ジョギング中に股間に違和感…32歳で「10万人に1人」の病 「ここで死ぬわけには」不屈の医師が語る壮絶半生

医師になって7年目、32歳の時、ジョギング中に覚えた体の異変。「精巣がん」の告知に言葉を失った。緊急手術、悩んで決断した抗がん剤治療で、体重は40キロにまで落ちた。幼い2児を抱え、「ここで死ぬわけにはいかない」。呼吸器・アレルギー専門医を目指す道半ば、親子3代で地域医療を支えてきた医院を継ぐ人生の目標もあった。意志を貫き、カムバックを果たした。ところが、37歳の時に、原因不明の顎(がく)関節症に……。大病を乗り越え、47歳の今、「笑顔と元気に貢献」をモットーに、患者に寄り添う医療に力を注いでいる。つらくても笑顔を絶やさない“不屈の医師”の壮絶半生に迫った。

精巣がんを克服した草ヶ谷英樹医師【写真:本人提供】
精巣がんを克服した草ヶ谷英樹医師【写真:本人提供】

32歳で精巣がん、37歳で顎関節症に…2児を育てるパパ専門医

 医師になって7年目、32歳の時、ジョギング中に覚えた体の異変。「精巣がん」の告知に言葉を失った。緊急手術、悩んで決断した抗がん剤治療で、体重は40キロにまで落ちた。幼い2児を抱え、「ここで死ぬわけにはいかない」。呼吸器・アレルギー専門医を目指す道半ば、親子3代で地域医療を支えてきた医院を継ぐ人生の目標もあった。意志を貫き、カムバックを果たした。ところが、37歳の時に、原因不明の顎(がく)関節症に……。大病を乗り越え、47歳の今、「笑顔と元気に貢献」をモットーに、患者に寄り添う医療に力を注いでいる。つらくても笑顔を絶やさない“不屈の医師”の壮絶半生に迫った。(取材・文=吉原知也)

 静岡市の草ヶ谷医院の草ヶ谷英樹院長。祖父が1950年に開業した歴史あるクリニックを受け継ぐ、総合内科専門医・呼吸器専門医・アレルギー専門医だ。医師である祖父と父の背中を見て育ち、医療界に進んだ。大学を卒業して内科医になり、研鑽(けんさん)を積もうと、大学院で「気道免疫」の研究に取り組んでいた時、突然の病に見舞われた。

「医学博士号を目指してこれから研究に没頭できるという時期でした。趣味のジョギングで走っていたら、どうも睾丸の左右のバランスが気になって、右を触ってみたら、明らかに硬さが違ったんです」。医学書に記載されているような「消しゴムぐらいの硬さ」だった。嫌な予感を覚え、翌日、泌尿器科の先輩医師に相談。検査をしてもらうとすぐに「これはがんだから、取ったほうがいい」と言われ、緊急手術になった。

 国立がん研究センターの資料によると、精巣がんにかかる割合は「10万人に1人程度と言われ、比較的まれながん」。20~30歳代の男性がかかる固形がんとしては最多で、若年者に多い特徴があるという。

 当時32歳。がんはごくごく初期だったが、手術で右の精巣を取り除いた。その後の治療について「決断」を迫られた。手術だけで終わらせることもできたが、転移のリスクを少しでも減らすための抗がん剤治療の選択肢も提示された。長女と次女が生まれたばかりで、医療研究は志半ば。実家の医院を継ぐ目標もあった。

「万が一でも微小な転移が残っていたらと思うと、これから40年の人生で、再発した時のリスクが大き過ぎると考えました。ここで確実に治したかったです」。入院したまま、強い副作用を伴う抗がん剤治療を選択した。

 BEP療法と呼ばれ、吐き気が強いことで知られる治療法。「噴水状に嘔吐(おうと)する状況でした」。抗がん剤が投与されると、食べ物を受け付けなくなる。ようやく回復してきたところに、また次のクールが始まる。体重は60キロから40キロまで落ちた。髪の毛やまゆ毛が抜け、肌も荒れた。耐え抜いて正月明けに退院。約3か月の治療を終えた。

 ここから強じんな精神力を発揮する。体力回復と並行して、すぐに大学院の研究に戻った。大学院生と言っても、働きながらの研究だ。朝4時に起きて大学院に行き、実験の下準備を整える。8時半から医療の仕事、昼休みに戻って実験。午後は仕事をして、夕方にまた戻ってきて実験。そんな“激務”をこなし、研究成果をまとめて論文を発表した。無事に医学博士号を取得できた。「研究に専念できるのは2年間。その貴重な時間を4か月近く失っていました。何とか取り戻そうと頑張りました。周りの人たちからは『あの時の草ヶ谷は鬼気迫る表情だった』と言われます」。がんに関しては10年間経過観察を続け、再発・転移はない。

 しかし、37歳の時、またも体に異変が生じる。「ある日突然、かみ合わせがおかしくなりました」。最初は少しの顎のずれだったが、3年かけて進行し、食事に支障をきたすほど深刻な事態に。いくつも病院を回ったが、顎関節症の原因が分からず、治療のプランが立てられなかった。最終的に都内の専門医による「顎をはめ直す」手術を受けた。2か月半の矯正治療、トータル約半年間のリハビリを経て、快方に向かった。それでも、完治には至っていない。時折、顎に違和感が出てくる。「内科医は患者と話すことが仕事の中心です。しゃべれなくなる不安を抱えたままです」。変わってしまった自分の体と向き合う日々を送る。

顎関節症などを乗り越えて患者に寄り添う医療に注力している【写真:本人提供】
顎関節症などを乗り越えて患者に寄り添う医療に注力している【写真:本人提供】

医院の理念は「医療を通じて関わる全ての方の笑顔と元気に貢献する」

 2度の病気を経験して、医療観は大きく変わった。「医師である僕であっても、体調が悪い時に『よくなるのかな』と不安に襲われることはあります。医療の知識がない患者さんにとっては、真っ暗闇を歩かされているような心理になっているのだろうなと。自分が病気を経験したことで、患者さんの気持ちをより考えられるようになったと思っています」。勤務医時代、何人ものがん患者の治療にあたった。告知を受けた患者の表情、懸命に治療に臨む様子、絶望と不安。命に関わる病気を宣告された家族の姿。亡くなる患者も少なくなかった。こうして、「患者さんに深く寄り添いたい」という信念を強くしていった。

 精巣がんの病床で、「こんな突拍子もないことが、ある日突然起きる。明日死ぬかもしれない。だから、やれることは絶対にやろう」。そう心に決めた。医師としての経験を積み、2021年に医院を新装開院。日々の診療に全力投球だ。

「医療を通じて関わる全ての方の笑顔と元気に貢献する」。自らの医院にこんな理念を掲げている。「それはお飾りではなく、全員のスタッフがそらで言えるようにしています。判断に迷った時は、この理念に沿って行動する。しっかりと浸透させています」と強調する。

 不安を抱える患者であっても、冗談を言うことで気持ちが和む瞬間がある。そのタイミングを見つけて場を明るくする。これが“草ヶ谷流”の診察スタイルだ。

 この冬の外来でのこと。咳が苦しくて夜も眠れないと訴えていた患者が、症状がよくなって経過観察のため来院した。「その後どうですかと聞いたら、患者さんは『すごく楽になりました』と。私のほうから『じゃあ、年末年始はカラオケでぶっ飛ばしましたね!』と話しました」。以前の会話で、その患者がカラオケ好きだと聞いていた。患者は思わず笑顔になったという。「この薬を使ったらきっと楽になるから、次回は笑顔で会えますよ。そのような前向きな言葉をかけるようにしています。回復した患者さんから『先生、楽になりました』と言われると、こっちもうれしいんです」と実感を込める。

 自身の健康管理を徹底しながら、覚悟を持って医療人として生きていく。「周りの人に元気と笑顔を与えられる存在でいたい。そう強く思っています」と前を見据えた。

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