです。
「太陽~」は5年ちょっとやって、殉職の話をもらいました。嬉しかった。外へ出て再デビューの気持ちでやれたらいいな、と思っていたんで。ラストはロッキー山脈に連れて行ってくれて。でも、僕が要求したわけじゃないですよ。あと、ラストシーンはリスをかばって死んだように編集されていましたけど、そんなバカな刑事はいませんよ(笑)。自然環境を破壊したくない、という気持ちで犠牲になったんです。ちなみに、「太陽~」のギャラは1本15万円。デビュー前は深夜に印刷会社で紙を運ぶ日雇いの力仕事をしていましたから、ありがたかったです。