浅香唯独白 芸能活動の休止理由…心身ボロボロだった窮地を救った母親のひと言

35周年記念ボックス「YUI ASAKA 35th Anniversary」ジャケット
35周年記念ボックス「YUI ASAKA 35th Anniversary」ジャケット

80年代の全盛期から一転、90年代に活動休止へ

――最終的に唯さんの活動を認めてくれた瞬間というのは?

「実はそういう話は母とは一切したことがなくて、後日談として間接的に聞いたんですが、デビューしてすぐ地元の宮崎のお祭りに呼んでいただき、まだそれほど知られていない時期だったのに応援してくれる方がたくさん集まってくださって、その姿を母が見て、人前で歌ったり踊ったりするのがすごく苦手な子だったのに、緊張しながら一生懸命頑張ってやっているなって。私の姿を初めて見てそう思ったらしいんです」

――久しぶりの地元宮崎でご実家にも帰りましたか?

「はい。静かに実家に帰りました(笑)。私は心のどこかで母が卒業式に来てくれなかったのは嫌われたから? それとも見放されたから? とずっとそう思っていたんです。それで家に帰って久しぶりに母の温かい手料理を食べさせてもらった時、その誤解が解けて、その時の料理は本当に心に染みましたね。次の日には『行ってきます!』って東京に戻ったんですけど、すごくホッとしたというか。これからもっと頑張ろうって元気が出ました」

――そこから浅香唯の快進撃が始まった訳ですが、今回の35周年記念ボックスにこれまで入手困難だった全盛期のライブ映像「ロックンロールサーカス89」が、当時のMCそのままに臨場感たっぷりの高画質映像とCDで収められています。

「映像がとっても綺麗で、当時のファンの人たちからも『諦めていた映像がキレイになって超感動した』って感想をいただきました(笑)」

――最初から最後まで120パーセントで走り切ったような元気いっぱいのライブですね。

「おっしゃる通り、この全国ツアーは、毎回最初から最後まで120パーセントのパワーで歌っていて、当時は疲れ知らずというか、ライブが終わったら倒れても良いって思いながら毎回やっていて、中でも大阪がすごくて、お客さんのテンションが最初からずっと高くて、私も負けないぞって、まるでお客さんと戦っているような気持ちで、180パーセントぐらいのパワーで歌っていました(笑)。今回初めてその模様もボックスセットにCD初収録されていて、ものすごい気合いを入れた楽しいステージでした」

――そしてCDにはもう1枚、93年の活動休止前の最後のライブも収められています。浅香唯としての集大成的なライブですが、休止前の重苦しさを全く感じさせない、1曲1曲を大切に歌い上げている様子が音から伝わってきました。

「ファンの皆さんと『これから遠距離恋愛になるけれど、信じているよ』って、そんな無言で誓い合ったステージでした。もしかしたらこれが本当に最後のステージになるかもしれないし、だからこそ最後にふさわしいライブにしようって、魂を込めて歌いました。きっとファンの人たちも心のどこかでそんな覚悟を持って見てくれたんじゃないのかな。未練があると思われたくなかったから最後は絶対に笑顔で終わろうと思っていたけれど、感謝の気持ちが込み上げてきて、涙がこぼれてしまいましたね」

――ここからしばらく芸能活動を休止した訳ですが、あらためて休業理由についてお聞きします。

「一番は気持ちですね。ずっと駆け抜けてきて、もうこのままでは私はダメになるっていうぐらいの限界がきていて、体も壊れそうだったんです」

――責任感が人一倍強くて、負けず嫌いの唯さんでも数字や結果、ほかにも見えないプレッシャーだったり。全てを背負いきれなくなってしまうくらいの重圧だったと?

「その通りです。すごく重かったし、全部背負っていたものを下ろさないと無理だなって。何をやっても100パーセントの表現ができなくて、客観的に自分が見られない。もうギリギリのところでしたね。事務所に籍を残したまま休業する方法もありましたが、中途半端な気持ちで休んでも絶対にリセットされないって分かっていたから、まっさらな気持ちで考えてみたいと」

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