『俺たちの旅』から50年 中村雅俊「歌手は予定外」、田中健「事務所倒産」、秋野太作「最高にハッピー」…岡田奈々と語った人生の秋

日本テレビ系名作ドラマ『俺たちの旅』(1975年)に登場した3人の50年後を描いた映画『五十年目の俺たちの旅』が、今月9日に公開される。カースケ(中村雅俊)、オメダ(田中健)、グズ六(秋野太作)が、悩みながら「生きることの意味」を見い出す物語は、多くの視聴者から共感を呼んだ。主演の中村が担当した主題歌『俺たちの旅』も大ヒットした。長い時を経て、本作ではオメダの妹・真弓を演じた岡田奈々も含め、オリジナルキャストが結集。中村自身の初映画監督作品にもなった。この機に、ENCOUNTは4人をインタビュー。初映画化の経緯や撮影秘話を聞いた「前編」に続き、「後編」ではそれぞれが自身の人生を振り返っている。

映画『五十年目の俺たちの旅』で20年ぶりに集結。(左から)田中健、岡田奈々、中村雅俊、秋野太作【写真:冨田味我】
映画『五十年目の俺たちの旅』で20年ぶりに集結。(左から)田中健、岡田奈々、中村雅俊、秋野太作【写真:冨田味我】

伝説ドラマの初映画『五十年目の俺たちの旅』 9日公開

 日本テレビ系名作ドラマ『俺たちの旅』(1975年)に登場した3人の50年後を描いた映画『五十年目の俺たちの旅』が、今月9日に公開される。カースケ(中村雅俊)、オメダ(田中健)、グズ六(秋野太作)が、悩みながら「生きることの意味」を見い出す物語は、多くの視聴者から共感を呼んだ。主演の中村が担当した主題歌『俺たちの旅』も大ヒットした。長い時を経て、本作ではオメダの妹・真弓を演じた岡田奈々も含め、オリジナルキャストが結集。中村自身の初映画監督作品にもなった。この機に、ENCOUNTは4人をインタビュー。初映画化の経緯や撮影秘話を聞いた「前編」に続き、「後編」ではそれぞれが自身の人生を振り返っている。(構成=Miki D‘Angelo Yamashita)

 4人は『俺たちの旅』で出会い、ここまで芸能活動を続けてきた。

田中「3人ともデビュー間もない頃の出演作でしたから、他の作品をやっていても、『俺たちの旅』はずっと心の中にあって、この作品ありきの人生を送ってきましたね。そもそも僕のスタートは歌手で、『あおい健』という名前で日本コロムビアから歌手デビューしました。でも、事務所が倒産して『地元に帰ろう』と思っていた時に映画監督の斎藤耕一さんを紹介されて、『役者をやってみないか』と言っていただきました。『俺たちの旅』のころは、壁に当たっていた時代でしたね。自分の芝居に納得できないこともよくありました。秋野さんや中村さんに、助けてもらいながら乗り切ったという感じです」

中村「振り返ると、さまざまな出会いに恵まれた人生でしたね。『われら青春!』(74年)で、俳優デビューと歌手デビューが同年で、デビュー曲『ふれあい』がミリオンセラーになって、歌手としても歩むことになりました。これは予定外でした。以来、コンサートは1600回以上、連続ドラマの主演は34本。忙しくても充実感がありました。『俺たちの旅』が大好きな人が多くて、小椋佳さんはじめ、そうそうたる方々に曲を書いていただいています。中村雅俊のためというより、カースケのために書いてくれたんですね(笑)」

秋野「今が一番幸せですよ。何の問題もない日々を生きていますから。こういう境地になると、過去の全てが『運だったんだな』と思えてくる。俳優の道を選んだのは、大学で演劇に興味を持ったからです。大卒の給料が2万5000円の時代、俳優養成所に通うために父が月3万円を援助してくれたので、演劇の勉強に集中できました。今があるのは父のおかげで、尊敬してやまない渥美清さんと仕事をすることもできました。最初はTBSドラマシリーズ『泣いてたまるか』で、渥美さんが高校教師、私は学生役。夢のような時間でしたが、舞台とテレビでは、サッカーと野球ぐらい演技が異なります。渥美さんの前で四苦八苦した思い出が残っています」

岡田「私は好き勝手にやらせていただいて、今日まで来ました。運が80%かもしれないです。最初は歌手になりたかったのですが、いつの間にか俳優業の方が面白くなってきました。高校1年生の時スカウトされて、芸能界に入ったのですが、声をかけていただいてうれしかったですね。子どもの頃はドラマや歌謡番組をずっと見ているテレビっ子でしたから、憧れがありました。学校と歌手、ドラマ、映画、CMの仕事もして寝る時間もありませんでしたが、新しい歌、台本、人との出会いなど全てが新鮮でした。夢と希望でいっぱいの楽しい青春時代を送りました」

町工場を経営するカースケ(中村雅俊=左)と介護施設の理事長を務めるクズ六(秋野太作) 【映画『五十年目の俺たちの旅』から】【写真:(C)ユニオン映画】
町工場を経営するカースケ(中村雅俊=左)と介護施設の理事長を務めるクズ六(秋野太作) 【映画『五十年目の俺たちの旅』から】【写真:(C)ユニオン映画】

年齢を重ね…「今日も良かった」と思える日を

『俺たちの旅』で演じながら、学んだこと。それは人生に大きな影響を与えていた。

田中「人との出会いがいかに大切か、年齢を重ねて分かるようになりました。『俺たちの旅』の3人も、わがままに生きながらも互いに助け合って前に進んでいく。その姿は今の若い世代にも通じるものがあるのでしょう。自分一人ではできないことも、仲間がいれば乗り越えられるんですね」

秋野「ただ、『人生は最後まで、未完成交響曲だ』なんていうことを言う人がいてね。みんな、実感があるからそういう言葉が刺さるんだろうけどね。今、最高にハッピーで満足しているんだ。しかも、こんないい仕事ができてありがたく思っています」

岡田「『俺たちの旅』では、八千草薫さん、ドラマ『ゆうひが丘の総理大臣』では、樹木希林さんの娘を演じさせていただきました。憧れの女優さんの娘役をやらせていただいた経験は、いまでも宝物です。今回は16歳の時に出演させていただいたドラマの役を50年後にまた演じさせていただけた。『運がいい』としか言いようがないですよね。役者冥利につきる人生を送れたことに感謝しています」

中村「この世界で50年以上仕事をしてきて、この頃、『人生には季節がある』と感じるのですが、今は秋という感じでしょうか。この年齢になると、『今日も良かった』と思える日が過ごせれば理想的ですね。我々、70代、80代になりましたが、映画ではちゃんと青春していますので、楽しみにしていただきたいです」

□中村雅俊(なかむら・まさとし)1951年2月1日、宮城県生まれ。 慶応大卒業後の74年、日本テレビ系連続ドラマ『われら青春!』の主役に抜てきされてデビュー。同作の挿入歌『ふれあい』は売り上げ100万枚超。以後、数多くの作品に出演。

□田中健(たなか・けん)1951年3月6日、福岡県生まれ。72年に歌手デビュー。74年には、映画『サンダカン八番娼館 望郷』で俳優デビュー後、多くの作品に出演。83年の南米旅行中にケーナと出会い、90年9月からはケーナ奏者としても活動。

□秋野太作(あきの・たいさく)1943年2月14日、東京都生まれ。俳優座養成所第15期生で、66年のTBS連続ドラマ木下恵介劇場『記念樹』で俳優デビュー。フジテレビ系連続ドラマ『男はつらいよ』での好演でブレイクし、数多くの作品に出演。

□岡田奈々(おかだ・なな)1959年2月12日、岐阜県生まれ。75年5月10日、シングル『ひとりごと』が発売され、16歳で歌手デビュー。ポッキーの初代CMガールを務め、人気アイドルに。20歳で俳優に転身し、多くのドラマ、映画に出演。

カースケ(中村雅俊=左)と米子市長のオメダ(田中健) 【映画『五十年目の俺たちの旅』から】【写真:(C)ユニオン映画】
カースケ(中村雅俊=左)と米子市長のオメダ(田中健) 【映画『五十年目の俺たちの旅』から】【写真:(C)ユニオン映画】

<ドラマ『俺たちの旅』と映画『五十年目の俺たちの旅』>

 日本テレビ系連続ドラマ『俺たちの旅』は、日曜午後8時枠で1975年10月5日から76年10月10日まで放送された(全46話)。三流私学・修学院大の学生・津村浩介“カースケ”(中村雅俊)、その同級生の神崎隆夫“オメダ”(田中健)と、同郷の先輩で早稲田大OB・熊沢伸六“グズ六”(秋野太作)を中心に友情と青春群像を描き続けた。生きることの意味、悩み、喜びなどについて問いかけ、視聴者の共感を呼んだ。

 3人の50年後、映画『五十年目の俺たちの旅』では、カースケが従業員10人ほどの小さな町工場を経営。オメダは鳥取県の米子市長を務め、グズ六は妻のおかげで介護施設の理事長の座に収まり、それぞれが平穏な日々を過ごしていた。

 そんなある日、カースケの工場にオメダがやってくる。カースケは米子市長のオメダを誇らしい気持ちで従業員に紹介するが、オメダは思いつめた様子ですぐにその場を後にしてしまう。

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