青木真也、TKO負け後の猛バッシングに本音「嫉妬が7、8割」 海外ジムで固めた決意「20年の資産で生きていく」
青木真也(42)が格闘技イベント「ONE 173: Superbon vs. Noiri」(11月16日、東京・有明アリーナ)で手塚裕之に2R・TKO負けを喫してから、1か月が過ぎた。淡白な幕切れと、直後の発言は猛烈な批判を浴び、ネットは炎上した。この数週間を、本人は何を思い過ごしていたのか。

「ONE 173」で2R・TKO負け
青木真也(42)が格闘技イベント「ONE 173: Superbon vs. Noiri」(11月16日、東京・有明アリーナ)で手塚裕之に2R・TKO負けを喫してから、1か月が過ぎた。淡白な幕切れと、直後の発言は猛烈な批判を浴び、ネットは炎上した。この数週間を、本人は何を思い過ごしていたのか。(取材・文=島田将斗)
「みんなは『箱根駅伝』をやって欲しかったんですよね」。
2R、手塚のボディーでダウンした青木はケージ際で「止めてくれ」と言わんばかりにレフェリーを見ていた。「気持ちの粘りがなかったですね」と振り返る。
そもそもこの試合への原動力は「お金」。特に物語もない。普段は階級も違う日本大会のためだけに組まれたカードに消極的だったが仕事として受けた。1Rは得意のグラウンドの展開攻め続けたものの、相手は屈せず。ここで仕事はほぼ終わっていた。
その姿勢からネット上ではブーイングが起きた。ただケガなく、安全にリングを降りることもファイターとして大事なこと。死闘は美談として語られることが多いが、命あっての格闘技でもある。
「箱根駅伝の走者がストップして『もう危ないんでやめます』って言ったらみんなズッコケると思うんすよ。冬の箱根の、凍った地面んでコテコテやって頑張ってくれるからドラマだと思うんす。『あ、もう僕、ちょっと足きついんでやめます』って言ったらみんな怒ると思うんすよ。そういうことだと思うんですよね」

同世代のファイターに伝わらずショック「読み間違えですね」
青木としては「完璧な納品」だった。ファンだけでなく、格闘家やマスコミからも批判されたのは想定外だったという。
「俺はすっげえ面白いもん作ったでしょって。甘えではあるけど、みんな理解できると思ってたし、理解してくれると思ってた。客も選手関係者も理解できると思ってたんだけど」
さらに「ヨカタが分からないのはしょうがないっす。だってBreakingDown見てるやつが分かるわけないもん。怒るのも分かる。でも同世代とか格闘技やってるやつが分からないのは結構ショックあった」と続けた。
「ダサい」。格闘家からはきっぱりと言われた。
「俺は正直自分で『かっこいい』と思って作ってた。金原(正徳)は『ダサい』って言ってた。『あ、ダサいって映るんだ』ってびっくりした。でもこれは主観の問題だから『すげぇな、これ』っていう読み間違えですね。みんなリテラシー高くない」
ここ数年はONEに何度も振り回されてきた。それでも青木は感謝の気持ちで団体と向き合ってきたが、今年に入りリスペクトに欠ける対応をされた。一時は大みそかRIZINへの出場可能性もあったが、これもONEとの契約でなくなった。
「仕事としてやるってすごい悪く思われてますけど、俺はもう10年以上それでやってるから。申し訳ないけど、『誰と試合やりたい』ってモチベーションでやってないから。だから『ちょっとお前も分かってくれないと困るよな』みたいな感じ」
試合後の「最高のプロレス」発言も伝わらず炎上。さらに対戦相手の手塚はX上で青木を腐すような投稿を繰り返し、これが“燃料投下”にもなっていた。
「対応しきれないほどじゃなかったっすね。腹立つこととかもあったんですけど、粛々と対応しました。でもYouTubeスタッフはヨカタなので『どうしよう』ってくらってたんですよ」
試合直後にYouTubeに投稿した動画のコメント欄にはおびただしい数の罵詈雑言。スタッフはこれを非公開にしようとしたが、青木本人がこれを止めた。
「あいつは『引っ込めたい』って言った。けど俺は『絶対にステイだ』って。それで1日たった時に『ほら! 見てみろ!』って」
チャンネルの有料会員登録者が激増していた。「『だから言ったでしょ』って。こっちは何年これでやってるんだと。粛々と目の前に来たことを、粛々と捉えて転がしてくっていうのは、まあ、できたっすね」とニヤリと笑った。
試合後のすがすがしい表情の裏で引っかかっていたこともあった。それは練習から試合当日までサポートしてくれた野村駿太だ。
「控室に帰って一番に野村に『あ、ごめんね、これ付き合わせて』って。『どうしようもないこの俺の仕事に付き合わせて申し訳なかった』と謝りましたね」
巻き込んだ後ろめたさと伸び盛りの28歳の「貴重な時間をお借りしている」という気持ちがあった。
「俺らぐらいの人が彼にできることってお金払うしかないんだよ」と声のトーンを落とす。「見なくていいもん見せちゃったなって気持ちが強いんですよね」。ひょうひょうとしていた青木が唯一沈んだような表情をしていた瞬間だった。

ライフワークのプロレスにまで火の粉「見てなくて言われても困る」
心のスタミナは切れた。後輩に対してこれほどまでの誠実さを見せた一方で、団体への熱はもはや冷め切っていた。
「俺の今回の状況下で、『頑張れ』っていう方が無理じゃんと思っちゃう。この場に立ってやっただけで『ありがとう』って言えよと思っちゃうぐらい。団体に対する忠義心がないんですよ。『ONEのために何かやってやろう』って気持ちがないので、粘れないですよね」
「格闘技に未練がない」と試合前から話していたが、そんな青木がいま楽しいのがプロレスだ。ONEの約2週間後に、後楽園でKONOSUKE TAKESHITAと対戦したが、このプロレスにまで批判の声が寄せられた。
「批評してくれるのは別にいい。ただ俺のものを評価するんだったら俺のものを買って見てくれないと。見てなくて言われても困る。俺が一番嫌だなって思うのは、好きでライフワークとしてプロレスをやってるんですけど。そのプロレスにまでケチつけんなよって」
ネットユーザーや格闘家だけでなく一部マスコミからも“ケチ”をつけられた。
「好きでやってんの。結局お前らがやってほしい青木真也像にはめようとしてるじゃないですか。俺が格闘技が得意で上手だったことは俺自身も知ってる。でも、俺がライフワークでやってるのを、足引っ張んなよとは思いますね。まず見に来いよと思っちゃうんすね」
炎上のほとぼりが冷めやらぬなか、12月初旬、喧騒を断ち切るように韓国へと向かった。日本とは全く違う空気感。ある決意が固まった。
「胸張って言えることがあって、俺は格闘技選手として2006年から専業でメジャーでやってる。この20年で得た自分の青木真也という貯金というか資産でこれからは生きていく」
現地では友人のジムを訪れた。韓国旅行に同行した関係者は青木に向けられる視線の違いに驚がくした。
「特にびっくりしたのは高校生とか若い世代の人も知ってくれていて。青木さんが来るって聞いてすごい集まっていました。最後はみんなでサイン会、撮影会みたいになっちゃうし。頑張って日本語で調べて『先生、教えてくれてありがとうございました』とか『青木さんかっこいいです』とか言っていて。空港の職員も知っているレベルでした」
これを横で聞いていた青木は「まぁタイとかもそうじゃん。ONEとかでも選手と写真撮影するみたいな世界観はあるから」と照れくさそうにしながら「資産で生きていくって俺は思った」と続けた。
今回の炎上は「嫉妬7、8割」
今回の炎上の正体は何だったのか。青木はそれを「嫉妬が7割」と分析する。
「格闘技選手もメディアも、嫉妬7、8割なんじゃないかなと。42歳まで好き勝手なこと言って、好き勝手にやって、好き放題ギャラ持ってって。それでいてペコペコしない。みんなイラッとしますよね。同世代に関しても分かる、怒る気持ち」
その矛先はマスコミにも向く。構築しようとする世界観を、青木という存在が壊してしまうからだ。「半分こっちがメディアになってしまってるので。ある種、勝てないじゃないですか。風上にいるのはこっちなんで」
11月は間違いなく格闘技界のセンターにいた。「どうしたらいいんだろうな」と言う言葉とは裏腹に楽しげだ。
「格闘技を『仕事ですよ』って言ったら怒るし、プロレスは金とかじゃなくて『本気で趣味で好きでやってます』って言うと、それはそれでみんな怒るし」
結局のところ、人々は青木から目が離せないのかもしれない。
「みんな、俺のこと好きなんですよ」と締めくくった。
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