「スープラを売れば…」銀行に言われるのが怖くて 愛車を守り続けた女性が選んだキッチンカーという生き方
2025年春、1台のキッチンカーがデビューした。目を引くピンクパープルの扉は、店主が愛するトヨタ・スープラと同じ色だ。看板メニューは、これまた珍しいキッシュ。そこには、高齢の恩師との運命を変えた“師弟物語”もある。日々奮闘する女性オーナーの裏側に迫った。

気づけば3台持ち…“キッシュで体調不良”が運命変えた
2025年春、1台のキッチンカーがデビューした。目を引くピンクパープルの扉は、店主が愛するトヨタ・スープラと同じ色だ。看板メニューは、これまた珍しいキッシュ。そこには、高齢の恩師との運命を変えた“師弟物語”もある。日々奮闘する女性オーナーの裏側に迫った。
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昨年11月、東京・代官山で行われた蚤の市。キッチンカー「プチカフェドゥナオ」の店主・NAOさんはここ数日間ほとんど眠らず、人生で一番多い2日間の営業で200食超のキッシュを仕込んでいた。
開店と同時に客が殺到し、用意したキッシュが次々と売れていく。目まぐるしい忙しさの中、ふと顔を上げると、見覚えのある姿があった。
12年前に出会った、フランス料理のシェフだった。恩師が、レストランを一緒に切り盛りする娘とわざわざ足を運んでくれた。
「『将来キッシュ屋さんをやるのが夢なんです』と言ってから、12年たってしまった。でも、キッチンカーの姿で先生にご報告ができて……」
多忙なあまり、あいさつしかできなかったが、恩師はキッシュを買い、いつもの笑顔で「頑張って!」と言い残して帰っていった。
NAOさんがフレンチレストランの味とフランスカレーを習おうと恩師のところに通い始めたのは2013年のこと。週末にカフェを借りて自作のキッシュを販売しており、腕に磨きをかけようと、門をたたいた。
恩師は戦後復興から高度経済成長へ向かう時代にフランスに渡り、老舗フレンチレストランでクラシックフレンチを学んだシェフだった。当時すでに70代だったが、現役で調理場に立ち、指導を続けていた。
NAOさんの言葉に、シェフは「ぜひ食べさせてくれ」と言った。NAOさんは言われるがままに、自宅でキッシュを作って持参した。
おそるおそるキッシュを手渡すと、恩師は一口食べて、思いもよらない言葉をかけた。
「僕が日本に帰ってきて、初めてフランスのキッシュを食べたよ」
NAOさんは耳を疑った。フランスで修業したシェフが、日本で初めてと言ってくれた。
「その言葉がなかったら、たぶん続けられなかった。今もキッシュを作り続けている一番の励みです」
鶏の骨から丁寧に取るだしの作り方、クラシックフレンチの基本……シェフから学んだ技術は、NAOさんの財産になった。
NAOさんが、フランスの伝統料理のキッシュに魅せられたのは、偶然の出来事がきっかけだった。あるカフェで食べたキッシュが体に合わず、午後の仕事ができないほど体調を崩した。別の日も試したが、また同じ症状が出た。
「これは何かが合わないんだ」
以来、キッシュが頭から離れなくなった。

「スープラを売ればいい」 実店舗をためらったワケ
父は喫茶店を経営。料理は身近なところにあったものの、未経験のキッシュ作りは難航した。レシピを調べると、出てくるのはフランス語ばかり。材料を辞書で調べながら、グラム単位で調整した。小麦粉とバターは手に入るものを片っ端から試し、何十回も試作を重ねた。
そしてたどり着いたのが、北海道産の小麦とカルピスバターだった。
「不純物がない、真っ白なバター。あっさりしてるのにコクがあって、固形のまま食べられるくらい。私にとっては宝石のようなバターです」
体調が悪くならず、最後の一口までおいしく食べられるキッシュ。完成したそのレシピは、2013年から今日まで一度も変えていない。
いつか自らの店を構えることを目標にしていたNAOさん。あれから12年が経過し、ようやく夢が動き始めた。
だが、店を持つには資金面で高い壁があった。NAOさんに、一つの不安がよぎる。銀行でローンを組むとき、担保として愛車のスープラを手放すよう言われるかもしれない。
「聞きに行ってもいないのに、すごく不安で。スープラを売ればいいんじゃないですかって言われたら、すごく嫌だなって」
NAOさんのスープラは1995年式のJZA80で、スープラの全国ミーティング「80スープラ」部門で1位に選ばれたこともある“伝説の車”だった。
手放すという選択肢は、全くなかった。2021年、父が他界。60年近く続いた実家の喫茶店も閉じた。コロナ禍で、固定店舗のあやうさも目の当たりにした。
「キッチンカーなら自分が動ける。スープラも手放さなくていい」
ついに決断した。

「お前は一生車に追われて終わるんだな」 心に残る言葉
2024年9月、山梨県の会社にキッチンカーの製作を依頼した。車体は中古だが、キッチン部分は職人が一から手作りしてくれる。
「パリの雰囲気にしたいから、アンティークゴールドの取っ手で」「扉はスープラと同じピンク色に染めてください」
家を建てるような打ち合わせを重ね、こだわりを形にしていった。入口のドアはスープラと同じピンクパープルに。今や、幼稚園児たちからは「どこでもドアだ!」と親しまれている。跳ね上げドア部分には、スープラにもデザインしている大好きな桜を、キッチッカーにもデザインし、桜のステッカーを自ら貼った。花のリースは季節ごとに変え、エプロンもスープラと同じ色で特注した。
起業にあたり、初期投資はそれなりにかかった。父は生前よく言っていた。「お前は一生車に追われて終わるんだな」。続けて、聞こえた天国からの声にNAOさんは苦笑いした。「これでまた車に追われて働くんだな」。でも後悔はなかった。
そして昨年3月30日、ついにキッチンカー営業がスタートした。
「楽しい。やってよかった。出会えなかった人と出会えて、知らなかった場所を知れた」
2013年からの週末カフェを知る人々の中には「まだやってたんだ」と、どこか冷ややかな反応を示す人もいた。その反面、「行くところまで行くんだね」と応援してくれる人もいた。
「長く続けていると、やめるか店を作ると思っている方が多い中で、キッチンカーにしたんだって妙に納得してくださる。『やっぱり車が好きなんだね』と言って応援してくれる」
キッシュをなかなか知らなかった人々が、定期的に訪れてくれるようになった。じわりじわりと、少しずつ広がる手ごたえを感じている。
洗礼を浴びたこともあった。キッチンカーは天候に大きく左右される。6月のある雨の日、客はゼロ。手つかずのキッシュは家族で食べた。
さらに悩ましいのは、最近の物価高騰だ。使用するスイス産グリュイエールチーズは2013年当時の2・5倍、バターも2倍近い価格になった。
「原価を考えた時に、なかなかやっていける値段ではない。でも、700円、800円のキッシュ、自分だったら買うかな。決してお安くはない金額、だからこそキッシュに誠実に、求めてくださるお客様に誠実に作っていきたい」

3台に増えた愛車 もう1台はボロボロの“父の形見”
自問自答は今も続く。キッチンカーのキッシュ専門店は、知る限り、自分だけだ。
「キッシュって、まだ誰もが知る食べ物じゃない。想像できないから買わない人も多い。でも、やりたいのはキッシュだから」
つらい時に思い出すのは恩師の言葉。NAOさんは、クルマ女子の祭典「ガールズカーコレクション」を主宰するなど、かいわいでは知られた存在だ。キッチンカーでも仲間に支えられる。
今、NAOさんは3台の車を持っている。
愛車のスープラ。働く車のキッチンカー。そして、亡き父から受け継いだ色あせた黄土色のカローラだ。買い物用として、大切に使っている。
「もう本当にボロボロで、父が年齢的にいろんなところをぶつけてるんですけど、それを直さずに私も乗っています。手放すのはちょっとな、まだ動くしなと思うと手放せない」
まさか3台の車を持とうとは。
「どっちも維持するために、今頑張るしかない。いろんな人と会えるのが楽しい。また会えるために、頑張ろうって思えるんです」
当面の目標は、「3年続けること」だと語る。軌道に乗れば、もう一つメニューを増やしたいという構想もある。
父が営んだ喫茶店。その名物だった昭和のナポリタンを、いつかキッチンカーで復活させたいという。
レシピは父の背中を見て覚えた。作るときは、測ることができない塩コショウの加減も、ケチャップの量も、使うハムも、パスタのメーカーも、全て父と同じにしている。
「父に食べてもらったら、『これだよこれ』と言ってくれました」
キッシュは前日に焼いて冷やし、当日に丁寧にカットして運んでいく。出店先は固定のほか、SNSで依頼されて参加することもある。ささやかな夢は、フランス関連のイベントに出店することだ。「自分の国の食べ物だから来てくださるのか、本当に今までお会いしてないぐらい、海外のお客様が多い」。だから語学も勉強しようと思っている。
キッチンカーを始めてまだ8か月。これから長い道のりが待っている。でもNAOさんは、もう迷わない。ピンクパープルのキッチンカーは、車に“満開の桜”を咲かせて、今日も走り続けている。
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