浅香唯独白 芸能活動の休止理由…心身ボロボロだった窮地を救った母親のひと言
窮地を救ってくれた母親の言葉
――お母様が、1番心配されたのでは?
「子どもの頃から親に対して弱音を吐くことは一切なかった私だったので休業を決めるときも私からは連絡しなかったんです。そしたら母から初めて連絡がありました。『あなたには帰る家があるんだから絶対に1人でいろいろ考えたりしないで安心して帰ってきなさい』って」
――お母様からのひと言で決断したんですね?
「はい。その言葉に『そうか、浅香唯を一生背負わなくてもいいんだ。そうじゃない人生もあるんだ』って思ったら、スーッと体が軽くなって、浅香唯をすごく客観的に見れるようになったんです。母からもらった大きな言葉でしたね。だからといって実家に帰ろうとは全く思っていなくて。私のそういう意地を張るところが男勝りなんですけど(笑)」
――その気持ちの強さはお母様から譲り受けたものなんじゃないですか?
「どうでしょう? そうかもしれないですね(笑)。そうじゃなければ私を15で手放さないですよね」
――その後、ファンとの約束も果たし、浅香唯として再びこの世界に戻ってきました。そして今度は、唯さんが母親となりました。母親となってお母様から受け継いだものを教えてください。
「母が私にしてくれたように娘にはどんな悩みも100パーセント打ち明けられるようにしてあげたいと思って、我が家には『お悩み相談タイム』という時間があるんです。共働きだった両親の愛情が私の寂しさを全部埋めてくれたように、今度はそれを娘にしてあげる番だって。いつも寝る前にベッドで2人ゴロンとしていると、娘から『ママ、お悩みタイムいい?』って話をしてくれるんです。そこでいろんな話を聞いてあげて、私にとっては、ささいな悩みも彼女にとっては大きな悩みなんだろうなって。そんなことを一緒に考える時間が今はすごく大切ですね」
――いつか唯さんのように突然『私はこうしたい!』という日が来るかも知れませんね。
「私は『親子の縁を切ってでも…』って自分の人生を決めちゃった人なんで、娘が何をしたいと言っても私が止める権利は一切ありませんから(笑)。やりたいことをきっちり見守るだけです。私の母のようにきちんと帰ってこられる場所にいてあげる。それだけかなって」
――35周年のボックスには、娘さんの年齢と同じぐらいの唯さんのデビュー映像が収録されています。当時のアイドルらしからぬ自由奔放な姿の1つひとつにお腹を抱えて笑ってしまうシーンもありました。娘さんがご覧になった感想は?
「実は娘にはまだ見せてないんです。私が今見ても恥ずかしくて直視できないですから(笑)。娘は13歳なのでデビューの頃の私にだんだん近づいていて、見せるにはちょっと勇気が必要かも(笑)」
――それではライザップのCMはいかがですか? ファンも驚きのチャレンジですが、テレビで流れているCMをご覧になった感想は?
「『これどう思う?』って聞いたら『めちゃくちゃカワイイ!すごくいい!』って娘に褒めてもらったんですよ。とっても優しい娘です。テレビを見ていてもCM流れたら『ママ、カワイイ!』って必ず言ってくれて」
――うれしいですね。
「はい。本当のところはわかりませんが(笑)。でもそうやって応援してくれる娘は、世界一の浅香唯のファンです」
□浅香唯(あさか ゆい)“フェニックスから来た少女”というキャッチフレーズで、1985年6月21日、シングル「夏少女」で歌手デビュー。86年、フジテレビ系連続TVドラマ「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」で主役の三代目麻宮サキでブレークを果たし、その後、「虹のDREAMER」「C-Girl」「セシル」「TRUE LOVE」と4曲ものヒットチャート1位を連発。日本一忙しいアイドルと呼ばれた。2020年6月にデビュー35周年を迎えた。
浅香唯オフィシャルサイト:https://wmg.jp/asakayui/
公式インスタグラム:https://www.instagram.com/yui_asaka_official/
浅香唯35周年BOX『YUI ASAKA 35th Anniversary~君がずっと見ている~』リンク:
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