46歳・押切蓮介氏、奇妙で過酷なバイト遍歴 川崎工場地帯で試験管洗い「なんの研究に使ったのかも分からない」
18歳でプロデビューを果たし、華々しいキャリアをスタートさせたかのように見える漫画家・押切蓮介氏(46)。しかし、デビューから約5年間に渡りヒット作に恵まれず、漫画だけでは食べていけない苦しい日々が続いた。その生活を支えたのが、数々のアルバイトだ。日雇いアルバイトの紹介サービスに登録し、ディスカウントショップやクリーニング店、肉体労働など多種多様な仕事を経験。その中でも、一番楽しかったと語る「試験管洗い」や、一番きつかったという「ITベンチャー」での経験は、押切先生にとって「社会」というものを強烈に印象付けたとか。のちの作品にも通じる独特の観察眼は、このバイト“変”歴で培われたのかもしれない。押切先生が体験した、奇妙で過酷な社会生活を振り返る。

18歳でデビューもその後は泣かず飛ばず「本当に歯がゆかった」
18歳でプロデビューを果たし、華々しいキャリアをスタートさせたかのように見える漫画家・押切蓮介氏(46)。しかし、デビューから約5年間に渡りヒット作に恵まれず、漫画だけでは食べていけない苦しい日々が続いた。その生活を支えたのが、数々のアルバイトだ。日雇いアルバイトの紹介サービスに登録し、ディスカウントショップやクリーニング店、肉体労働など多種多様な仕事を経験。その中でも、一番楽しかったと語る「試験管洗い」や、一番きつかったという「ITベンチャー」での経験は、押切先生にとって「社会」というものを強烈に印象付けたとか。のちの作品にも通じる独特の観察眼は、このバイト“変”歴で培われたのかもしれない。押切先生が体験した、奇妙で過酷な社会生活を振り返る。(取材・文=関口大起)
押切先生は18歳の時、「週刊ヤングマガジン」にて『マサシ!!うしろだ!!』でデビューした。漫画家を志し、作品を描き始めてから掲載が決まるまで、わずか1週間。とんとん拍子にプロの世界に足を踏み入れた押切先生の漫画家人生は、まさに順風満帆といえよう。しかし、以降の展開はそう甘いものではなかったという。
「18歳でデビューしたとはいえ、そのあと23歳までは鳴かず飛ばずです。漫画だけで食っていくには連載するしかないんですけど、その連載にこぎつけるのがとんでもなくハードルが高い」
当時の「週刊ヤングマガジン」には、「ヤングマガジン増刊赤BUTA」「ヤングマガジン増刊青BUTA」と呼ばれる新人の登竜門的雑誌が存在した。そこで人気を得ると、本誌での連載を勝ち取れる構造だ。押切先生も同誌で2度の集中連載を行ったが、結果は振るわなかった。
一方、親友でありライバルの清野とおる先生は週刊連載をスタートし、単行本も発売。その姿を横目に、押切先生は焦りを募らせたという。
「とにかく焦るんですよ。俺も連載取らなきゃ、単行本出さなきゃって。それなのに、現実は読み切りのネームで苦戦している。そのギャップが本当に歯がゆかったです」
バイト生活で決意「絶対に漫画家として成功してやる」
漫画家としての収入だけでは生活が成り立たない。焦り、苦しみ、そんな下積み時代の生活を支えたのが、数々のアルバイトだった。
押切先生は当時、日雇いアルバイトの派遣サービスに登録し、日々さまざまな仕事に就いていた。ディスカウントショップ、スーパーマーケット、クリーニング店、肉体労働、宅配野菜、セメント塗り……。その際の体験は、エッセイ漫画『背筋を伸ばして』でも一部語られているが、先生が「一番楽しくて気が楽だった」と話すのは「試験管洗い」の仕事だ。まったく聞きなじみのない仕事である。
勤務地は、川崎の浮島にある工場地帯。バスに揺られてたどり着いたその場所で、個室に通される。そこには、研究などで使い終わったおびただしい数の試験管やビーカーが山積みになっていた。
「とにかく汚い試験管とかビーカーです。なんの研究に使ったのかも分からないので、もしかしたら危ないものもあったかもしれません。僕はとにかく、それを全部洗浄、消毒していくわけです。でも、個室で一人黙々と仕事をするのって、結構楽しかったんですよね。時々、研究員の人が訪ねてきて、すぐ去っていくみたいな環境も心地よかった」
誰にも邪魔されず、自分のペースで作業に没頭できる。それが性に合っていたのだろう。先生の働きぶりは派遣先にも認められ、ついには派遣サービスを落とさず直接来てくれないか、と引き抜きに会うほどだった。
「本当はダメなことだと思いますけどね(笑)。でも結局、1年くらいはそうして働いたと思います」
そういった楽しい仕事がある一方で、「一番きつかった」と顔をしかめるのがITベンチャーでのアルバイトだ。時はインターネットバブルの黎明期。ホームページ制作を請け負うその会社で、押切は絶望を味わうことになる。
「そもそもパソコンが苦手なので、仕事自体が難しくてつらかった。ただそれ以上に人間関係が最悪でした。僕はバイトだったので直接被害はないですが、新人社員へのイジメがすごいんです。今でいうパワハラかな。聞いていてつらいんですよ。そんなに言わなくてもいいのにって」
そういった劣悪な環境の中、さらに先生を苦しめたのが、「何もしない時間」の存在だった。
「アルバイトとはいえ会社の中で働いているので、拘束時間が長いんです。たしか9時から夕方くらいまでだったかな。時間が決まっているので、暇でやることがなくてもそこにいなきゃいけない。それがつらいんですよ。いるということをしないといけない、というか。なんか人間としての尊厳を奪われるような気持ちになっちゃいました」
時間が過ぎるのが恐ろしく長く感じられ、精神的に追い詰められたという。ただ、この経験が「絶対に漫画家として成功してやる」という強い決意につながった。
漫画家としてデビューしながら、社会の片隅でさまざまな労働を経験した5年間。エピソードはこれらにとどまらない。そこで見た理不尽や人間の滑稽さは、間違いなくのちの押切作品の血肉となっている。「ホラーギャグ」というジャンルをメジャー誌で開拓しながら、シリアスなサイコホラー、ラブコメ、エッセイなど、多様な作品を描き出すそのスタイルの原点は、この不遇の時代にあったのかもしれない。
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