失踪した父とサイン会で再会 漫画家・押切蓮介氏の複雑な親子関係「僕の漫画には父親がほぼ出てこない」

『でろでろ』『ミスミソウ』『ハイスコアガール』など、ホラーギャグからバイオレンス、ラブコメまで、多彩な作風で多くのファンを魅了する漫画家・押切蓮介(46)。その独特の世界観は、いかにして育まれたのか。キャリアの原点をひも解くべく、幼少期から漫画家デビュー前夜までのエピソードを聞いた。そこにあったのは、映画『ジョーズ』の衝撃と小さすぎない影響だ。押切蓮介という才能が、その“方向性”を決定づけた「誕生前夜」に迫る。

インタビューに応じた押切蓮介先生【写真:ENCOUNT編集部】
インタビューに応じた押切蓮介先生【写真:ENCOUNT編集部】

普及の名作映画から受けた衝撃「まるで取りつかれる感じ」

『でろでろ』『ミスミソウ』『ハイスコアガール』など、ホラーギャグからバイオレンス、ラブコメまで、多彩な作風で多くのファンを魅了する漫画家・押切蓮介氏(46)。その独特の世界観は、いかにして育まれたのか。キャリアの原点をひも解くべく、幼少期から漫画家デビュー前夜までのエピソードを聞いた。そこにあったのは、映画『ジョーズ』の衝撃と小さすぎない影響だ。押切蓮介という才能が、その“方向性”を決定づけた「誕生前夜」に迫る。(取材・文=関口大起)

「生まれてはじめて観た映画が『ジョーズ』なんですよ」

 そう語る押切先生が、スティーブン・スピルバーグ監督の傑作『ジョーズ』に触れたのは幼稚園の頃。テレビで偶然目にしたその作品は、幼い心に忘れがたい衝撃を刻みつけた。

「親は『うっかり見せて後悔した』と言っていましたね。まるで取りつかれるみたいな感じで、今の今までずっと『ジョーズ』が好きなんです」

 巨大なホオジロザメが人々を襲う恐怖。それは幼稚園児にとってあまりにショッキングな映像体験だったに違いない。しかし、当時の先生を惹きつけたのは、単なる恐怖だけではなかった。

「映画として単純に面白かったんです。今もそうなのですが、幼稚園生の頃から気に入った映画はしつこく観るタイプで、小学生、中学生になっても『ジョーズ』を何度も観ましたね」

『ジョーズ』との出会いにより、学校のノートに描く落書きの内容も変わっていったとか。友人が仮面ライダーやウルトラマンに夢中になる一方、先生が描いていたのは、沈没する船と周りで待ち構えるサメの姿。

「とにかくサメばっかり描いていました。ちょっと残酷ですけど、ストーリー性があるものを描くようになったのもこの頃からかもしれません。で、そのうちに『バタリアン』にも出会うんです。これもたまたまテレビで観たんですが、もう本当に刺さって。それからは、レンタルビデオ屋に行くとホラー系のコーナーに直行です(笑)。端から観ていって制覇しましたね」

 小学生になっても、その嗜好は変わらない。多くの同級生が「週刊少年ジャンプ」の『ドラゴンボール』や『キン肉マン』に熱狂する中、押切先生が愛読していたのは「週刊ビッグコミックスピリッツ」。ゲームハードも、スーパーファミコン旋風が吹き荒れる中でPCエンジンに傾倒していった。この感覚はのちの先生の作風に反映され、言わずもがなゲームへのこだわりは、のちの代表作『ピコピコ少年』や『ハイスコアガール』につながっていく。

 しかし、押切先生の父方の祖父は直木賞作家・神崎武雄。そして母方の祖父は警察署長と、ホラー作品やゲームに熱中するにはお堅そうな家系だ。しかし、先生自身は血筋的なものを一切意識したことはないと語る。

「親族との縁は深くなくて、むしろド貧乏生活でしたよ。だから、自分が直木賞作家の血筋だと言われても実感がまったくないんですよね。父親は自慢げに話をしてましたけど」

 その父親もまた小説家を目指して作品を描いていたが、残念ながら花が開くことはなかった。

「僕が漫画家としてデビューしたとき、『なんでお前のほうが先なんだ』ってはっきり言われました。妙なライバル視みたいなものがあったんじゃないですかね」

ペンネーム・押切蓮介は「単純な発想」

 押切先生がプロ漫画家として自立し始めたころ、その父親が失踪。以降10年以上も連絡が途絶えたが、先生のサイン会の会場で再会することとなる。

「印象は……相変わらずだなって感じ。出版界で生き残るにはどうこうって、自論を語ってきた記憶があります」

 自身の複雑な父子関係は、無意識のうちに作品に影響を与えているかもしれない、と押切先生は分析する。

「意識していたわけではないんですけど、振り返ってみると、僕の漫画って父親があまり出てこないんです。出てきても存在感がかなり薄い。母親の存在は大きいのに、父親が偉大だという描写はほとんどありません」

 さて、『ジョーズ』に魅せられた少年時代の押切先生は、なぜ漫画家を志したのだろうか。

「進路を決める流れで自然にですね。ただ、絵が下手くそな自覚はあったので、高校を卒業してそのまま漫画家を目指すことには抵抗がありました。だから漫画とか、デザインとか、あとは当時はやっていたCG系の専門学校に行こうかなと」

 しかし、専門学校の体験入学での経験が転機となる。講師から「絵を描いてみて」と促され、押切先生は「後ろ向きの少年」を描いた。それを見た講師は、「君は向いていないと思う。たぶん専門学校に入ってもプラスはないよ。漫画家になりたいなら、いろいろな作品を読んで、影響されて、とにかく描いたほうが絶対いい」と告げたという。

「真意は分からないですけど、それが専門学校には行かず漫画家を目指すことになったきっかけです。押切蓮介って名前にしようっていうのもすぐ決めて、高校卒業の3日後には漫画を描き始めていましたね」

 押切蓮介という名前はペンネームだ。当時の先生は、両親が離婚し、どちらの姓を名乗るか選択を迫られていた。だからそのどちらでもない、自分だけの名前を名乗ることを決意したという。

「なんとなく『ら行』の文字を使いたくて蓮(れん)を選び、あとは『~すけ』という名前に憧れがあったのでそれを組み合わて『蓮介』。苗字は、近所のコンビニで働いていた店員さんから取りました。『押切』ってカッコよくね? という単純な発想です」

 そうして押切蓮介という漫画家は誕生した。とはいえ、高校卒業時点で漫画を描き上げたことは一度もない。とりあえず100作品描いて投稿しまくろう。それでダメなら諦めよう。そう決意した矢先、まさか1作品目で担当がつくとは思いもよらなかった。

関口大起(https://x.com/t_sekiguchi_

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